見出し画像

徒然草

「九月廿日の比、ある人に誘はれ奉りて、明くるまで月見ありく事侍りしに、思ひ出づる所ありて、案内せさせて、入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち薫りて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。 よきほどにて出で給ひぬれど、なほ、事ざまの優に覚えて、物の隠れよりしばし見ゐたるに、妻戸をいま少し押し開けて、月見るけしきなり。やがてかけこもらましかば、口をしからまし。跡まで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうの事は、ただ、朝夕の心づかひによるべし。その人、ほどなく失せにけりと聞き侍りし。」(第三十二段)
 
  戦時中に文学界に掲載された小林秀雄の「無常ということ」を始めとする一連の古典論は緊張感ある文体の中にも、歴史と文学を学ぶ楽しみや喜びを教え、読者に精神的な解放をもたらす名作で、数多くの人々に影響を与え続けている。特に「西行」と「当麻」、「無常ということ」は暗記するほど読み、今も折につけ読んでいる。その中で「徒然草」は少し異質な文章である。最近知ったことで、意外に知られていないのだが、小林秀雄は晩年の講演会の中で文芸評論家を志すにあたり、かくありたいと思った存在は、吉田兼好(卜部兼好)であると語っている。小林秀雄の「徒然草」は有名な文章でその内容を読めば小林が兼好を大変評価していることが解るが、後年の「本居宣長」のような大作でなく、ほんの短い文章なので、そこまで大きな存在であったということが実は意外で、小林の精緻で凝縮された文体の秘密を垣間見るような気がした。いや、秘密ではなく、心が解る様な気がした。最近は日暮れが早く、写真を撮りに行く時間がないので、改めて兼好の徒然草(本文)を読んでいる。「徒然草」は教科書に必ず出てくるので、だれもが読んだことがあるものであるが、本当のすばらしさを知る人は意外と少ない。また知らないのではなく、解らないと言った方が正しい。人生経験の浅い人には兼好の言葉がすんなりと心に染み入るはずもなく、ただ記憶の隅に留めている場合が多い。実は自分も昨年の暮れに一部の文章を読み返していたのだが、退屈になりその時も良さが判らなかった。
有名な序章を含め244の文章からなる徒然草はどの段から読んでも良く、それぞれが独立した文章でいづれも名文であるのが、それは原文のこと言っている。名文とは意味合いや内容ももちろんだが、そのリズムも重要で、字面の語学的解釈による訳文は名文にはなりにくい。徒然草を日々読むにつけ、多くの訳文にも接したが、多くが兼好の心持を理解しているとは思えず、特にこの三十二段の解釈には不満を持っていた。それは小林が「無常ということ」で述べている、「解釈で頭をいっぱいにしていて、上手に思い出していない」状態であるからである。
 
「九月二十日の頃、さる高貴な方にお誘いいただき、明け方まで月を見て歩き回っておりましたが、その折、その方が急に思いたたれて、知り合いのお宅へ、使用人に使いをさせて入って行かれた。私は外で待っていましたが、庭は荒れており、それほど裕福ではない様子ではあったが、急な来客にも関わらず、上品な香の香りがほんのりと庭まで漂ってきており日頃の様子が想像される。また大騒ぎすることもなく静かにお話をしている模様で大変優美な方であると思われた。 さる方はしばらくして出てまいりましたが、私はその女性が気になり、少しの間、物陰から様子を見ていると、外に向って開く扉をさらに少し開き月を見ている様子であった。 すぐに扉を閉めて部屋に入ってしまったら残念な気持ちがしたであろうに、まさか自分の様子を見ている人がいるとは気がつかないのであろうから、この女性の行動は、普段からの心使いが表れ、教養の高さや上品さ優雅さを感じさせるものである。   
 この女性はまもなくお亡くなりになったそうです。」(第三十二段)
 
 現代の感覚では、朝まで月を見て歩くことなどだれもしないが当時の上流社会では美しい月を鑑賞することは、花を見るに等しい。徒然草の中でも月を題材にした名文は多い。この女性が誰なのかは知るすべもないが、一夫多妻の通い婚制の終わりの頃の話であるので、さる高貴な方の妻と思われる。当時は結婚しても妻と夫は生計を共にせず、妻は自分の財産で暮らしていた。香は貴人の、みだしなみの一つでありこの女性がある程度の身分の方であったこと、女性には教養は必要とされていない時代にあっても月をめでる気持ちがあり、更に来客を送り出したあとにも、来客への心使いを忘れない優しさに兼好は珍しく、感動し、文の端々からこの女性への好意が見受けられる文章で、徒然草では異色ではあるが、私のこころには深く印象が残った。
 徒然草が読まれなくなって久しいが鎌倉時代のさる高貴な女性を思い出すことも現代人には必要ではないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?