中世を繰り返す世界

 中世と近世の境目に何があったかといえば、大航海時代なのは自明なことと思う。西欧だけが何故成功したか、みたいな問いが欧米人は好きなのだが、そういう本にはたいてい、アフリカの奴隷や新大陸からの略奪は描かれていない。

 世界の植民地から得たものをいけにえに捧げ、彼らは帝国主義システムを召喚した。
 帝国は中心と周縁からなる。
 周縁から搾取したものを中心に集め、集めたものを力としてさらに周縁から搾取する。それは不可逆的な破壊行為であり、世界大戦で中断したものの、細部を変えて現在も進行している。
 アメリカは世界から来る移民を搾取した。
 中国は(そして成長期の日本も)中央のために地方を搾取した。
 ヨーロッパは移民を招き入れて搾取した。
 しかしここで帝国主義(グローバル資本主義と言ってもいい)は、限界を迎える。
 周縁が荒廃し、中心に流れ込んだ搾取の対象が、中心部の安定と繁栄を逆に食い尽くすようになる。
 それが、今世界で(そして日本で)起きていることである。

 周縁部に既に安定はない。中心も民族的文化的対立によって手の付けられない事態になっている。
 広域の物流を担うインフラは機能しなくなる(日本のような交通網や電気水道網は他の国々にはもはや/最初から存在しない)。
 グローバルなシステム/帝国は維持されえない。
 ロシアからのエネルギー供給の損失を、ヨーロッパは乗り越えることができないだろう。
 世界は中世のような、狭域の小勢力が分立するようになるだろう。
 すなわち中世への回帰である。
 
 興味深いことに、欧米はこれを文化的に先取りしている。
 多様性という名の同質的価値観が、中世の教会に代わるものである。
 この新たな教会は中世の教会と同じように、禁欲的で、寛容性を欠き、人々を協調ではなく分断へと向かわせる。
 自らが最高の権威として君臨し、中世の教会が逆らうものを破門したように、意見を異とするものを差別主義者として排斥する。

 歴史の歯車は逆転させることはできないが、同じ方向に加速させることは容易らしい。
 宗教や民族で分断された世界は、さらなる分断を加える方向にならたやすく進めることができる。
 グローバルシステムの片隅で不公平や孤立を感じていた無力な人びとは、新たな帰属先を求めてこの分断に自ら力を貸す。

 中世の人々が無数の職能によって階級化されていたように、人種と性によって未来の人々は階級化される。
 
”一度目は悲劇として、二度目は喜劇として”
 歴史はこのように繰り返される。
 
 理性や自由や寛容さに対して、唯一の公的な正しさが勝利する時代が来る。
 いや、すでにそうなっているではないか。

 
 
 
 
 
 

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