ルチェッライ宮殿
Palazzo Rucellai
ジョヴァンニ・ルチェッライは、メディチ派でありながら、メディチ家と運命をともにするほど密着もせずに、巧みに15世紀を生き抜いた商人で、1466年にはコジモ・ディ・メディチの孫娘ルクレツィアを息子ベルナルドと結婚させ、姻戚関係を結びました。ルクレツィアは、ピエロ・ディ・メディチの娘で、ロレンツォ「豪華王」の姉にあたる女性です。通称ナンニーナと呼ばれていました。
そのため、ルチェッライ宮殿やロッジャのフリーズには、「順風満帆」を描いたジョヴァンニ・ルチェッライの紋章とともに、
Impresa personale di Giovanni Rucellai
メディチ家の「痛風病みの 'il Gottoso'」ピエロの紋章があしらわれています。
Impresa personale di Piero il Gottoso
他にも「祖国の父 'il Vecchio'」コジモや
Impresa personale di Cosimo il Vecchio
ロレンツォ「豪華王 'il Magnifico'」の紋章、
Impresa personale di Lorenzo il Magnifico
ルチェッライ家の紋章もあります。
メディチ家のコジモがサン・マルコ修道院の再建に力を入れたのと同じように、ルチェッライ家のジョヴァンニもサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の再建に莫大な私財を投じました。そして、コジモが建築家のミケロッツォ・ミケロッツィを愛したように、ジョヴァンニはレオン・バッティスタ・アルベルティを起用し、そのパトロンとなりました。
アルベルティのルチェッライ宮殿は、ミケロッツォのメディチ・リッカルディ宮殿、ブルネッレスキのピッティ宮殿、ベネデット・ダ・マイアーノのストロッツィ宮殿と並び称されるフィレンツェ・ルネサンスの宮殿建築の最高傑作のひとつです。
宮殿の設計は1446年、途中おそらくべルナルド・ロッセッリーノも参加し、1451年に完成しました。
垂直の付け柱と平な石積みの水平線がファサードの壁面全体を分割し、各階のプロポーションや窓などが、オーダーの原理に従って配置されています。14世紀に流行った高い塔や狭間を備えた、厳しく威圧的な城塞風の宮殿は好まれなくなり、落ち着いてモニュメンタルな個人邸宅が増えてきました。
オーダーの隙間を埋める粗い切石積みのパターンは、ルスティカ(rustica)と呼ばれるルネサンスで多用された技法で、表面を滑らかにせず、敢えて凹凸を目立たせて、荒々しく力強い表情を持たせる技法です。
宮殿の前にあるロッジャもアルベルティの設計で1456年に建設されました。
ここは、現在でもルチェッライ家の個人所有のため、内部を見学することはできませんが、中庭までは見学可能です。
ルチェッライ宮殿/Palazzo Rucellai
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