《サン・ロマーノの戦い》パオロ・ウッチェッロ
《Battaglia di San Romano》Paolo Uccello
この絵は、歴史的なエピソード、1432年6月2日にサン・ローマノで起きたフィレンツェとシエナの戦争を描いています。
Battaglia di San Romano, Paolo Uccello, 1438, Tempera su tavola, 182×323 cm, Galleria degli Uffizi (Sala 8), Firenze
2年前からニッコロ・ダ・トレンティーノとミケレット・ダ・コティニョーラに率いられたフィレンツェ軍と、フィレンツェの傭兵でしたが今では敵方についたベルナルディーノ・デッラ・カルダ率いるシエナ軍は、血みどろの戦争状態にありました。戦闘は手詰まり状態で、そこにニッコロ・ダ・トレンティーノが、敵軍の勢力を確認するためにサン・ロマーノに到着します。自軍の勢力は数で劣っていましたが、6月2日コティニョーラ指揮下の兵士と共に挟撃作戦に出ました。
この連作はコジモ・デ・メディチによって注文されたものと長年考えられていましたが、近年の発見によると、シエナに対する戦いの勃発において重要な役割を担ったリオナルド・バルトリーニ・サリンベーニによって依頼されたと考えられています。
画家は史実を的確に再現し、依然中世風で悪夢のような戦闘を劇的に描き出しています。フィレンツェの2人の指揮官が攻撃の合図を送る瞬間と敵将の落馬を描いた3点の作品は、現在別々の美術館に収蔵されています。
《ベルナルディーノ・デッラ・カルダの落馬》
ウッフィーツィ美術館所蔵の本作品では、激しい戦闘の劇的なシーンを描いています。中央の騎士は敗北する敵軍を象徴的に表しています。フィレンツェ軍に押し戻され、槍の一撃を受け落馬寸前です。ベルナルディーノ・デッラ・カルダの落馬を描いたものと長く考えられてきましたが、これは史実にはありません。
石弓と槍で装備したフィレンツェ軍が左から追撃し、シエナ軍は右へ敗走します。敗走のシエナ軍ではなく、追走するフィレンツェ軍であるとする説もあります。背景の耕された丘の陰に両軍の姿が認められますが、歩兵が多いです。
前景の地面には馬や兵士が横たわっていますが、左下の盾の外面にウッチェッロは署名を描き入れています。
1954年に行われた修復によって、背景には狩りの情景が描かれていることがわかりました。
《フィレンツェ軍を率いるニッコロ・ダ・トレンティーノ》
Battaglia di San Romano, Paolo Uccello, 1438, Tempera su tavola, 180×316 cm, National Gallery, Londra, Inghilterra
ロンドンのナショナル・ギャラリー所蔵の作品では、ニッコロ・ダ・トレンティーノは、市政府から与えられた名誉の印を付け、白馬に跨がって軍を率いています。その前にいるのは、兜と紋章からするとミケレットです。
《ミケレット・ダ・コティニョーラの援軍》
Battaglia di San Romano, Paolo Uccello, 1438, Tempera su tavola, 180×316 cm, Museo del Louvre, Parigi, Francia
パリのルーヴル美術館所蔵の作品では、中央で後ろ足で立つ黒馬に乗ったミケレットがすばらしい武具をつけ大きな帽子をかぶり、剣で傭兵たちを鼓舞しています。
ウッフィーツィ美術館/Gallerie degli Uffizi
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