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大切にしたいことを大切にしたい

細く深くつながっている友人から、手紙が届いた。

彼女とはパン屋さんで一緒に働いた仲だ。朝型の私たちは好んで早朝のシフトに入っていたので、顔を合わせる機会が多かった。

朝いちばん。空っぽの店舗に焼き立てのパンを並べる。パンのぬくもりと、おいしい匂い。スタッフだけがきびきびと動く静かな店内が、オープンの「いらっしゃいませ」と同時にお客様でにぎわっていく。私好みのハード系のパンが多いことや、パンを通じてあたたかな居心地の良さを提供しようという理念が気に入っていてとても好きなパン屋さんだった。

彼女は印象的な笑顔がとても素敵で、接客やふるまいは群を抜いてていねいだった。パンの扱いも、お客様へのお声がけも、ひとつひとつをとても大切にしていた。混雑してにぎわったあわただしい店内でも、彼女の接客を受けたらほっとしてつられて笑顔になってしまう。私も彼女ほどではないけれどひとつひとつをていねいに扱いたい、という思いがあったのでけっこう気が合っていたのだ。

時が流れて、私も彼女もそのパン屋さんから離れた。それぞれ波ある道を歩みつつ、折々に手紙をやりとりしたり、たまには直接会ったり。いろいろな状況が訪れたけれど、お互いに確認し合う最後はいつも、「大切にしたいことを大切にしたいね」ということだった。

彼女はお菓子を作ることが好きで、よく手づくりのお菓子を差し入れてくれた。それはいつも素朴で、素材の味をひとつひとつていねいに引き立てようとするような、彼女のいつくしみがあふれるお菓子だ。そのいつくしみは味だけにとどまらず、パッケージや包装の仕方にまでも細心の注意が払われている。私はそれをいただくとき、彼女のいつくしみワールドにトリップする。彼女のお菓子は、彼女が「大切にしたいことを大切に」した形の結晶のようなものだなぁと思う。


私たちはいつも、みんなの世界からなんだかちょっとずれている感じがしていた。

べつに、みんなと「おいしいね」も「うれしいね」もちゃんと共有できる。ただ、仕事やらなにやらをやろうとしているときに、自然にしているとどうもゴツゴツと居心地が悪くて、なにかを急いだりはしょったりしないとみんなのリズムに追いつかない感覚があった。そして、それをがんばって急いだり、居心地悪くてもゴツゴツした形のまま踏んばったりしているとなんだか疲れちゃうのだ。

「大切なことを大切に」している素の状態そのままで生きることは、なんだかわりと難しいことのようだ。という感覚を、彼女とは共有できているように感じている。


冒頭の彼女からの手紙には「大好きなどんぐりの形のクッキー型をみつけて、約8年ぶり(?)くらいに、クッキーを焼きました。」と書いてあって、ていねいに包装されたクッキーがきれいに並んで入っていた。

うれしかった。
とても、うれしかった。

コーヒーを淹れて、彼女のいつくしみワールドを味わいながら手紙を読みなおす。

「とってもワクワクたのしくて、ココロが喜んでいるのを感じました。」と続いていた。

なんだか泣きそうなくらいうれしかった。

彼女のクッキーは、ああ、そうか、植物が育って実になってここまで届いたんだよな、と気がつくような滋味がやさしい甘さに包まれていて、口の中で、ほろりとほどけた。

どこにも無理な力がかかっていない感じ。
すべての素材が、窮屈な思いをしたり我慢をしたりしていない感じ。

ああ、そうか。と思った。
私も、そういうことがしたいと思っていたんだ。

誰もが窮屈な思いをしたり我慢をしたりしないで、自分の力をのびのびと出せるような。

「変化」は負荷を与える。小麦粉をこねるときはぐにゃっと押しつぶされたりバン! とたたきつけられたりびよんと伸ばされたりする。高熱で焼かれたりもする。「変化」にはしんどいことも多い。それは、おいしくしたり長持ちさせたりするために必要だ。

でもそれは、良さをつぶしたり削ったりしてしまうような負荷ではいけないと思う。本質的な良さを引き出すためのものでなくてはいけないと思う。

人も、モノも、大切にしたい。

忙しくて眠くて辛くてココロがささくれ立っていた時に、そんなことを思ったことを思い出した。

「大切にしたいことを大切にできますように」。

また、そんなお返事を書こうと思う。

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