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ストロボとFoveonで撮る『圧縮された平坦な世界』と深瀬昌久

深瀬昌久の写真集、半年に一回じっくりと眺めてしまう。
写真はただ撮ること、それが正解。
ある程度のセオリーはあるが、ただシャッターボタンを押せば良い。
人の人生にはそれほど高頻度で記録すべきハレの日はなく、しかし手にしたカメラは何かを撮りたがって今にも飛び出していきそうだ。
そして(だいぶ写真に毒された)人はカメラを手に、『何か』を探して町や自然の中を徘徊する。

そんな日々もいつしか「慣れ」のために刺激が霧消していく。
被写体によって我々はある程度のセオリーを試し、不都合があれば機材を買い足し、そして慣れ、また空虚な徘徊を始める。
深瀬昌久の写真は、そんな慣れの極致を圧倒的な速度で謳歌している。
そもそも深瀬昌久の人生こそ、慣れという名の日常から逃げ続け、それでいて日常に憧れ続け、それでもただ内省の世界へと逃避せざるを得なかった孤独の極致であると思う。

深瀬昌久は北海道の写真館の後継ぎとして生まれ、写真を恨みながら育ち、そして写真に引き寄せられ、孤独と日常への迎合の狭間で苦しむ自らを写真で表現することしかできなかった男である。
深瀬昌久の実験的な写真への挑戦は、彼の人生=確信犯的に孤独へ突き進む悲しい性の節目節目にリンクしている。
深瀬昌久は写真という表現でしか自分の姿を確認できなかったのだろう。
他者の評価を求め、それでいてそんな自分が嫌だったのではなかろうか?
しかし、不器用な彼は写真を介さなければ「現状の自分」を確認することができない、ある意味写真の神に愛された男であった。

深瀬昌久の実験、それは写真というメディアの特性への反骨であった。
写真は他の表現方法と違い、簡単に結果が手に入り、それを大量複製することも可能なメディアである。
故に中平卓馬や森山大道のプロヴォーグ的なアプローチが一瞬で消費されてしまったように、絶えず新しい表現を模索する必要がある。
個人の表現で世に自らの存在を承認させるためには・・・
深瀬昌久の孤独は、この新しい表現の追求という過度な負担への代償であった。
新しい表現とは、破壊と創造である。
新境地の開拓は、孤独と表裏一体なのだ。
そして突き詰めた先にあったのは、狂おしいほどの孤独であった。
そんな表現者の深瀬昌久の写真集を眺めると、なにか新しいことをしてみたいと思うのであった。

今回はFoveonセンサー搭載のSIGMA dp2merrillに貰い物のNikonのストロボを取り付けて近所のあらゆるものを撮りまくった。
ストロボの使い方はいまいちよくわからないが、あえてそのまま使ってみた。
固定概念の打破こそ、深瀬昌久の写真への挑戦であるからだ。
強烈な光により、あらゆる見慣れた景色が空間ごと圧縮され、濃厚な情報量を無理矢理写真として収めている。
遠近感が失われ、安い広告のように陳腐に圧縮されている。
色はFoveonセンサーの荒れ狂う個性で彩られ、世にも不可思議な世界となった。
光は世界を圧縮し、平坦に馴らし、我々の目には見えない世界の可能性を醸し出す。
すべては死に絶え、生物のようにそこにあり、それでいて使い古されたポップなイメージの余韻を感じる。
セオリーを排し、去勢される直前に逃げ出した獣のような荒ぶるイメージ。
写真の可能性は尽きない。


深瀬昌久の写真集、度肝抜かれる悲しい風景

サポートいただきましたら、すべてフィルム購入と現像代に使わせていただきます。POTRA高いよね・・・