世界のゴミ問題概観:公共サービスの危機とコミュニティの自律

 中国のある都市部では不況のためにゴミ回収が滞り、市中に積みあがったゴミが炎天下に悪臭を放っているとか。
 中国国内でもかなり豊かな地域だとのことで、他地域でも同様の現象は起きている模様。
 中国人は日本人と比較すれば遵法精神の乏しい人々だが、彼らにして、目の前のゴミを勝手に、あるいは話し合って安全な場所で焼却する、ということはしていない。
 
 南イタリアでも以前、理由は違うがゴミ回収が機能不全に陥り、やはり街中にゴミが放置される状況になっていた。
 中国の都市と比べれば昔からの住民が多く、コミュニティ意識は比較的高いはずだが、それでも自発的なごみ処理は行っていない。

 アメリカは人口一人当たりのごみ排出量が、ダントツで世界一の国だが、ニューヨークはヴァージニア州にゴミを送りつけ、アメリカ全体では中国にゴミを買い取らせている。
 路上生活者の多い危険地域の映像をいくつか見ると、ゴミが山をなしてはいるが、放置されてもいない様子。民間レベルで清掃が行われているらしい。

 インドのゴミ回収率は70パーセントと低い。ゴミ集積所が枯渇してもいるとのことで、都市部にゴミが山をなしている画像を確認できた。街中のゴミ回収場所でゴミが燃えている映像も。火事なのかゴミ処理なのかはわからない。
 
 資本主義が回り続ければ貧困は拡大する。局地的に豊かになることはあっても、全体としてみればどこかに豊かさが吸い上げられている。
 公共サービスが維持できない状況は、今後拡大しているだろう。たとえば、道路インフラが日本レベルで維持されている国はほぼないらしい。舗装の亀裂や陥没が数年単位で放置されていることが、欧米でも珍しくないとか。
 
 各国の文化、国民性などの特殊事情はあろうが、今後必要なのは、コミュニティが自ら考えて行動することであろう。
 急速な都市への人口集中によって、全国的に地域コミュニティが破壊されたのは、かつての日本ばかりでなく、中国やインド、途上国のほとんどで見られることである。だが、公的なインフラの整備や維持管理がおぼつかなくなっていく中、もう一度、我々は地域の連帯を取り戻す必要がある。
 余力を絞り出して地域の平和を維持しなければならない。文句を言っていても誰も助けてはくれないのだから。

 アメリカは多様な文化民族の集まりだが、貧困地域への炊き出しや清掃ボランティアが生きている国でもある(どれくらい実効性のあるものかは知らない)。この点に関しては、アメリカから学ぶべきことがあるかもしれない。

 

 

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