暇こそが幸福である

実はnoteのほとんどは仕事中に書いている。社畜を名乗る身としてはあるまじきことだが、業務の繁閑でどうしてもいわゆる社内ニート的になってしまうタイミングが発生するのだ。ちゃんとした人たちならそういった空き時間を利用して業務の効率化に励んだり、勉強したりといった、普段できない仕事に関わることをやるのだろう。だが悲しいかな、僕はまったくもってちゃんとした人じゃない。ExcelとWordを仕事をしてるフリをしたり(1割くらいは本当に仕事をしている)、Googleストリートビューで旅をしたり、そしてnoteを書いたりしている。文章を書くのはライターの本分であるのだから、これも仕事の一環であると言い聞かせながら。

それにしてもここ3週間ほど、あまりにも暇を持て余している。仕事が終わってしまえばゆるキャン△を見ることで忙しくなるのだが、なぜだか仕事中が暇だ。先月、先々月は怒涛の忙しさだったことを思えば、まあ頑張った自分にご褒美が来たということだろう。これをご褒美と捉える時点で社会的にはダメ人間なのだが、僕はダメ人間なので特に問題ない。さて、この暇をどうしてくれようか。暇を持て余しているからといって、あまり大っぴらに他のことをできないこともまた事実である。前職ではこういうとき、特にこの時期は宣伝会議賞のコピー出しをしたりしていたし、それはそれで勉強熱心だと評価された(会社的なやつではない)が、現職は業界的にそういうことが評価されることはない場所だ。だからこうして仕事をするフリをして、無駄に時間を過ごしているのである。このnoteもブラウザの表示を30%くらいに落として、傍目には何を書いているかわからないもののライターっぽい仕事をしているなという印象を与えるようにしている。成功しているかはわからない。もしかしたら言わないだけで、こいついっつも遊んでんなと思われているかもしれない。ダメ人間だ。

そういえば、僕はあまりnoteの機能を使いこなせていない。ただただテキストをズラーッと打ち込んでいるだけである。でも本当は小見出しとか付けてみたいし、文字を大きくしたりしてみたい。ここで練習してみよう。

1.思えば暇つぶしから始まったサイクリング

見出しに対して導入があまりにも長いが、それは目を瞑ってくれ。

10年以上も前のことを振り返るが、高校生活は楽しかった。クラスメイトとも仲が良かった(と僕は思っている)し、行事もなかなかに盛り上がった。だがちょっと、いや、かなり後悔していることがある。部活をやらなかった、というかやりきれなかったことだ。小中学校で野球をやっていた僕は、高校でも野球部に入部した。僕の通っていた高校は公立校で、野球部は強くも弱くもない普通の学校だった。新潟じゃあ日本文理、明訓、中越あたりが甲子園へ行くのが相場で、その甲子園でも1回戦負け、よくて2回戦負けが関の山という野球弱小県である。その潮目が変わったのは間違いなく2009年の日本文理の快進撃だろう。今でも語り草である。2009年以降の新潟代表は時々3回戦くらいまで勝ち上がるし、序盤で敗退するときも強豪校相手に良い試合をすることも多くなった。まあそれは今はいい。野球のことになると脱線してしまう。オタクの悪い癖だ。

とにかく、僕が入部した野球部は県内も目立ちはしないチームだった。県予選の1回戦や2回戦で負けることはそうないが、ベスト8になれれば良い方という「ちゃんとした野球ができる」というレベルの学校だ。そんな程度の学校でも、野球部というのは野球部である。夜遅くまで練習するし、先輩に対する礼儀も叩き込まれた。極めつけは「シメ」である。うちの高校にもシメはあった。古い高校だからな。超怖かった。トレーニングルームに1年生が集められて先輩を待っていると、急に電気を消されてバットを持った先輩たちの殴り込みだ。今思い出してもめっちゃ怖い。暴力行為があるわけではないが、脅しとしては充分すぎる。これで1年生は奴隷となるわけだ。ちなみに、正座をしている僕の頭に先輩が持っていたバットがコツンとかすったとき、その先輩は「ごめん」と言いながら頭をなでてくれた。シメの意味とは。やりたくもないシメをやっている先輩もいるのである。かわいそうに。

だが、僕はこのシメを経ても辞めようとは思わなかった。良いか悪いかで言えば間違いなく悪いことで、褒められた行為ではないだろう。実際、僕が卒業したあとだったか、その前だったか。このシメが近隣住民に目撃され(道路に面した部屋でやるんだから当たり前である)、学校にクレームが入ったことがある。そんな行為を見てもなお辞めようと思わなかったのは、ただ純粋に野球がやりたかったからだ。どうせ僕は1年の間、どころか2年生になってもレギュラーにはなれないだろう。そうなるとまともに野球ができるのは1つ上の世代が引退してから。2年の秋以降だ。それまでは弱い立場なんだから、この程度のことはあるだろうと最初から思っていた。

それでも僕は辞めてしまった。理由の詳細は伏せるが、大まかに言えば人間関係がうまくいかなかったことだ。同級生達の人間性に違和感を覚え、「こいつらと仮に甲子園に行けても嬉しくないな」と思ってしまったところで、プッツリと糸が切れてしまった。顧問に退部を申し入れ、その日から僕は帰宅部になった。在籍期間はせいぜい3ヶ月程度だった。

それからの日々は、楽しかった。授業が終わり、グラウンドへダッシュしていた日々ではなくなった。同じ帰宅部の友人たちと教室で談笑し、ラーメンを食べ、1人の日はラジオを聞いていた。それはそれは楽しかった。楽しさと同時に、ぽっかりと心に穴が空いたようでもあった。体を動かし、声を張り上げ、泥まみれになる。そういう時間がなくなり、行き場のないストレスが溜まっていた。

だから、土日は暇つぶしがてら「放浪」と称してママチャリで勝手気ままに街を彷徨っていた。ラーメンを食べに行く。中古のCD・ゲームショップへ行く。電気屋へ、古着屋へ、本屋へ行く。ママチャリを漕いでどこへでも行った。今思えば狭い行動範囲だ。「だいたいこのへんまで行ったな」という記憶を頼りに、家から一番遠い地点同士を直線で結んでもせいぜい15キロ程度だ。市外へ出たことすらない(合併後の新潟市は結構広い)。それでも、僕の暇つぶし、ストレス発散にはちょうどよかった。これが今のサイクリングもどきのルーツになっていることは間違いない。

今でも部活をやっていなかったことは確かに後悔している。当時は視野狭窄で、野球じゃなければ全部つまらないものだと思っていた。こんな考え、今だったら絶対にしない。他のスポーツだって面白いだろうし、文化部にも興味深いクラブはいくつかあった。学生時代にしかできなかったであろう経験をできなかったという点については、後悔してもしきれないほどだ。しかし、暇つぶしをしていたらサイクリングという今につながる趣味に出会えた。悪いことばかりじゃない。きっと人生なんてこんなもんなんだろう。自分がしなかった選択を後悔するだけだ。だからといって、自分が選択したものに悔いを残してはいけない。取捨選択があるだけだ。全てに手は届かない。手を伸ばしたものに、全力を出すべきなんだろう。

2.暇つぶしに読んだ本で好きな作家に出会えた

なんのためだったか、あまり覚えていない。東京へ向かう新幹線の車内だったことだけは覚えている。それが受験のためなのか、別の目的だったのか。確か引っ越しのときには親の車に乗せてもらったから違うはずだ。

とにかく、東京へ向かう車中での暇つぶし用に、文庫本を持っていった。その日の数ヶ月前に表紙とタイトルに惹かれて買った本で、積ん読化していたものだ。

似鳥鶏 (2006). 理由あって冬に出る 創元推理文庫https://bookmeter.com/books/10961909

新幹線内の2時間半と、着いてからの宿で読み終えた記憶がある。俗に日常の謎と呼ばれるジャンルのもので、北村薫が草分け的存在として知られている。が、当時の僕はそんなことも知らず、ただなんとなく「本でも読むか」と思って手に取り、ただなんとなく読まずに積み、そしてただなんとなく「こいつでも持っていくか」と旅行かばんに投げ込んだのが始まりだった。それまでは漫画と野球雑誌を除いて、ほとんど本は読んでこなかった。その僕が読書、とりわけ日常の謎というジャンルにハマるきっかけとなったのは、間違いなくこの本のおかげである。

本の内容について書いてもいいのだが、それは読書感想文だ。この記事で感想文を書きたいわけではないので、それは最低限にしておこう。とにかく僕は、ハマった。コミカルに描かれるストーリーと登場人物、そしてその裏に隠された重厚な真相。この対比こそが似鳥鶏作品の最大の特徴であり、その最初の作品として刊行されたのがこの本だった。実際、序盤中盤は登場人物の軽快な掛け合いが楽しく、終盤に入っていくにつれて「そうきたか」と思わせられる主題が明るみになっていく。と言っても、あくまで読書経験のほぼなかった当時の僕の感想だ。読書経験豊富な先輩諸氏が読んでいたら、どういった感想を持ったのだろうか。それはわからないが、僕にはぶっ刺さった。

読み終わってすぐに調べたのは、他の本はないかということだ。残念なことにこの本はデビュー作で、まだ2巻、あるいは他の作品というものは未刊行。その代わり、前述した日常の謎というジャンルがあることがわかった。「似たような作品なら」と、手当り次第手を出す。まずは米澤穂信、次に北村薫(本来こちらを最初にすべきだが、読書なんてものは歴史に囚われず自由にするべきものだ)、坂木司に加納朋子に初野晴、大崎梢に若竹七海。とにかくWikipediaに載っていて興味のあるものを読んでいった。結局「これぞ」と気に入ったのは、米澤穂信くらいだったのだが。もちろん、他の先生方の作品もとても面白い。しかし、シリーズを問わず全作品に手を出したのは米澤穂信だけだ。

そうして色々な本に手を出しているうちに、似鳥鶏の新刊が出ることとなった。新刊は前作の続きで、前編後編を2ヶ月空けて出す形の二部作品だった。僕は心躍らせ、読み、そして歓喜した。待っていたぞ、似鳥鶏。これが読みたかったんだ、葉山くんシリーズ。その後は複数の出版社でいくつかのシリーズ作品を刊行。始めのうちこそ「新刊出ないかなあ」とやきもきしていたが、専業作家になると刊行ペースが一気に上がった。ありがとう。ありがとう。これを読んでるきみ、ぜひ似鳥鶏作品を読んでくれ。米澤穂信はもはや言わずもがなという存在になっているだろう。通は似鳥鶏だ頼む。

取り乱した。ともかくこうしてまた、暇つぶしがいつしか僕を支える趣味になったのだ。本との出会いは一期一会である。本屋をぶらぶらし、適当な棚で目につくタイトルのものを手にとってみる。パラパラとめくって、これは面白そうだ、こっちは自分向きじゃない。そういうことを繰り返していると、稀に運命の出会いのようなものがある。暇だから本を買おうと思った。暇だから適当に本屋に入った。ただの暇つぶし、されど暇つぶし。本屋には無限の可能性が秘められていると、僕は思う。

3.暇を持て余して一人旅

高校時代には「放浪」と称して自転車で勝手気ままに彷徨っていたものだが、上京してからクロスバイクを手に入れるまでは、放浪の回数は減っていた。なぜか。坂が多いからだ。関東、特に東京なぞは、関東平野とは名ばかりで、関東丘陵地帯と言っても過言ではない。それくらい坂が多い。よくよく考えれば地名が既にその地形を表しているじゃないか。やたらと谷だの台だのと付いている地名が存在する。数え切れないほどだ。越後平野で育った僕からすると、どうにもママチャリでの移動はつらい。とは言っても、通学は坂道をヒーコラ言いながら自転車を漕いでいたのだが。田舎者には坂道以上に満員電車がつらかったんだよ……。

そうなると必然、休日は電車移動が主になる。幸い、日本、いや世界でも最高レベルの鉄道網を誇る首都圏だ。どこへ行くにも電車に乗ってしまえば自由自在だった。僕はオタクなので、真っ先に秋葉原へ行った。行ったはいいが、意外と遊べはしない街だった。渋谷は毎日が祭りのような街で息苦しい。一番遊べる、というか居心地が良い街は神保町だな。適当な本屋で本を買って、適当な喫茶店で読む。昼飯にはカレーかタレカツ丼だ。東京で新潟ラーメンは食べられないが、新潟タレカツ丼は食べられる。素晴らしいことだ。

だから、大学生活のほとんどは大学・バイト・神保町のどれかだった。しかし、どんなに好きなことでもルーティン化してしまうと当然飽きは来る。ある秋の日に、どおおおおおおおおおしても暇で暇で仕方ないということがあった。バイトは休み、大学も休み、神保町へ行く気はしない、ゲームや読書の気分でもない。さて、どうするか。僕の選択は、箱根だった。秋の温泉か。悪くないんじゃないか。ふらっと電車に乗り込み、各駅停車でゆっくりと神奈川県の南西部へと向かっていった。電車のなかでは何をするでもなく、ぼーっと車窓を眺めていた。電車で遠出をするのは結構好きだ。乗り鉄というほどではないが、知らない場所へ連れて行ってくれる乗り物に、少しワクワクする。

これももう何年も前の話だから、少し記憶は曖昧になりつつある。小田原を超えたあたりで、一気に人が減ったような気がするが、別の駅だったかもしれない。そういえば小田原で乗り換えたんだっけ。確かそうだ。箱根湯本へ向かう途中、風祭という駅を見つけて「お、ひまわりさん」となった。オタクなので。なんとか大学駅のあたりでは「ほほー、こんなところに大学があるのか」と、自分とは違う生活を送る人々に想いを馳せる。こうした非日常が、鈍行の旅の面白さなんだと思う。

箱根湯本に着いてからは、まず土産屋を回った。温泉まんじゅう、かまぼこ、その他もろもろ。そばでも食べるか迷ったが、思い付きの旅の懐は準備不足。行き帰りの電車賃と、温泉代と、バイト先への土産代。これくらいしかないのである。一泊するかはかなり迷ったが、結局この大学生の経済事情に鑑みて断念した。今思えば、飛び込みの素泊まりなど受けてくれる宿があるのかどうかも怪しい。

お金がないとなれば、あとは散歩だ。川沿いを歩き、山を登り、塔ノ沢駅では「お、ゆめくり」となった。オタクなので。途中で登山を諦めて、紅葉で彩られた山を箱根登山鉄道で登った。これはいいな。心が洗われる。強羅で温泉まんじゅうを頬張り、ロープウエイには乗らなかった。適当にぶらぶらしてるうちに、もう良い時間だ。最後に箱根湯本の近くの日帰り温泉で温まる。なんという心地か。ここは天国か。箱根に住みたい。いや、そうでもないな。不便そうだ。たまに旅行で来るくらいがちょうどいいんだろう。お金がないながらも、なんだかんだと箱根散歩を楽しむことができた。

暇で暇で仕方なかった1日が、なんとなくの思い付きで数年経った今でも記憶に残る1日になった。家でダラダラしていたらこうはいかなかっただろう。逆に、忙しい1日でもこうはいかなかっただろう。家での1日でも、忙しい1日でも、日常は日常だ。それはいずれ記憶の彼方に追いやられる。思い出せなくなる。それは、つまらない。僕はあの日、暇の使い方を覚えた気がする。

暇は悪いことばかりではない

スキマ時間を有効活用☆なんていう意識が高いんだか頭がお花畑なんだかよくわからないことを言う気はサラサラ無い。ただ、暇っていうのは良いものだなと思う。暇な時間があるから、新しいなにかに出会えるんじゃないか。暇な時間があるから、記憶に残る日を作れるんじゃないか。そう思う。忙しなく生きる日々を否定するわけじゃない。努力して努力して努力して、そしてそれが実り、なにか大きなことを成し遂げる。そうすれば、その努力の日々も良い思い出になるだろう。だけど、そういう生き方は自分には向いていないと感じている。暇な日をどう過ごすか。暇な日々をどう生きるか。それが、僕にとっての幸せに続いているように思う。

努力の日々は、物理にせよ精神的にせよ、アルバムに仕舞うことはあるだろうか。業務や作業に忙殺され、写真を撮る時間もなければ、心に刻み込む余裕もないんじゃないだろうか。それは嫌だ。もちろん、努力は努力でする。ある程度は。でも、それだけじゃない生き方がしたい。旅をして、空想をして、写真に収め、心に記憶に刻み込む。そうして数年後、数十年後に「こんなことしたなあ」と懐かしむ。暇はその入口だ。暇という門をくぐり、非日常の世界を楽しむ。そういう時間が、幸せっていうんじゃないかな。


あ、先輩。コレっすか。
コレハライタートシテノホンブンデアリー……

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