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浪漫としての徒然草

さて、この第三十二段の「月を見る女」については、光田和伸さんという国文学者が「恋の隠し方― 兼好と「徒然草」」(青草書房)という本で新説を展開しています。それはこの三十二段に出てくるある方と兼好は同一人物で、月見る女は結ばれなかった兼好の恋人だったということ。更に彼女との思い出についての記述は徒然草の他の段にそうとは気が付かれないよう散りばめて挿入しているということ。これについての歴史的理解の中での根拠も示され説得力のあるおもしろい本になっています。けれども兼好自身は何も語っていません。そういう見方も出来るのだということはいいのですが、私達の前にある徒然草は、くしくも小林が指摘しているように多くを語らず、それを読者が自分の体験したごとくに思い出し、理解して行くというのが一番いいやり方のように思えます。ですので、光田さんの理解はそれは光田さんの理解であって正しいものであり、他の研究者の方もその人自身の経験や知識の程度により理解して行っていることもまた然りだと思います。ただ一般的には古語辞典をそのまま当て嵌めて訳文を作りこれが徒然草の意味だと言っているのは、甚だ意味不鮮明というか明らかにおかしい。私にとっての月見る女は、兼好が垣間見た好ましい女性であり、あきらかに前三十一段の雪の美しさを書かないといって拗ねている女性とは別人なのです。


「雪のおもしろう降りたりし朝、人のがり言ふべき事ありて、文をやるとて、雪のこと何とも言はざりし返事に、「この雪いかが見ると一筆のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるる事、聞き入るべきかは。返す返す口をしき御心なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。 今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。」(第三十一段)


「雪が情趣深く降った朝、所用があり手紙を書くと、その内容に「雪の事が一言も書かれておりません。そういう趣を解しない無粋な方の願いは聞き入れません。」と言われたことがあった。今は亡くなった人であるが、そういった些細な事も忘れられない。」(第三十一段) この三十一段は明らかに兼好の恋人との思い出話です。

三十一段は前の三十段、二十九段と1セットになる文章で、二十九段において、亡き恋人の遺品を見るにつけ、心が痛む様子を述べ、三十段においては、その方の葬儀の様子を書いています。そして、三十一段において、思い出を語っています。飛んで三十六段にも、余り通わなくなった女性の心遣いに関する思い出が書かれていますが、これも兼好自身の体験談であることから、美談として捕らえるなら同じ方とも推測されますが、生涯独身であった兼好の恋人は一人きりとは考えにくいので、読む方の判断になりましょう。さて、問題は百四段です。こちらの文章も三十二段にも劣らないほどの名文で、原文を読めば読むほど情景が浮かび、兼好の心情が強く響いてきます。

「荒れたる宿の、人目なきに、女の憚る事ある比にて、つれづれと籠り居たるを、或人、とぶらひ給はむとて、夕月夜のおぼつかなきほどに、忍びて尋ねおはしたるに、犬のこと々しくとがむれば、下衆女の出でて、「いづくよりぞ」といふに、やがて案内せさせて、入り給ひぬ。心ぼそげなる有様、いかで過すらんと、いと心ぐるし。あやしき板敷に、暫し立ち給へるを、もてしづめたるけはひの若やかなるして、「こなた」と言ふ人あれば、たてあけ所狭げなる遣戸よりぞ入り給ひぬる。内のさまは、いたくすさまじからず。心にくゝ、火はあなたにほのかなれど、もののきらなど見えて、俄かにしもあらぬ匂ひいとなつかしう住みなしたり。「門よくさしてよ。雨もぞ降る、御車は門の下に、御供の人はそこそこに」と言へば、「今宵ぞ安き寝は寝べかンめる」とうちさゝめくも、忍びたれど、程なければ、ほの聞ゆ。
さて、このほどの事ども細やかに聞え給ふに、夜深き鳥も鳴きぬ。来し方・行末かけてまめやかなる御物語に、この度は鳥も花やかなる声にうちしきれば、明けはなるゝにやと聞き給へど、夜深く急ぐべき所のさまにもあらねば、少したゆみ給へるに、隙白くなれば、忘れ難き事など言ひて立ち出で給ふに、梢も庭もめづらしく青み渡りたる卯月ばかりの曙、艶にをかしかりしを思し出でて、桂の木の大きなるが隠るゝまで、今も見送り給ふとぞ」(第百四段)


冒頭の「荒れたる宿の」という言葉は、三十二段に出てくる、「荒れたる庭」と同義で、男性が通わなくなって久しい家ということです。(この決まりごとは光田さんの本で知りました)次のある人というのは、「心ぼそげなる有様、いかで過すらんと、いと心ぐるし。」など一連の文章から推察するに間違いなく兼好自身です。中盤に出てくる「俄かにもあらぬ匂ひいとなつかしう住みなしたり」でも三十二段同様、来客を受けて急に炊いてたものではない香の薫りが出てきます。この「なつかしう」という言葉は間違えやすいのですが、高校の古文ではちゃんと教えています。「懐かしい」のではなく、「親しみやすい」とか、「心ひかれる」という意味です。このように三十二段と深夜女性宅を訪ねる様子は共通していますが、三十二段においては、家の内部や会話の内容までは書かれておらず、自分はあくまでも傍観者です。一方この段は、死の床についたかつての恋人を見舞った時の体験を描いた哀切溢れる文章です。

「薄雲がかかる月明かりの下、長く患っている女性の家を訪ねた。番犬に吼えられながらも、取次ぎの女中に話をして、家に入れてもらう。家の貧しげな様子は、どのように暮らしているかが思われて大変心苦しい。床板もこわれそうな部屋で待っていると、意外と明るく若々しい声で「どうぞこちらへお入りください」との声。狭い遣戸から中へ入ると室内は思いのほか華やいでおり、調度も揃っている。また急に炊いたのではない香の薫りもとても好ましい。部屋の外で、女中達が「門はよく閉めてよ。雨も降りそうなので、牛車は門の下へ、お供の方はここそこへ」などと言いまた「今晩はよく眠れるわ」などのひそひそ話も聞こえてくる。
さて二人で今までのことや、これからの事を話していると時間の経つのも早く、鳥の声が聞え、夜が明けて来たようだ。人目を忍び暗いうちに帰らなければならないところではないので、ゆっくりとしていると、隙間から朝日がこぼれてくる。最後のお別れの言葉を述べ立ち去ったのだが、家の外は5月の新緑が曙の光に照らされて美しく輝いていた。
この家の近くを通りかかるたび、この事が思い出されて、その家にある大きな桂の木が見えなくなるまで見送りをしている。」(第百四段)

訳文にすると本文のもつ言葉の韻律が失われよくありませんが、おおよそこのような意味になるかと思います。今は亡き恋人を思い出しながら兼好は二十九段から三十一段そしてこの百四段を書いたのではないでしょうか。そして月を見る女の三十二段は似てはいますが、意味合いが違い、別の女性のことを書いたことが解ります。続いて次の百五段も、また名文で、若い二人の逢引の様子を描いています。こちらは、今は亡き女性との最後の別れを描いた前段に続いていますので、関係があるようにも思えますが、兼好はこの場面に遭遇し、若い頃の自分と姿を重ねたのかもしれません。しかしながらそのことには一切触れていないところが、徒然草の名文たる所以に思います。

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