ミルクは子のために出るのだよ
やぎの牧場でチーズを作る仕事をしていたことがある。
酪農に関して勉強したことはなかった。でも農業は人類が古くから営んできたシンプルな生業ではないか。野菜やコメ育てて収穫するんでしょ? ミルクしぼってチーズにするんでしょ? 生物は好きで、ある程度専門的にも学んできた。生物の基本はわかってるしなんとかなるだろ、と「がんばります!」の意欲だけで牧場に飛び込んだ。
牧場のスタッフはみんな親切で、私のチョー基本的な質問にもイヤな顔せずていねいに教えてくれる。
「冬はかんにゅうきになるから…」
「かんにゅうき……?」
「乾く乳と書くんだけど。乳が出ない時期。」
「乳が出ない時期…?」
「やぎは春に出産するんですよ。その直前の2~3か月は乳が出ないんです。」
「!」
そりゃそうだ!
つまり、やぎのミルクをしぼって利用するという仕事は、ざっくりと次のような1年のサイクルで回っている。
春:出産、ミルクが出始める
夏:ミルクが出る時期。
秋:ミルクが出る時期。種付けをする。
冬:妊娠。出産に向けて乾乳期に入る。
…また春へ…。
出産から乾乳のサイクルはやぎに限らず牛でも同じだ。牛は季節にかかわらず発情し、やぎは秋にだけ発情するという違いがある。なので、牛の場合は出産の時期をずらすことで1年中切れ目なく牛乳を供給することができるけれど、やぎの場合は秋に一斉に発情・妊娠して乾乳期に入るため、冬にミルクを得ることはできないわけだ。
私は、そんな体の仕組みは十二分に理解していた…つもりだった。けれど自分の中で、店に並ぶパックの牛乳と乳牛のライフサイクルとは、まったくつながっていなかったのだ。
牧場を見るのは初めてではない。しぼりたてのミルクを飲んだこともある。それなのに、自分で目の前のやぎからミルクを得ようとしてようやく、あの紙パックの牛乳もそんな妊娠・出産のサイクルから生み出されていたのか! と気がつくなんて。
ひとりの人間ができることは限られているからこそ、人は分業して、分担して、今のような社会をつくり上げてきたのだろうと思う。社会の仕組みがこんなにも複雑になってしまった現代、生活のひとつひとつについて、すべてのルーツを理解して生活するのは到底無理な話だ。でも。
ときどきは立ち止まって、これ、どこから来てるんだっけ…? と考えてみることは大切なんじゃないかなと思う。それはおそらく、自分と同じような「誰か」が、自分とは違う専門性をもって働いてくれている結果であるはずだから。
ほんの少しでもそこに思いを馳せることで、ああ、人って助け合って生きてたんだっけ、って、思い出せるような気がするんだ。
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