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1つの時代の終焉。さらば、K-1 MAX。


それは現実であり、夢の終わり―。

今から2ヶ月前の今年10月、アジア最大の格闘技団体「ONE championship」にて、世界トップクラスの-70㎏のキックボクサー10名を集結させ、「ONE キックボクシングフェザー級世界トーナメント」が開催された。

それはまるで、旧K-1が存在していた、私が10代だった頃。-70kgの立ち技・打撃の世界一を決めるべく世界中から強豪外国人が日本に集結し鎬を削った『K-1 World MAX 世界一決定トーナメント』の世界観の続きのような舞台だった。

私が少年時代、心をときめかせながら見ていた世界だった。世界で最も選手層の厚い-70㎏。その階級で正真正銘の最強を決めるべく、世界のトップファイターが一同に日本に集結した「人類最激戦区」の闘い。その壮大なスケール感が私は大好きだった。

その世界線が競技レベルでは進化した形で、日本ではなく海を越えた異国の場所で再び体現された試合を、動画配信アプリ『ABEMA TV』で生配信されたLIVE中継で観戦。

それは私を含め、K-1 MAXに熱狂したオールドファン達にとっては、『K-1 world MAX -SARABAの宴-』とも言える興行だった。


(1)「K-1 World MAX」が残した偉業とは?

『K-1 World MAX』が産声を上げたのは2002年。もう19年前だ。当時の格闘技界は日本国内で格闘技ブームが世間で巻き起こっていた。当時の格闘技界はヘビー級が全盛の時代。と言うよりも、当時は今のように正確に階級の整備もできていなく、重量級を中心としたほぼ無差別級とも言える試合がベースであった。K-1もPRIDEも。

今日の世界の格闘技界(MMA&キック)は中量級どころか軽量級の試合もヘビー級やライトヘビー級と言った重量級と何ら遜色のない人気とスター選手を輩出しており、興行の柱となっている。これは世界と日本国内の格闘技市場を取り巻く経済的な変化。格闘技を楽しむツールの多様化。ファンの入れ替わりや新しい世代の価値観の変化などによって状況大きく変化していった。この状況は当時は全く考えられない事だった。「誰がそんな迫力の欠片もない、小粒どもの試合を観るのか」と。

現在の日本格闘技界は軽量級がメインであるが、軽中量級の選手達がメジャー舞台で輝き、陽の目を浴びる舞台の先駆けとなったイベントがある。それが『K-1 World MAX』だった。

重量級にはないテクニカルな攻防。ヘビー級とはまた違いスピード感溢れ、迫力があり、当時は重量級の試合を観ることがスタンダードだった為、上手く差別化もされた。ヨーロッパを中心とした国際色豊かで選手層が厚く、競争率が激しいがゆえに続々と新しい強豪が現れ、マンネリ化もしづらい。そして、何より『日本人も活躍出来る階級』であることが成功の大きな要因であった。

その中心に居たのが、魔裟斗だった。そして、彼を主軸に日本人スターが次々と現れたのだ。山本KID徳郁。小比類巻貴之。須藤元気。佐藤嘉洋、長島・自演乙・雄一郎などがそうだ。

世界の強豪と互角に渡り合うカリスマ性や個性溢れる日本人スター。そして実力とルックスを兼ね備えた世界標準の外国人スター達。これらが上手く合わさりK-1 World MAXは中量級の黄金時代を創造した。

数万人クラスの大会場で試合ができ、高額のファイトマネーを稼ぐ事が出来る。そこまで中量級の選手達がスポットライトを浴びて、高いステータスを得られた舞台は、おそらくボクシング以外の格闘技興行では、K-1 World MAXが世界で初めてだったのではないだろうか?(UFCの躍進はまだその先である)

これは、まさに格闘技興行の仕組みや固定観念を変えた大偉業とも言える。

K-1 World MAXの成功を受け、拍車をかけるように当時ライバル団体だった総合格闘技団体『PRIDE』も中量級中心のイベント『PRIDE 武士道』を開催するようになった。この興行の看板選手となったエース五味隆典を中心にPRIDE武士道もまた成功。それが『PRIDEの後継団体』とも言えるDREAMや現在のRIZINへと繋がっている。


(2)軽中量級格闘技の文脈


K-1 World MAXの成功から軽・中量級の歴史が始まり、それがPRIDE武士道、HEROS、DREAM、新生K-1、RIZINへと派生し、受け継がれていった。

私が思うK-1 MAX最大の功績は、『軽・中量級の選手を中心とした興行の基盤をメジャー舞台で創造した』ところにあると強く感じるのだ。

この記事を読んでくれている読者に想像してほしい。新生K-1やRIZINから格闘技を観始めた若い層のファンには難しいかもしれないが、果たしてK-1 MAXが無かったら、今の日本の格闘技界はあっただろうか?

答えは限りなく「NO」に近い。K-1 MAXがあったからこそ魔裟斗と言う00年代の格闘技界の中心に居た、世間一般の老若男女の誰もが知るスターが生まれ、彼の雄姿を10代の頃、その目に焼き付けた少年たちが20~30代となった今、新生K-1、もしくRISEやRIZINで活躍し、今日の日本の格闘技界を支えている。魔裟斗を筆頭とした先駆者達の肉体を削り、魂を揺さぶる死闘を繰り広げてきた先人達の功績が受け継がれている。

現在日本の格闘技界の中心に居る新生K-1の絶対的エースである武尊もRISE&RIZINのエースとして活躍する那須川天心も魔裟斗、あるいはK-1 MAXの舞台に憧れてプロ格闘家としてキックボクサーになったと、ある記事か書籍で読んだ事があった。

堀口恭司、矢地祐介は山本KIDに憧れMMAファイターとなり、朝倉未来も競技は違えどYoutubeを通して「魔裟斗は憧れだった」と語っていた。それ以外にも魔裟斗や山本KIDに憧れて格闘家となった選手は沢山いることだろう。

K-1 MAXから始まった軽・中量級の系譜は今の格闘技界に引き継がれている。

そして、今度は現在の10代の子たちが、ある子は武尊に憧れ、ある子は那須川天心に憧れ、ある子は堀口恭司や朝倉未来に憧れ格闘家となり、これからの格闘技界を支えていく。その格闘の歴史を我々は見ている。


(3)さらば、K-1 MAX


話を変えよう。私は元々旧K-1(K-1 WORLD GPとK-1 WORLD MAX)の世界感が大好きだった。世界中から日本に本物のトップ中のトップ達が潰し合い、世界一の称号を掛けて戦う。そんな大きなスケール感に魅了され、私は格闘技にのめり込んでいった。

しかし、旧K-1を運営していた『FEG』が経営難に陥り、その世界は突如なくなり、立ち技格闘技界は日本国内のみならず、世界的に分散されていった。絶対的権威が無くなったキックボクシング界は、タイトルの乱立、選手の分散と他競技(ボクシングorMMA)への流出が起こった。旧K-1が無くなってから丁度今年で10年。しかし、その状況は今も変わらない。

絶対的な頂点と権威、ステータス、金銭的な魅力のないスポーツのジャンルに大きな発展はなく、選手の多くが更なるキャリアアップを求め、世界的に権威と金と言ったステータスのあるジャンルに闘いの場を移す。国内で言えば那須川天心や武居由樹のボクシング転向はその代表例であり、海外に目を向ければ、UFCで活躍する元キックボクサーのイスラエル・アデサニアやヤン・プラホビッチ、ギガ・チカゼ、エジソン・バルボーザ、アレックス・ペレイラ、ヨアナ・イエンジェイチック、ヴァレンティ―ナ・シェフチェンコもそうだ。


しかし、その中で久しぶりにかつての旧K-1を彷彿させるトップファイターを集結させた真の世界一を決めるトーナメントが『ONE Championship』にて開催された。かつてのK-1 MAXと同じ階級『-70kg』の階級で。

出場メンバーもジョルジオ・ペトロシアン、アンディ・サワー、エンリコ・ケールの元K-1 MAX世界王者3人。

そして、新生K-1の-70kgのトーナメントで優勝したマラット・グレゴリアン、チンギス・アラゾフの新生K-1の世界王者2人も参戦。

それ以外もヨーロッパ最大のキック団体『GLORY』の元王者や中国の立ち技メジャー団体『Kumlum FIGHT』で実績を上げた選手も集結し、日本、そして海外のファンは「K-1 MAXの再来だ!」と沸いた。

その中でも、感慨深い試合が2つあった。

ジョルジオ・ペトロシアンvsスーパーボン

アンディ・サワーvsマラット・グレゴリアン

この2つのカードだ。

ペトロシアンとアンディ・サワー。共に日本のK-1 MAXのリングで1時代を築いたレジェンドだ。

ペトロシアンの対戦相手は2人のレジェンド同様に日本で1時代を築いたブアカーオ・ポー・プラムックの弟子にあたるムエタイの強豪スーパーボン。

サワーの相手は、旧K-1の消滅から新体制のK-1で-70㎏スーパーウェルター級の初代王者となったマラット・グレゴリアン。新旧K-1王者対決となった。

結果は、ペトロシアンは今年の格闘技界最大のアップセットと言っても過言ではない衝撃的なKO負け。サワーは全盛期の頃とは程遠いパフォーマンスで世代交代を印象づけるKO負けだった。そして、サワーはこの試合を持って現役を引退。2人が新時代の旗手に完敗した姿は『1つの時代の終焉』を象徴する光景であり、私自身の中でずっと心にあった『K-1 MAXの物語の完結』とも言って良い内容だった。



(4)新しい時代へ受け継がれていく系譜


今から9年前の2012年。納得いかない形で終わってしまった旧K-1への未練と言うモノが私の心の中にずっとあった。

だが、このイベントを通じて旧K-1が消滅した後も外資の新K-1やGLORY、Kumlum Fight、そして新生K-1と言った様々な団体、形で私の中で続いていた『K-1 MAX』がようやく終わりを告げたように感じた。

「やっと、終わった………」

そんな気持ちだった。

しかし、これは終わりであり、始まりでもあった。

K-1 MAXという舞台が無くなって早10年近くなったが、その舞台で戦った選手達が残したレガシーは今の時代へ受け継がれている。

ペトロシアンをKOしたスーパーボンはブアカーオの弟子であり、ペトロシアンと同じ元K-1MAX王者の弟子がKO勝ちしたストーリーに物語性を感じ、格闘技の大河ドラマのようだった。「こういった形で終わったけど、続いていくんだ」と感じた。

そして、それは日本国内でも。

先日、日本の格闘技ファン達がここ数年最も待ち望んだ待望の世紀の日本人対決『那須川天心vs.武尊』が正式に発表された。

2人の記者会見で印象に残ったのは、両者ともに旧K-1への憧れを感じるコメントがあった。

那須川は「自分は元々旧K-1に憧れてこの世界に入った。だから、あの頃を超える試合をして、自分が憧れたようにこれからの子供たちにバトンを繋げたい」と語り、武尊も「かつての格闘技ブームだった頃のような規模で天心選手と戦い、あの頃のような夢のある舞台をつくるキッカケにしたい」と語っていた。


思えば、那須川は以前格闘技雑誌のインタビューで「これまでの格闘技の10年を創造したのは魔裟斗さんだと思う。今度は自分がこれからの格闘技の10年を創っていかなければいけない」と話していたのが何とも感慨深かった。

武尊は「実はMMAの練習もやっている。MMAルールでMMAのチャンピオンとやって勝ちます。K-1こそ最強だと証明したい」と語っており、旧K-1時代を思い出す他流試合の思想が受け継がれている事に私は感動した記憶がある。

その場所も舞台も、無くなってもレジェンド達が残してきた功績、技術、思想、レガシーは受け継がれていく。

海を越え、世界中の様々な団体や舞台へ。

そして、これからの時代を創っていく選手たちに。

それは『願い』のように『祈り』のように、そして時には『呪い』のように……



そして、日出る国の『二人の王様』へ物語は紡いでいく。


(続く)


by 不滅の鉄人





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