森山大道 光の記憶 | 企画展 | 島根県立美術館 『気分は森山大道snap』
島根県立美術館にて、森山大道の企画展がやっております ※4月12日(水) ~ 6月26日(月)
こんな田舎で森山大道の生プリントが見られるなんて・・・感動であります。
新宿のイメージが強い森山大道ですが、実は父親は島根県生まれ。
さらに幼少期、島根県大田市仁摩町宅野で過ごしたことがあるとか。
写真集まで出ています。
なんとあの森山大道が我が山陰に住んでいたことがあるなんて・・・というので実際の宅野で撮影したスナップが上記リンク。
写真展見たあとってとにかく写真が撮りたくなる。
もう気分は森山大道である。
RICOH GRを引っさげて、森山大道ばりのモノクロスナップをキメる。
僕の目は森山大道となり、世界は森山大道の写真の世界に塗りたくられる。
森山大道といえば、プロヴォーク時代の「アレブレボケ」
強烈なコントラストと粒子感で世界は森山大道となる。
ウィリアム・クラインの系譜と日本写真の歴史をオン・ザ・ロードで爆発させたのである。
強烈な世界観は、昭和のカオスな雑踏感を飲み込み(にっぽん劇場、寺山修司、三沢の犬、新宿・・・)東洋の猥雑でごみごみしてそれでいて人工的で自然な情景を写真にすることができた男、それがDaido Moriyamaである。
森山大道気分で写真を撮ると、とにかく量である。
森山大道本人も「量のない質はない」と言っている。
GRでとにかく撮りまくる。
琴線に触れた瞬間、構図もピントも気にせずすぐさま撮り去る。
早撃ちガンマンよろしく、意識に上った何かが過ぎ去るのを防ぐために写真にする、そんな感じだ。
捕らえたものが何なのかはどうでもよく、撮ったということはそこに何かがあったのである。
森山大道の写真はピンぼけ、めちゃくちゃな構図、アレブレボケは当たり前。
教科書的には0点の写真。
だがそこには普通の人々が過ぎ去るのをただ眺めていた一瞬が切り取られている。
森山大道はある時期写真が撮れなくなった。
写真にさようならしたのである。
それは苦悩であり、盟友中平卓馬はそれにより苦しんだ。
そこから復活するまで、彼は何を感じたのであろうか?
印象的な桜の写真がある。
企画展で時系列に貼られた写真のうねりは、写真に生きた人間の強烈なエゴと苦しみと道楽の狭間が垣間見れる。
素晴らしい企画展であった。
盟友にして終生のライバル中平卓馬について