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「夜逃げ」の達人③居候生活と母の死

こんなにも人生において「夜逃げ」に関わるとは思いもよらなかった男の自叙伝的な物語。

今回は流浪の生活が定着した中で見出した生き方と、忘れられない母親との最後の生活のお話です。

※この物語は①から続いていますので、まだの方は是非①からお願いします。

■居候の成れの果て

そこから暫くはまた気ままに暮していたのだが、実家暮しもまた窮屈なもので私はすぐに家を飛び出しまた友人宅を渡り歩く生活をしていく。

それに飽きたら当時ナンパスポットとして有名な「親不孝通り」や「ももち浜」に出ては相手を見つけて、その初めて会った女の家に住み着くというスキルを身につけた。

居候生活のスキルアップであり、友人達もこの頃には私が何処に居るのかわからないくらい地元を離れた場所にも幾つかの「住まい」を確保していた。

だいたいが数人連れ添って行くそのナンパスポットにも、私は1人で通っていたので普段からよく居る女の子などは顔見知りも増えて、所謂「ボウズ」だった日などそんな人達にその日の住まいと食事を提供してもらう生活を送っていく。

そんな生活を繰り返しているうちに、住まいと食事だけでなく帰る頃には数人が「小遣い」をくれるようになったのである。

捨て犬を拾う感覚なのか、昔の女性はお世話が好きだったのか「私が居ないとダメな人」に脳内変換して求める以上のお世話をしてくれるようになる。

そこで私は考えた

「こんな相手を沢山見つければ働かなくて済む」

こんなバカみたいな発想を、クソ真面目に考えただけに留まらずこの後に本当に実行していくのである。

メインを1人抑え、そこを拠点に最大で7人の女性のお世話になるが、メインを除けば誰も付き合う話は一切しない。

彼女達も付き合うことを前提にすると、私が寄り付かなくなるという不安と、影で支える的な自己満足があったのだろう。

私は自分なりにスケジュール管理しながら、ポケベルから携帯のCメールが出来た程度の時代に限られた文字制限で距離感を保ち

時には深夜に突然訪問して「腹減った」の一言で、「突然来てもなんにも無いよぅ」と言い寝起きに髪を束ねながら、嬉しそうに冷蔵庫を眺める横顔に気持ちを察してそれぞれの期間調整をしていった。

これで一生食っていけるんじゃなかろうかとさえ思っていた矢先に、やはり神様からの天罰が降ることになる。

天皇陛下が来るという事で、街は厳戒態勢だったのだがそんな事も知らずに街でちょっとした揉め事を起こしてしまい、そのまま警察お泊まりコースになる。

普段なら翌日には出れるのに今回はなかなかその気配が無い…

気がつけば全く管轄の違う警察署に移送され、そこで1週間過ごした後に鑑別所に送られる事になる。

そこから1か月経ち、天皇陛下特別体制も解かれ晴れて世の中へ戻ってきたは良いけれど、それまで育てた私の生活拠点は崩壊していく。

突然の音信不通や保護観察もついていたことから身動きも取れず結局大半は管理出来ずに自然消滅していくのだ。

■母と暮らす最後の1年間

当時保護観察処分がついていた私は、兄と会社の寮に住うか実家に帰るしかなかった。

この頃は母親が地元から離れた所に家を買って1人で住んでおり、最初のうちは友人が多い地元に近いのでまた兄の職場に復帰して寮に入り生活していた。

しかしやはり兄との関係はあまり良くなく、結局喧嘩別れして寮を出て実家に戻る事になる。

私はもう19歳になっていたが免許が諸事情で取れなかったので、当時の彼女(後の嫁)を無理矢理自分の実家に住まわせて、彼女の車で通勤するスタイルをとった。

家に女を連れ込むと昔からキレていた母親だったので、最初は嫌がるかと思ったがなかなかどうして彼女とは不思議と仲良くなり自分の娘のように可愛がっているのである。

私が居なくても、2人で家で一日中過ごしているような間柄になり違和感もなかった。

今思えば殆ど家に寄り付かない中学生時代から15で家を飛び出して、物心ついてまともに家族で暮らしたのはこの1年だけだったかもしれない。

20年近く生きていて、親とまともに生活したのは多分このたった1年間だ。

そんなようやく得た日常を経て、私も免許が取れるようになり母親から教習所を勧められる。

当然私も早く免許が欲しいので、その旨を伝えると幾ら用意したら良いのかと心配しながらお金の工面を考えだした。

何故か?

私のクソい人生は、親と女からお金を貰いまくる事で大半過ぎてしまっていた為、大金がかかる前提だと母親が自ずと身構えてしまったのだ。

「免許代くらい自分で出すわぃ」

働いてはいたし、年齢的にも当たり前と言えば当たり前の一言を偉そうに言う私に、母親はとても嬉しそうに

「あんたも大人になったねぇ…」

と呟いたのを覚えている。


〜そしてこれが私が母親と交わした最後の会話だ。〜


ああ、人の一生とはこんなに呆気ないものなのだなと感じた。

葬儀の日は母の日だった。

TVで某宗教の教祖が捕まったニュースが流れていたのを覚えてる。

驚かすつもりで内緒で用意していたカーネーションを棺に入れてお別れしたが、結局なんの親孝行も出来ないまま2度と会えなくなってしまった。

思えば母親を亡くしたこの日から、私に帰る場所は無くなったのだろう。

まだ母親の残してくれた家があるうちは良かったが、この後に兄が起こす問題で、遂に戻る場所がなくなる私の転々と生きる人生は更に拍車をかけていく。

〜④に続く〜



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