《ハルピュイアの聖母》アンドレア・デル・サルト
《Madonna delle Arpie》Andrea del Sarto
アンドレア・デル・サルトの代表作であるこの油彩の祭壇画は、1515年5月にフィレンツェのサン・フランチェスコ・デ・マッチ女子修道院が注文し、1517年に完成しました。
1515年5月14日の注文の契約によれば、板絵は2人の天使によって戴冠される聖母と幼子イエス、両側に福音書記者聖ヨハネと聖ボナヴェントゥーラを描き、1年以内に引き渡されるはずでした。
しかしながら、作品には1517年の年記があり、福音書記者聖ヨハネと聖フランチェスコのあいだに聖母子を描くものとなりました。
聖母子の立つ多角形の台座の隅には、画題にもなっているハルピュイアの彫刻が施されています。ハルピュイアとは、ギリシア神話に登場する、女の顔と鳥の体をもつ怪物です。
中央にある画家の署名の下には、聖母被昇天の賛歌の最初の言葉が記されています。したがって作品は聖母載冠ではなく聖母被昇天となっています。
"AND.[rea del] SAR.[to] FLOR.[entinus] FAC.[iebat] / AD SUMMUM REGINA TRONUM DEFERTUR IN ALTUM M.D.XVII."
少なくともジョルジョ・ヴァザーリやフィレンツェの同時代人は、この怪物をハルピュイアだとみなしていましたが、現代では『ヨハネの黙示録』の9章に登場する「いなご」を表現しているのではないかと考える美術家もいます。
図像全体は『ヨハネの黙示録』の第9章に通じるものと思われ、この絵の中で聖ヨハネは「第五の天使がラッパを吹いた。[中略] 底なしの淵の穴を開くと、大きなかまどから出るような煙が穴から立ち上り」という予言的な一節を読んでいるところと推測できます。
したがって、台座の怪物は、この煙から地上に出てきて「額に神の印」が押されていない人間たちを苦しめたという「いなご」と考えられます。
「いなごの姿は、出陣の用意を整えた馬に似て、頭には金の冠に似たものを着け、顔は人間の顔のようであった。また、髪は女の髪のようで、歯は獅子の歯のようであった。また、胸には鉄の胸当てのようなものを着け、その羽の音は、多くの馬に引かれて戦場に急ぐ戦車の響きのようであった。」と『黙示録』に記述されています。
台座はおそらく底なしの淵の穴の蓋で、ここで聖母は邪悪な力を踏みつけ、2人の天使は蓋を閉じる聖母に手を貸しています。
この作品はまさしくアンドレアの歩みの到達点であり、チンクエチェント(16世紀)初頭の芸術制作上のもっとも意味深い体験を高いレベルで円熟させたことを明示しています。
卓越した色彩の豊かさは、ヴァザーリがかつて、「独得で、まことに類まれな美しさがある」と称賛しました。
聖母の像は、幼子イエスの重さとバランスをとった十字構成のなかに収まり、衣服の強烈な赤が画面中央を照らし、その赤色はまた、マントの褪せた青や、肩にかかる襞をよせた薄布の鮮明な黄色と調和して和らげられています。黄色の布の上には、頭部を覆う白いヴェールの簡素ながら非常に美しい衣文が見られます。幼子イエスはよく描かれるような赤子姿ではなく、やや成長した姿で描かれています。
聖母の左手には、聖ヨハネが朱色がかった赤のマントをまとい、その赤はきわめて洗練された玉虫色の襞によって、衣服の薄紫色と溶け合っています。
反対側では聖フランチェスコが、多様に変化する精巧な色調によって、背景の建築物の上に際立った明確な旋律を形づくっています。
この絵の制作に当たって主題を練り上げたのはおそらく神学者アントニオ・ディ・ロドヴィーコ・サッソリーニでしょう。彼は1515年から1519年にかけてトスカーナ地方のフランチェスコ修道会の総会長であり、サヴォナローラの説教に感銘を受けた人物でした。
ウッフィーツィ美術館/Gallerie degli Uffizi
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