「なぜ陰謀論者は出現するのか。」

はじめに、この問いの社会的意義として、現代社会を構築する人間の個々が持つ個人的知識に対する理解が深められることが挙げられる。
扱う知識の領域としては、人間科学・宗教的知識の体系・土着の知識の体系、知るための方法としては感情・理性・想像・直感が該当すると考えられることをご承知頂きたい。

さて、我々はあることが起こった際、常に事象の発端である原因を探り、一つ一つの要因ごと理由を与えることに焦点を当てて考えている。

留意すべきは、我々に「正しい」と共有された知識が、あることの何が間違いで、何が正しいのかを追求し、総合的な「わかりやすい」回答を求め、成立している、という点である。
すべての要因を並べ、それが事実である、という結論には至らずに、総合的かつ多方から見た時に間違いではない結論を出してしまっているわけだが、確かに要因のすべてが結論とされるのでは、「わかりやすい」答えを求める人々(特定の部門の専門家ではない、一般の情報の受け手)から理解を得ることが難しくなる。
そのため、一般に正とされるのは簡潔にまとめられた回答であり、人々は一つ一つの要因と結論を鑑みて、それを受け入れている。

これが、我々が「ある事象について、事実または一般に認められた共有された知識」を正とする所以である。

昨今の新型コロナウイルス感染症に対するワクチンを例にあげると、接種を推進するにあたって、人々の多くが、様々な事柄を並べ、その一つ一つに理由を与える過程を確認しているから、接種をしよう、と意思決定するところだろう。
ただ、この過程を踏む人々が少ないこともまた真実であり、同時に陰謀論者を増加させる原因の一端でもある。
ある事象が発生したとき、上記のようにすべてを検証して認識する人間は、研究者などの専門家か、相当数の知識とリテラシーの備わった暇人である。
日常的に多くのタスクを抱える現代人が、徹底した科学的検証をし、様々な文献を踏まえて意思決定する、といった手順を踏むことは確かに難しい。
同時に、文献ごとに書かれている内容が一般に論理的で正とされるかを判断することができない場合は、さらに時間を掛けて個人の解釈を見つけるか、あるいは既存の、簡潔な回答であり一般に認められ共有された知識を、周囲の人々が同意した評価数などを根拠に、その者の個人的知識に照らし合わした後に概ね合意できれば、正と判断することになるだろうが、その場合、前者が文献を尊重せず個人的知識などに偏った解釈をする、あるいは一面性のみに縛られた文献を尊重することがあれば、陰謀論者へ変化する可能性がある。
また、陰謀論者が一般に認められ共有された知識を正だと結論づけることに納得できないのは、彼らはその結論が、一つ一つの要因から生まれた純粋なものではなく「簡潔にまとめる」過程によって改変されていると感じるためでもあるだろう。
そして他面から見れば、彼らはこの世のすべてが理性によって成り、対しては理性を以て解明できると考え、その認識だけを正とする合理主義に囚われていると見受けられる。
事象には複雑な関係がある、という思想は正しいが、理性が因果のすべてを制御し解決できる、という主張は理にかなっておらず、人類史を一見しても可能には程遠く、また因果関係を正しく理解できていなければその思想は破綻する。
そうでなければ、我々が持つ感情の在処は説明がつかない。
存在するすべての事象に明確な「正誤」があるわけではない、という考えは多く取り扱われてきた通り、実社会は意図とは異なる結果に終結することが常である。
我々が意志をもって行動する際、概ねは当初の意図とは外れ、大抵は予測不可な結果に終わってしまうが、陰謀論者は「何がその原因なのか」と問いた後に、明らかになることが少ない「事象の事実」を自らの知識を持って確定する。
上記の通り、事象の発端である原因を探ることは我々も行うために正当であり、間違いではない。間違いではないが、異なるのは事実の特定を終了している点である。
彼らは原因の明確な落とし所として「陰謀論」を用いて解決しているのである。
彼らは決して最初から陰謀論だけを信じているわけではなく、事象に対する一般に認められ共有された知識から、それに基づく主張の、簡潔にする故に不完全・不明瞭となった部分を見出した後に、その部分の明確な原因を解決するために、陰謀論を持ち出すではないだろうか。
また、我々が「非論理的だ」と印象づける陰謀論者は、SNSなどを通じた偶然の一致などに基づく事例証拠の主張を重視しているか、もしくは相関関係と因果関係を正しく判別できていないと考えられる。
この例が、ワクチンの副作用問題である。
厚労省はワクチンの副作用として患部の痛み、疲労、頭痛などが発生することを運営するサイトで述べているが、これはかつて不完全とされていたものを、世界中の研究機関が検証することで因果関係の前提として相関関係であると位置づけた主張である。
これの理解を誤ることで、不妊や出産時の流産率が上がるといった、存在する可能性が極端に少ない症状を、偶然の一致などを根拠として正当化してしまう。
こういった根拠の特定は陰謀論に関係なく、万人が留意しておくべき知識である。

ところで、イスラームの中には日中の飲食を断つラマダンという慣習がある。
ワクチン接種おいて、接種が飲食に当たるのではないかという懸念からムスリムはこれを拒否していたが、現在多くのイスラム諸国では「ハラル認証」を元に、戒律に背かないことを認め、接種が進んでいる。
しかし、ISILなどのイスラム原理主義組織はこれを「統治の失敗」や「西洋諸国の悪事がもたらした罰だ」として批判し、現在は撤回されたが、アフガンを統治するタリバンは「西側の陰謀だ」として、陰謀論と結びついていた事実が存在する。
宗教的知識や土着の知識体系では、その中で陰謀論を活用することで、信仰に結びつくことがある。
これを大々的に掲げる多くは、非信仰者に反証された上で、一般に認められていない主張をする組織、カルト宗教と呼ばれる。
人間が解明できない、不服な結果に終結した原因の明確な落とし所として「神の存在」を用いる点は、陰謀論者のそれとよく似ている。

ただ、宗教と結びつくことを踏まえたとき、陰謀論の全てが間違いであり、否定すべきである、という思想もまた、危険である。
というのも、彼らは決して感情のみで主張をしようと考えているのではなく、むしろ理性を重視するあまり感情的に発信してしまっていると捉えるのが自然なのだ。
陰謀論を信じない人々と同様に、彼らは同様の知識を持つ人々を結集して新たな共同体を成立させる。
あるいは権威ある宗教派閥や民族集団が陰謀論と結びつくことで、その集団に共有された知識となり、真実として新しい知識となる。
知るための知識である適正な理性に基づくことから、その主張は正当化され、不可侵的な領域となり、陰謀論を信じない人々も、それが一つの思想であると認める必要が生まれる。
また我々が、特定の地域に共有された知識に対して「真実である」と認めていたとしても、特定の地域は我々に共有された知識を「真実である」とは認めないかもしれない。
このようにして陰謀論が生まれ、成長し、知識として持つ人々が現れる。

一見すると、陰謀論を信じない人々と陰謀論者の根本的な思考回路は同じものである。
それ故に、我々が多種多様の知識をもって他の共同体を侵害することのないように意識することが重要だろう。

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