内なる一日

こんばんは!毎日投稿114日目になりました。今日も頑張っていきましょう!

1日24時間

   皆さんは1日に決まって24時間あることをどう思いますか?短いですか?それとも長いですか?恐らく、現代を生きる学生もしくは社会人の皆さんは、1日24時間は短いだなんて思っているのではないでしょうか?そんな皆さんに、とある便利な時間の捉え方をご紹介します。
 
   以下に紹介するのは、20世紀初頭に活躍したイギリスの作家アーノルド・ベネットによる時間の捉え方です。彼の考え方は、彼亡き後も人々によって語られ続け、以下に紹介するのもその1つになります。

内なる一日

   日本では労働基準法により、あくまで原則としてですが、1日に8時間を超えて労働することが禁止されています。そこで、皆さんが朝9時に出勤し、昼休憩を挟んで夕方6時まで働くものとします。学生でも、恐らく朝8時から夕方5時の間には学校の拘束時間は終わることでしょう。
   
   ここで多くの人は、一日が24時間あるにもかかわらず、この労働(または勉強)の8~9時間を「平日の1日」と認識しています。そして、帰宅後は夕食を食べ、1日の疲れを取ると称してだらだらとゴールデン番組など見始めたり、一杯飲んだりして、最後には日が変わる頃に就寝し、朝を迎えるというのが一般的な過ごし方ではないでしょうか?
 
   しかし、1世紀前を生きたアーノルド・ベネットは疑問を投げかけます。「1日のたった8時間の労働(勉強)に1日を無駄にするのか」と。彼の考えによれば、私たちは朝9時から夕方6時まで仕事をして帰宅しますが、見方を変えれば、これは夕方6時から朝9時までの15時間は、労働から解放され、更にはお金に心配する必要もなく、身体的にも経済的にも自由が保証されているのだ、と言います。
 
   確かに、言われてみれば正しいと認めざるを得ません。私たちには1日の24時間のうち、労働時間を除いた15時間の自由に使える時間が平日だろうと毎日与えられています。アーノルド・ベネットはこの労働と金銭的心配から解放された15時間を「内なる1日」と呼んでいます。
 
   たとえ睡眠に7.5時間、食事・入浴に2.5時間使っても、5時間が空白の自由時間として残ります。1日5時間といえば、1年の平均的な平日日数である245をかければ1225時間、さらに16時間(睡眠時間を除いた一日の時間)で割ると約75日で、つまりこれは1年あたり75日分にあたります。言うまでもなくこれは膨大な時間です。その膨大な時間をテレビを見たりお酒を飲んだりして過ごしていては、いつまで経っても1日24時間で充実した平日を送ることは出来ません。
 
   アーノルド・ベネットは、この「内なる1日」で、生活を充実させるための「やりたかったこと」「学びたかったこと」にあてることを推奨しています。

   こういうと、皆さんは「帰ってきてからしっかり休まないと、労働時間に支障が出てしまう」と反論するかもしれません。しかし、アーノルド・ベネットはそんな反論はお見通しです。彼曰く、15時間の「内なる1日」を充実させることは、普段の労働の障害にならないどころか、普段の労働の効率を上げるのだそうです。
 
   彼は「大多数の人が知らなければならない重要なことの1つは、知的な能力は絶えざる激しい労働にも耐えうるということである。手や足のような疲れ方はしない。必要とするのは、睡眠は別として、対象の変化だけであり、休息では無い」としています。確かに、あの慶應大卒のオリラジ中田敦彦がアメトークで昔、受験時代は教科をこまめに変えれば永遠に集中できた、と言っていたのを思い出します。
 
   実は脳科学的にも、知的な作業を長時間して疲れたと感じても、本当に感じているのは長時間イスに座り続けたことやパソコンの画面を見続けたことによる身体的疲労だけと言っても過言ではないのだそうです。「脳が疲れた」というのはただのイメージだけだということです。
 
   休日に何でもかんでもやろうと思っても、24時間から睡眠7.5時間、食事・入浴2.5時間を除けば14時間で、土日で28時間しかありません。しかし、1週間で5日間ある平日にも、1日5時間という自由時間があり、5日で25時間、つまり土日の自由時間とほぼ同じだけの時間があるのです。平日を有効活用出来る人と出来ない人の差は計り知れません。
 
   もし皆さんが、「この人には実績で叶わない」という人が周りにいたとしたら、その人は平日の「内なる1日」を有効活用しているのかもしれません。そして皆さんも同様に「内なる1日」を有効活用すれば、そんな人に追いつける日がやってくるかもしれません。

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