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大田区郷土博物館へ

こんばんは。今日もおつかれさまです。
やる気がなくてすいません。東京散歩、いろいろやってますが、なかなか記事にできてません。
以前、秋葉原の歴史を書こうと豪語していました。やります、やりますよ!
ただ、ちょっと浮気をしてしまい。
渋谷区、港区、目黒区、大田区などの郷土資料館や博物館を見学してたんです。
で、いろんな妄想が広がり。大山道の記事を書いたなら、いつか東海道も歩いてみたいなあ、とか。

いろいろ工夫して書くと、けっこう時間がかかるのですが、けっこうそんな時間がとれませんで。怠け者なんですよ。動きたくない。

で、写真を撮りまくったのもあり。渋谷区と港区の博物館は写真NGでしたので、いつか妄想を文にしたり雑な図とか描いて載せていきたいと思ってます。まあ、渋谷はけっこう、大山道の記事で紹介したし。

で、今回は大田区の郷土博物館のレポートを、何とか言葉少なめで書いていこうと思います!

まだ日本列島が出来ておらず、ユーラシア大陸とつながっていた時代。ここに人がいて、暮らしていたのが、「見つけて分析してみた」が凄いこと。

ここの1つの「売り」は、犬の骨が見つかったことかな。さらに、ていねいに埋葬されていることから、飼われていたことが推測できる。

そんな縄文時代、この辺りは海に沈んでいたと思いきや、台地に人がいたらしいね。けど、品川、大森、目黒の山々のそばには海が近づいていたのかな。

暮らしの様子が見えてきます。

一番みたい中世の記録が少ない。けど、記録自体少ない時代。

江戸時代は、麦やら野菜やらの産地か。
明治時代には胡瓜の生産が、この馬込の地に広まる!

工業生産だと、麦わら細工がさかんでしたのよ。

大森やら海沿いは、港区同様、漁場!

浦安とにてるな。

帰宅は、大森へ行くか(東へ遠回りして第一京浜、本来の東海道)、五反田まで第二京浜(第一京浜の迂回路として作られ、山手線の五反田まで直線)で行くか迷う。

けど行きなれた戸越銀座とかあるから、第二京浜へ。山手線の方が自宅まで近道だし。

はぐれ雲

歩き3キロ、時間で二時間。
五反田で夕食(鶏肉)を買い、帰宅に。

馬込→中延→戸越→五反田と、第二京浜を歩きました。山道だったのかなあ。

交通量が多いこの地域、江戸時代はどうだったのか。まあ、今回はただの途中経過。
またいずれちゃんと書く。
川瀬巴水の大森海岸。

鈴ヶ森の道路は海岸だったのか。その海側にある埋め立て地、品川水族館や大井競馬場は台場というペリーなど外国船砲撃用の台場と同じ埋め立て地か。

五反田駅前。目黒川の船の発着場が。橋のライトアップきれい。

まず、大山の続編書きます。そしたら秋葉原だ!


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