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小林秀雄 「無常ということ」 と古き美しいかたち

「祇園精舎の鐘の音(こえ) 諸行無常の響きあり。紗羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、唯春の夢のごとし。猛きものも遂には滅びぬ。偏に風の前の塵に同じ。」 

 この有名な平家物語の書き出しが多くの人を誤らせたと小林は言う。平家の作者には高邁な思想などというものはなく、無常観という当時流行の思想を言ってみただけなのである。ということは「無常ということ」の最後に出てくる有名な一節、「現代人は鎌倉時代の此処のなま女房ほど無常ということがわかっていない。常なるものを見失ったからである」との謎かけとどういう繋がりがあるのか。中世の無常観は当時流行の思想。平家の書き出しを読めば一目瞭然であるが、元々これは仏教思想である。ところが、「この世は無常とは決して仏説というものでもあるまい」と書いていて、「それはいつ如何なる時代でも人間のおかれる一種の動物的状態を言うのである」と言っている。これはどういう意味なのであるか。鎌倉時代のなま女房は一言芳談抄の中で、「諸行無常のあり様を思うに、この世のことはとてもかくても候、なお後世を助け給えと申すなり。」と言ったという。浄土宗僧侶の言葉を集めたものが一言芳談抄であるので、この後世とは死んだ後の世界のことで、なま女房とはそのまま訳せば、若い女官あるいは今風に言うと若いOLのことであるが、その女性が「諸行無常のこの世のことは‥」と言っているのである。一方、平家物語の作者には、厭人や厭世観はなく、諸行無常とはほど遠い存在であった。諸行無常とは、文字通りこの世の中には、同じ形のまま存在するものは一切ないという状態を表す仏教用語であるが、小林の言うように、中世においてこれは自明の理として、人々の日常生活に入り込んできていた。仏説ではなく、人々は常にそれを体験していた。この世は無常なるが故に、厭世観というものが生まれてくるのだが、一方永遠なる御仏の教えに帰依し来世を望むことにより、今をより良く生き抜くという健全な精神の持ち主も数多くいた。もちろん兼好のように生得に健全な精神と肉体を持つ人々もいたのである。ここで、小林の言う、人間の動物的状態というのは、人の考えや行動も諸行無常なるが故に動く者(物)と言っているのである。方丈記はほぼ同時代の作であるが、この病的なまでの厭世観は単なる愚痴話に過ぎない。未来を信じない人が現代には数多くいる。人は死ねば終わりという考え方は、それほど古い思想ではない。それは19世紀にマルクスにより広まった。この猛毒は現在も人々の意識下で猛威を振るっている。「永遠なるものを失ったからである」とはこのことを指すのである。

小林秀雄は二十代後半から四十四歳まで明治大学で教鞭をとり、三十六歳で教授に昇格。その間、日本文化史を教えていた。大変おもしろい授業だったという。そこで小林は「新しい歴史の解釈」を展開していったのである。ところが、歴史を研究すればするほど、動かし難いものであると感じ始める。その考えはドストエフスキーについて詳しく調べた頃から持つようになったようだ。「人は自分が理解できる範囲で、自分に都合がいいように歴史を解釈したがる」という趣旨のことを言っているが、自分なりに理解したつもりでも、それは自分の都合で繋ぎ合わせた結果であって、更に詳細に事実関係を埋めて行くと、様々な矛盾撞着点が出てくるようになる。そういう徹底した研究態度をもってみてもいいではないかという。歴史事実あるいは歴史的作品をより良く知るために、その時代背景などを丹念に調べることは歴史理解への道であるが、それが流れとして必然に起こったあるいは、成立したということだけが歴史を本当に理解することであろうか。なるほど制作過程や制作動機は興味深いものであり、またそれに連なる前時代からの流れや後世への影響というものも大切であるが、それは歴史の教科書や専門書にすべて書かれていることである。それを記憶することは易しいことなのであるが、それだけでは、幾年月を通して感動を与え続けた事あるいは作品の秘密乃至本質は説明がつかない。ではどうすれば良いのか。どうすれば、歴史の本質に迫ることができるのか。小林は言う、「上手に思い出さなくてはいけないだろう」 つまり歴史を正しく見るには、歴史学者や国文学者の視点ではなく、詩人としてのものの見方が必要であり、これは大変難しいことであるという。これは文字通り難しいことであるが、私は以前にも書いたが、わがこととして思い出すようにすればいいと思う。ただ気をつけなくてはならないことは、「当時の人が思ったように」思い出さなくてはならないのである。

「上手に思い出すことは難しい、それは過去から現在向かって飴のように伸びた時間という蒼ざめた思想から逃れる唯一の本当に有効なやり方のように思える」この時間という思想の解釈が「無常ということの」の中でも論議を呼ぶ部分なのであるが、時間ではなく、時間という蒼ざめた思想と書いてあることが大切で、通常我々が考える時系列的物理的な時の進み、放たれた弓の如く一直線に進むという時間の概念という考え方では、歴史を本当に理解することはできないと言っているのである。歴史というものは、過去に起こった人間の痕跡を示すものだが、自分についての過去の事柄に思いを寄せるとき、人は思い出だすということをするのだが、同じように例えば、徒然草を読み鎌倉時代の人々や兼好に思いを寄せることも同じ態度で、そこには物理的時間というものはない。今思い出していること、その時点で厳然と歴史は自分に歩み寄ってきているということを言っているのである。小林秀雄は「感得する」と言う言葉を使っているが、その対象たる歴史的事実に直に入り込み「感得」するのである。感得とはベルグソン的には直感ないし直覚という言葉と同じことであるが、小林のこの考えは彼自身も述べているが、荻生徂徠の「学問は歴史に極まれり」という思想と良く似ている。この徂徠の言葉は、歴史を学ぶ重要性を言っているのではない。学問することは即ち、歴史に接する態度と同じであると述べているのである。また小林は自然に対する芭蕉の考え方、取り組み方の「風雅」という態度も本来はこのようなものだと述べている。上手に思い出すには、心を虚しくし、先入観や既成観念を常に疑いながら謙遜の態度で相手(歴史)に接しなければ相手は胸襟を開かず、何も教えてはくれない。注意しなければならないことは、心を虚しくし相手と一定の距離を置くのではないということで、相手の懐に深く入り込まなくてはならないのである。そういった態度で臨むならば、歴史は自ずからその秘密を明らかにしてくれる。鎌倉時代の人々が語りかけてくるのである。こういった小林秀雄の歴史概念は、歴史や時間は矢の如く一直線に先に進むのではなく、自分という視点から見ると、循環し、自己にまた戻ってくるのである。僕らを差し招く(平家物語)のである。

この歴史に対する態度を小林は論じている一方、いわゆる現代の歴史認識についても、苦言を呈している。つまり歴史は進化するものだ、発展するものだ、進歩するものだというという考え方は間違っているということはっきり言っている。多くの歴史学者は歴史は発展するものと定義する。また我々も新しいものほど良いものと考えがちである。この唯物論の思想は深く人々に浸透しているのだが、それでは、源氏物語以上の小説が出てきているのだろうか。万葉集以上の歌集が出てきているのだろうか。徒然草以上の評論文が出てきているのだろうか。多くの人々は唯物論の登場により本来人間の持つ健全な自ら考える力を捨ててしまったかのように見える。「時間という蒼ざめた思想」はこのように二つの意味で使われ、一方は誤った人々の歴史への態度、そしてもう一方は誤った歴史認識を語っているのである。 
永遠なるものを失った現代的視点で見てはならない。

さて、「上手に思い出す」という態度について少し説明をしてきたが、まだ不十分であるのでもう少し続けたいと思う。小林が古典論を発表した昭和17年の同時期にバッハの思い出をバッハの二度目の妻が書いた本を読みその感想を書いた小林の小作品があるが、結びとして小林が紹介していることが小林にとって大変重要な意味を持つ言葉であったろうことが伺われる。「(バッハは)常に死を憧憬し、死こそ人生の完成にあたると思っていた」というくだりである。同じ頃哲学者の三木清との対談で、三木は「人間とは小説的動物である」と言っている。小林の言う「人間になりつつある一種の動物」(無常ということ)という比喩も同じ意味であろう。死こそ人間の完成であり、生きている人間はどうも何をしでかすか判らない。前述した動く物ということである。物とは物理的な物ではなく、悟性というようなものでもなく、形と言った方が適切かもしれない。歴史上の古典作品は完成されたもので、我々がこれを解剖するが如く研究するのであるが、これはまた一般にはやっかいな事であるが快感を伴うものであると小林は言う。古典作品や優れた美術作品を鑑賞するには、死体を解剖するだけでは魂は判らない。上手に思い出すとはその対象を心を虚しくして思い出すと述べたが、何を。当時の作者と人々の感動を思い出すことなのである。それには作品を人が子供を愛するが如く受け入れる気持ちがなくてはならない。小林は鑑賞するとは模倣することだとも言う。「全ての芸術は模倣に始まる」とはダヴィンチの名言だが、模倣は芸術作品の卵でもあるが、模倣することにより鑑賞という態度も芸術に近付くばかりでなく、その本質を一つにする唯一の道であるということを述べているのである。「無常ということ」の冒頭のかんなぎの真似をしたなま女房の話を小林は、「古びた絵の細頸な描線を辿るように」思い出したと言うが、その瞬間まさに模倣したのである。そして一言芳談抄の一文を我が体験、我が物としたのである。優れた芸術作品の鑑賞とは、漫然と見ることではなく、もっと積極的で強い態度で作品に臨み我が物とする態度を言うのである。そこに存在する永遠の美しい形をしっかりと見てとり同化することなのだ。それにより僕らは身も心も救われるという。(伝統)私はこの一連の文章で小林の難解とされる歴史認識の解説というようなことを考えているのではなく、小林秀雄の「こころ」を伝えて行きたいと思っています。

坂口安吾が屁理屈だと決め付けた有名な言葉、「美しい花がある。花の美しさというもはない」(当麻)とは感動が最初にありきというごく当たり前の事を人々が忘れているということ言っているのである。ここでいう「花」とは、世阿弥の「花」であっても良いし、単に「花」でも又、「自然」でも良い。又優れた作品を見て素直に感動するということ。このことは、即ち製作者の動機たる感動が見るものに伝わってくること。言うまでもないが、「像(かたち)花にあらざる時は夷狄にひとし」という芭蕉の言葉は日本人の美意識を表している。小林の考えもここにあり、小林秀雄の花とは「古き美しい形」とも言える。

2009年2月 記

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