Vtuber的なものの向こうに見える未来

DEIとか、LGBTQ+とか、あの手の人たちがいうのが、「誰もがなりたい自分になれる」というスローガン。
 実際には与えられたステレオタイプの中から今とは違う何かを選んで、違ったと思ったらまた別の選択肢を選んだり、もう選べなかったり、ということでしかない。欧米には本当の自由がなく、そして何より寛容さが欠落しているので、彼らがお題目で言うような世界には永遠にたどりつけない。

 私は昭和生まれの薄汚いおっさんだが、彼らの言い分を信じるならば、「17歳の金髪美少女レズビアン」と自認してもいいはずで、周囲はそれを尊重して、ちやほやしてくれるはずである。そうならないなら、社会が間違っている! と主張していいはずである。

 しかしながら、昭和生まれの薄汚いおっさんであっても、声を電子的に加工し、「17歳の金髪美少女レズビアン」のアバターを誰かに作ってもらえば、インターネットの世界では「誰もがなりたい自分」になれてしまう。そういうものとして周りも扱ってくれる。
 そういう点では、日本のオタクたちは海外の活動家よりも何周分も先を行っている。

 大手のプロダクションに属する人気Vtuberは、働くのがばかばかしくなるような大金を稼いでいるが、それはピラミッドのてっぺんの景色に過ぎず、新時代のビッグビジネス、みたいにとらえるのは芯をはずしている。

 一説によれば、毎月300人以上のVtuberがデビューしているとのこと。もちろんほとんどが個人営業であり、チャンネル登録数が一万もいかない、ビジネスとして立ち行かない人たちばかりである。
 その中の多くは、一攫千金を夢見ていたり、あこがれのアイドルVtuberのようになりたいと願っていたり、Vtuberとしての成功をあしがかりに、何か別のものになりたいと願っていたりする。

 しかし中には、みんなと時間を共有できるだけで楽しい、という層がいるのだ。
「この活動をしていなかったら、私は一人でゲームしながら一人でぶつぶつ言ってるだけの人だから、つながってくれる人たちがいるだけでとても嬉しい」みたいな。

 ここまでくれば文化というか、精神的な生活空間である。

 誰もが好きな人種、性別、年齢を選べ、その気になれば動物や神話生物にだってなれる。
 これこそが自由な多様性社会であり、搾取と人種間憎悪にあふれた物質世界に疲れた人々は、救済をもとめて押し寄せることになるだろう。
 昔のサイバーパンク小説にあったように、人々は皆己のアバターを持ち、そこで、物質世界とは別の人間関係を構築していくだろう。

 そういえばそんなアニメ映画もあったが、もはや未来の話ではない。
インフラも技術も十分に整い、質を追求しないのなら、安価に手がとどく。

 電力供給が不安定化して、インターネットそのものがあてにならなくなる未来も見えないではないが、「絵畜生」と「アニメ絵に発情する気持ち悪いオタクたち」が未来を創っていくのは、痛快ではないか。
 彼らには頑張ってほしいと思っている。
 

 
 

 
 
 

 
 
 
 

 

 

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