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サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

Cattedrale di Santa Maria del Fiore

フィレンツェが都市として一大発展を遂げると、かつてのサンタ・レパラータ聖堂のあったところに、都市の全住人を収容可能な巨大な大聖堂建設の必要性が生まれ、1296年にアルノルフォ・ディ・カンビオが現在の大聖堂の基本的な姿を設計しました。

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工事は1302年の彼の死によって一時中断したものの、1334年にはジョットを総監督として建設が続行されました。この時、ジョットは大聖堂の南側に隣接するように高さ81.75メートルの鐘楼(カンパニーレ)も設計して同時に建設を始めています。

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これら当時の西欧世界で最大級の建設事業は、自由都市国家フィレンツェの経済的繁栄と芸術的・技術的水準の高さを示すものだといえるでしょう。

「花の聖母マリア大聖堂」の「花(フィオーレ)」は、フィレンツェ自身のことであり、咲く花が匂うように、繁栄の極みにあったフィレンツェが、聖母マリアに捧げた大聖堂という誇り高い精神をその名に読みとることができます。

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〔二重構造の大クーポラ、ブルネッレスキの雪辱〕

ゴシック様式の大聖堂の中でも最大級の規模(現在でも、主祭壇を通る東西の線の長さにおいては、ローマのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂に次いで第3位)を誇るフィレンッェの大聖堂の建設は、クーポラの建設にさしかかって、大きな壁にぶつかってしまいました。主祭壇の上を覆う直径42メートル、高さ100メートルを越える丸屋根の設計案が実現不可能であるということが判明したからです。

13世紀の末にアルノルフォ・ディ・カンビオが全体の設計をした時から、1世紀以上の歳月が流れた1418年の時点では職人の技術的レベルも低下していたらしく、まず大工たちが100メートルを越える建設に充分に耐えうる足場を組み上げることができないと言い出しました。

そこで、フィレンツェは再びクーポラ建設の設計案を募集するコンぺを開催して斬新なアイデアを求めることにしたのです。


記録によれば、聖堂内に土砂を積み上げるという案もあったそうです。そして、その案には完成後の土砂のかき出しを効率よくするために、あらかじめ土砂に銀を混ぜておけば、人々が銀を見つけようと争って土砂を外へかき出してくれるだろうというユーモラスなアイデアのおまけまでついていました。

しかし、結局は1401年の洗礼堂扉の制作者決定コンクールで、惜しくもギベルティに勝ちを譲ったブルネッレスキの提出した画期的な工法を試みる以外に名案がありませんでした。

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ブルネッレスキは、この時までに彫刻家から建築家に転向して、当時は誰ひとり見向きもしなかった古代ローマ建築に対しても工学的な観点から詳細な研究を続けており、精密な木製の模型まで製作して審査委員会を説得しました(この模型は、この工事のために新たに開発された近代的工具類とともに大聖堂付属博物館に展示されています)。

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二重構造のプランは重量の倍加というマイナス面だけが目立って大きな反対を受けたのですが、それは簡略化された足場だけで建設可能であり、クーポラの頂点から八本のリブに分散された荷重は八角柱の形をしたドラムでしっかりと支えられ、さらにランタン(頂塔)が冠せられれば構造的にはいっそう安定するという斬新なアイデアと鍛密な計算によるものでした。

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ところが、審査委員会は実績のないブルネッレスキひとりの手にフィレンツェ共和国の威信をかけた大工事を委ねるわけにはゆかないという理由から、共同責任者にギベルティの名を連ねることで承認すると結論しました。

ブルネッレスキはまたしても仇敵ギベルティとの対決を余儀なくされたのですが、やがて建築に関しては素人同然のギベルティはその無能さをさらけ出してしまい(そうしむけたのは他ならぬブルネッレスキですが)、解任されたので、ブルネッレスキは意気揚々と1434年にこの難工事を完遂しました。

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この大クーポラには、ぜひ登って下さい。

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大聖堂内から階段を昇り、二重構造になったクーポラの間を抜けて高さ100メートルのランタンから眼下に広がるパノラマを眺望する時、現在の私たちでさえ、フィレンツェの、さらにはトスカーナ地方の中心に自分は立っているのだという感覚を覚えるのですから、当時のフィレンツェの人々はさぞかし誇り高い優越感に浸ったのではないかと想像できるのです。

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話は1世紀ほど後のことになりますが、ミケランジェロがフィレンツェからローマに呼ばれ、カトリックの総本山たるサン・ピエトロ大聖堂再建の総監督に任命され、ブルネッレスキの大クーポラに負けぬものを要求された時、彼は次のように答えました。「お言葉ですが、いくら教皇様のご依頼でも、そして私の力をもってしてもあれより美しいものはできません。私は、ただフィレンッェの妹をつくるべく最善を尽くしはしますが」

画像12Cupola, Basilica di San Pietro in Vaticano


〔市民ホールとしての堂内〕

白亜の大理石にグリーンとピンクの石で幾何学的に装飾された華麗としか言いようのない外観に比べて、堂内は意外に殺風景な印象を受けるかも知れません。しかし、そのコントラストが強烈であるだけに、かえって「神聖な祈りの場」であることが実感されます。

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それでも、かつてはもう少し多くの美術で飾られていました。

ドナテッロとルーカ・デッラ・ロッビアが競作した一対の合唱隊席やミケランジェ口晩年の《ピエタ像》などの作品は、現在では大聖堂付属博物館に移されていますから、大聖堂の背後にある博物館にまわってそうした傑作は別に見学したいものです。

画像15Cantoria, Donatello, 1433-1438, Marmo, 348×570×98 cm, Museo dell'Opera del Duomo,  Firenze

画像16Cantoria, Luca della Robbia, 1431-1438, Marmo, 348 cm, Museo dell'Opera del Duomo, Firenze

画像17Pietà Bandini, Michelangelo Buonarroti, 1547-1555 circa, Marmo, 226 cm, Museo dell'Opera del Duomo, Firenze


さて、殺風景に感じるもうひとつの理由は、堂内の巨大な空間そのものにもあります。

主祭壇を通る長軸の長さは、153メートルにも及び、堂内はたった2本の列柱(それも純粋に柱として確認できるのは6本のみ)によって3本の広い廊下(三廊式プラン)に分けられています。

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北方ゴシック様式の教会のように林立する柱の中に立っているのとは大きな違いがあります。(ミラノ大聖堂は、52本もの柱が並木道のように連なっています。)

画像19Duomo di Milano

つまり、柱に視界を妨げられることなく、どこからでも主祭壇のミサを見ることができるわけです。

3万人を収容するという堂内には当時のフィレンツェの住人のほとんどが入れたでしょうから、まさにここは現代の市民ホールの意味があったと言ってもよいでしょう。


堂内にのこるいくつかの作品を紹介すると、まず左側廊の壁面にふたつのモニュメンタルな騎馬像が描かれています(現在は壁から剥がされて、パネル装になっています)。

騎馬上にその雄姿をとどめているのは、15世紀の前半にフィレンツェ共和国のために功労のあった2人の外国人傭兵隊長です。

向かって右は、透視図法の研究に夢中になりすぎて夫婦喧嘩までしたというパオロ・ウッチェッロの描いた《ジョン・ホークウッドの騎馬像》です。

画像20Monumento equestre a Giovanni Acuto, Paolo Uccello, 1436, Affresco, 820×515 cm

その左は、徹底した写実の腕前で知られたアンドレア・デル・カスターニョの描いた 《ニッコロ・ダ・トレンティーノの騎馬像》です。

画像21Monumento equestre a Niccolò da Tolentino, Andrea del Castagno, 1456, Affresco, 833×512 cm


これらの壁画を左手に見ながら堂内をさらに奥へ進むとクーポラの下に新聖具室(Sacrestia Nuova)といって、ミサの準備をする部屋がありますが、その入口の上にはルーカ・デッラ・ロッビアの手による半月形(ルネッタ)の彩色陶板(1444年)があります。

画像23Resurrezione, Luca della Robbia, 1440

「キリストの復活」を主題として青と白で彩色した、大理石の浮き彫りとは異なった味わいの陶板は、暗い堂内で清澄な輝きを放っています。もともと、ルーカは前述の合唱隊席の制作でドナテッロと技を競ったほどの彫刻家でしたが、釉薬をかけたテラコッタの新しい陶板芸術を開発したことで時代の流行を生み、甥のアンドレアとともに数多くの作品を制作しています。

ちなみに、この聖具室はメディチ家に対する1478年の「パッツィ家の陰謀」という事件の舞台になったところでもあります。


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サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂/Cattedrale di Santa Maria del Fiore

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