見出し画像

【昭和50年男〜小室哲哉がオレたちにかけたマジック】一部無料公開[1]前半

TK.STAFFです。2023年2月10日に発売されました「昭和50年男 - 小室哲哉がオレたちにかけたマジック」は、もうご覧になって頂けましたでしょうか?

本誌は小室哲哉の魅力をTM NETWORK、TRF、hitomi、globe ... さまざまな小室プロデュース作品や関係者のインタビューを交えながら、一冊丸ごと「小室哲哉」として大特集して頂きました。

そんな昭和50年男ですが、このたび編集部さんのご好意により、なんと!誌面の特集からこのnoteで一部無料公開いたします!

第一弾は「音楽を絶えずアップデートし続けるTKが仕掛けたマジック」。まだ読んだことないよ、と言う方は、ぜひこちらを読んでみてくださいね。

昭和50年男〜小室哲哉がオレたちにかけたマジック

■音楽を絶えずアップデートし続けるTKが仕掛けたマジック(文:ふくりゅう)前半

一聴するだけで心に残るTKプロデュースワークのマジックについて、じっくりとひも解いていこう。

日本を代表する稀代のヒットメーカー小室哲哉。これまで音楽家/音楽プロデューサーとして、たくさんのアーティストを手がけ成功に導いてきた。

1980年代から90年代へと駆け抜けて現在も続く、自身が参加するユニットTM NETWORK(以下、TM)の躍進。渡辺美里を筆頭に、松田聖子、中森明菜、小泉今日子、中山美穂、宮沢りえ、観月ありさなど、時代を代表するポップアイコンへの楽曲提供。

そこで着目したいのが、TKプロデュースワーク期に手がけた、trf、篠原涼子、hitomi、H Jungle with t、globe、安室奈美恵、内田有紀、華原朋美、鈴木あみなど、プロデュースされたアーティストやミュージシャンが、皆口々に〝TKのマジックにかけられた〞と語っていたことだ。

そう、小室による、卓越した音楽プロデュースワークはもちろん、ちょっとした雑談やレコーディング時のひと言、そして強制力のないやわらかな口調でのサジェスチョンが、表現者を一段上のステージへと引き上げアップデートしていたのだ。それを〝TKマジック〞と呼びたい。

結果、小室はオリコン作詞家・作曲家ランキングで4年連続1位(94年〜97年)。オリコン編曲家ランキングで3年連続1位(95年〜97年)という他の追随を許さない偉業を達成した。自らアーティストであり、作詞・作曲・編曲までも一気通貫で手がけ、第一線で最良の結果を出し続けたのだ。

音楽はタイムマシン。人ぞれぞれの記憶と結びつき、物語を奏でる鍵となる存在である。だから小室が世に放ってきた作品は、誰もが自分の主題歌となる〝人生のテーマソング〞と言える。

さらに驚くべきは、80〜90年代サウンドがリバイバルする2023年の現在、小室ソングは令和時代のティーンエイジャーからも評価が高く、世代を超えて歌い継がれている。

あの松任谷由実までもが「シティ・ポップの次にくるのは小室サウンドだって、結構周りの人に言っている」と2022年夏のラジオ番組(※1)にゲスト出演していた小室に向けて語っていた。

※1…TOKYO FMのラジオ番組『Yuming Chord』

小室哲哉を取り巻く時代と環境

音楽の歴史を振り返ると、時に大きなターニングポイントに出くわすことがある。小室哲哉がTMとしてメジャーデビューした84年は、海外では、ブルース・スプリングスティーンが活躍し、国内では佐野元春や尾崎 豊など、ジーンズに革ジャンとTシャツなど、汗を感じるロックが熱かった時代だ。

TMは、小室によるプロデュースワークのもと、真逆とも言える、シンセサイザーとコンピュータによる打ち込みを駆使したエレクトロポップなサウンド、いわゆるニューウェイブな洋楽的サウンドとグラマラスなビジュアルで勝負を賭けた。

逆張りのマジックだったのだ。しかしまだ、日本にはJ-POPという言葉はなく、ポップソングが演歌と並んで歌謡曲と呼ばれていた時代には早すぎた。

では、小室哲哉が音楽家としての躍進のターニングポイントを迎えた瞬間を振り返ろう。それは、86年1月22日にエピック・ソニーからリリースされた渡辺美里「My Revolution」を起点とする。

作詞は、小室と同世代の川村真澄。〝Revolution=革命〞というタイトルとテーマが、社会や大人による子供への支配や抑圧が強かった80年代の空気感にマッチした。多感な青春期の悩みや葛藤に対して、自分なりの答えを見つけだしたことを〝Revolution〞というワードになぞらえたことは、その後の小室の作詞面やテーマ性へ大きな影響を与えた。

小室の音楽面をひもとくうえで重要な鍵となるのが、各時代のヒットチャート上にさまざまなライバルがいたことだ。常に比較対象がいたことが、小室の存在の稀有なオリジナリティを、浮き彫りにしてきたことに着目したい。

83年、3人組だったYMOが〝散開〞した翌年、3人組ユニットTMがデビューしたことは、その空いた席を狙っての戦略だった。その後、時代はバンドブーム前夜となり、BOØWY人気が高まった。ライブバンドである存在感、ビートロックなセンスに影響を受けたことからTMの人気曲「BE TOGETHER」が誕生したと小室は後に語っていた。

88年にBOØWYが解散した後は、光GENJIやSMAPなど、ジャニーズのアイドルともヒットチャートを競い合った。90年代へ入り、時代はCMタイアップ全盛時代となり、B’z (TMのサポートギタリストだった松本孝弘が88年に結成)を筆頭にビーイング系が深夜番組のテレビCMによって一気にシーンへ台頭した。

さらに、トレンディドラマ人気で小田和正、CHAGE&ASKA、松任谷由実、サザンオールスターズ、DREAMS COME TRUEによるヒット曲が時代を席巻していく。ミリオンヒットの時代だ。

小室は、当時TMではなかなかたどり着けなかった〝ミリオン=100万枚〞というCDセールスの壁に悩み、時代と向き合っていくことになる。そして、80年代末のバンドブームから突然変異で現れたX JAPAN、GLAY、LUNASEA、ラルク アン シエルという若きモンスターバンドの活躍、94年のTMN(※2)プロジェクト〝終了〞を経て、小室はプロデューサー活動に集中することでtrf以降、ミリオンヒット、ダブルミリオンヒットを多発するようになる。

時を同じくして〝TK〞イニシャルが話題となったプロデューサー小林武史の手による、Mr.ChildrenとMy Little Lover、ORIGINAL LOVEやピチカート・ファイヴなど対極と呼ばれた渋谷系ともしきりに比較され、98年にデビューした宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、椎名林檎、aikoの攻勢など、時代を超えて、ヒットチャート上ではさまざまなライバルが小室には存在したのだ。

※2…1990年、TM NETWORKはグループ名をTMNと改称(リニューアル)した。

・・・

以上「音楽を絶えずアップデートし続けるTKが仕掛けたマジック」は後半に続きます!(2月18日公開予定)

そして企画からサポートしてくれた"小室哲哉オフィシャル音楽コンシェルジュ"ふくりゅう氏による70曲のプレイリストも公開中!こちらのプレイリストを聴きながら昭和50年男とのひと時をお過ごしくださいませ🙌

Infomation

■【発売中】昭和50年男〜小室哲哉がオレたちにかけたマジック

■【5月27日開催 TK SONGS RESPECT NIGHT】小室哲哉の音楽に、愛と感謝とリスペクトを込めて...DJ KOO、hitomi、マーク・パンサー(globe)が集結

■小室哲哉の音楽世界を直接感じることのできる場所TETSUYA KOMURO STUDIOがオープン!このSTUDIOは小室哲哉とみなさんが 一緒に創る特別な場所です♪


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?