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なぜ写真趣味はAIに駆逐されないのか?

写真趣味者御用達You Tubeチャンネル『2B Channel』のPureRaw3のお話が、写真界隈で持て囃されている。
そもそも、昨今のAIの技術革新は凄まじく、素人目では見分けがつかないレベルで常用可能な「写真」と相成ることが可能となっている。
そして偶に聞こえるのは「写真は終わった」のかどうなのか問題である。
AIに駆逐される産業は数多あるらしいが、写真界隈もその一つであるという意見だ。
結論から言うと、今回の2B Channelの寓話やその他諸々メディアで取り出たされているAI脅威論はすべてプロフェッショナルの方の意見である。
日々思うのである。なぜか写真界隈を一括りにして語られることがあるが、写真という技術を使って行われている悲喜こもごもは決して一緒くたにはできない。
メディアで影響力のある方々のほとんどがプロフェッショナルの方であり、商用写真やモデル撮影や建築写真などなどを「仕事」として承っている。
故に答えがまずあり、そこに如何に近づけるかというのがプロフェッショナルがプロフェッショナル足る所以なのである。
だからこそ、AIの処理速度や学習速度が脅威なのであり、そしてAIによる参入障壁や技術コストの陳腐化が脅威とみなされるのだ。
これは写真の誕生により、絵画が芸術へとひた走った歴史的事実が影響している。
写実的記録的絵画の需要はカメラに取って代わられたからこそ、ピカソのような表現を産んだ側面はあるし、現代アートという彼岸はせり出したのである。
よって初めから答えがある程度設定されているプロフェッショナルは技術こそが飯の種であり、故にAIが脅威とみなされるのである。もちろんAIが脅威であるとみなさず、AIを利用することで新しい表現を見出そうとしているプロフェッショナルもいる。これは良し悪しの話ではない。

写真界隈を慎重に眺めると、このようなプロフェッショナルの憂鬱を抱えるアマチュアは少ないように思う。
そもそも広告産業の衰退により、プロフェッショナル界隈も厳しい環境のようだ。
写真で飯を食う=広告産業がほとんどであり、他には家族写真のような記録写真、山岳や生物写真のようなある被写体に特化した撮影などがある。
写真とは、まず光を写すという技術が中心にあり、そこから撮影媒体を介して専門的に尖っていくイガグリのような円形の界隈を形成している。
プロフェッショナルは広告産業がメインではあるが、山岳や鉄道や花など専門家になればなるほど、その小界隈での競争に打ち勝つほどに名を売ることで仕事を得ることができる。
このような写真界隈の中の端に位置する小界隈を核にして、写真界隈のカテゴリが偏在している宇宙なのである。
写真趣味者はこのどのポイントに身を置くか、というのを意識せずとも自認している。もちろん一点集中している写真趣味者は少ない。

例えば普段は家族の記録写真をメインにしつつ、極稀に野鳥撮影に行くという写真趣味者A。普段の撮影はそれなりに、有名野鳥撮影家の言説やメディアを通して技術を学び、あのカメラのAFが良い、こんな望遠レンズが良い、などなど広告に絡め取られながらも写真趣味に没入していく。
この写真趣味者Aがふと書店で森山大道の写真集を手に取る。これは写真趣味者に自らが属すると自認しているからこそ、普段は見向きもしなかった写真集の書棚を見たのである。
そして森山大道の写真を見ることで、写真のイメージが破壊される。
写真趣味者と非写真趣味者の写真の見え方は違う。非写真趣味者はイメージと対峙し、そこから自己の内省への感情的な「何か」を探る。
写真趣味者は撮影者に共感し、被写体と撮影者の間の「何か」に突き動かされる。
そして写真趣味者Aの持つ写真界隈の中の立ち位置に「森山大道」が追加される。「家族写真」「野鳥」「森山大道」この点が繋がり、自己の写真界隈が形成され、その3点の間の別の写真カテゴリにも食指が動く。
写真趣味者とは、このような自己写真界隈、写真世界内写真世界を持っており、それは十人十色である。
プロフェッショナル並みに一部の写真カテゴリに特化する者もいれば、ゆるく写真カテゴリを消費することが楽しみであるという者もいる。
カメラ産業は時代の写真界隈内の比重を推し量ることを「マーケティング」と呼び、広告を使って消費者を引き込むのである。
ライカはこの点でいえば、確固たる橋頭堡を確立しており、写真界隈内でライカというカテゴリを担っている。
ライカを持つというだけで、ある写真カテゴリに自己を投機できるわけだ。
このように、写真趣味者とは漠然としていて内部は緩やかに分けられている。
それは頑固かつ移り気であり、イデオロギーになったり虚無主義になったり、だからこそ写真は楽しいのでもある。

よってAI脅威論はプロフェッショナルの憂鬱であり、写真趣味者はAIに対して新しい写真カテゴリ化、もしくは既存のカテゴリに取り込む等してゆっくり消化していくであろう。
プロフェッショナル的発想というのは、先程の写真界隈であるカテゴリに特化した位置にいる写真趣味者であり、偏に写真趣味者を意味しない。
AIに対しての反応の極端な違いはまさにそこにあるのだ。
これはこのご時世フィルムカメラを使っている写真趣味者がいるのと同意である。
そして今回の2B Channelの寓話が及ぼした波紋こそ、写真界隈の多様性であり、面白さなのである。

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