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超広角の世界 SIGMA20mm F2 DG DN

超広角の世界、初挑戦なのである。

基本的に50mmを愛する僕ではあるが、広角はRICOH GRの28mmまでが限界だと思っていた(すべて35mm判換算)

僕の好きな写真は実際に見た景色に近く、1枚の写真に命題がしっかりと存在しているものだ。

だが、色々と学んでいくと標準レンズと言われている50mmが、実際に見た景色に一番近い・・・というわけではないということがわかった。

実際のところ、iPhoneの28mm相当が一番人間の視野に近いという。


では50mmがなぜ標準なのか?

それはLEICAがそう決めたから・・・というのも事実ではあるが、僕が思うに「視野」と「実際に見た景色」は違うという点だ。

今、あなたはPCかタブレットかスマホでこの記事をご覧になっていると思うが、その見たままをスクリーンショットした場合どうなるか?

たしかに28mmっぽい視野だが、今まさに読んでいる文字にピントが合い、周辺視野はボッケボケになっているだろう。

ここで写真を撮る自分を思い浮かべてほしい。

写真を撮るという選択をした瞬間、そこには撮りたいと思わせる何かが存在することだろう。

その何かにピントを合わせる、それは実際に見た景色がそうであるからだ。

そうなると、その何かを撮るという選択をした意思を、写真という媒体(スマホで見る、SNSにアップロードする、プリントする、誰かにプレゼントするなどなど)に落とし込むには50mmくらいの画角がちょうど良くなる。

ちょうど良いはなにか?

もちろんテーマにもよるが、大抵の写真の活用方法が「記録」だと思うので、50mmという「実際に見た景色の中で伝えたいポイント」を伝えやすい画角が標準となっているのではないか?

人間の視野を写真という媒体に移行した際に、その再現度が最もベターなのが50mmmくらいなのだと思う。

要するに写真をコミュニケーションだと考えると、最も相手に情報を伝えやすい画角が50mmくらいなのだ。

広角や望遠は、実際に見た景色とは微妙に違う。人間の視野では起こり得ない歪曲や圧縮効果もある。


では、なぜiPhoneは28mmなのか?

それはスマホの写真はコミュニケーションでしかないからだ。

何でもかんでも情報記録が当たり前となった現代において、写真という情報媒体はあらゆるものを記録する監視カメラのようになった。

SNSでアップロードする食事や家族や友人や映える景色は、そこにあったすべての情報を詰め込めるだけ詰め込んだほうが映える。

一般的なスマホの写真の利用方法は、とりあえず情報を詰め込んで共有する。気に食わなければ簡単に編集できる。そしていくらでも簡単に撮れる。

終わりなき情報収集のためには、漏れのない広角が良いのである。

これからの時代、50mmは狭すぎる、硬すぎる、少なすぎる、そして映えない。

それは情報過多が当たり前の環境で育ってきた世代が一番写真を撮っているからだ。

情報過多社会では、情弱はコスパが悪い。

大は小を兼ねるのが、スマホ世代の情報との向き合い方なのだ。


ではなぜ僕は超広角レンズを買ったのか?

それは超広角でしか撮れない世界があるからだ。

単純に使ってみたいというのもあったが、超広角レンズで撮った景色は実際に見た景色とは全く違う。

世界は歪み、顔が伸び、視点が定まらない。

もちろんSIGMA20mm F2 DG DNは、異常な歪みなどはほぼ無い。

単純に超広角の世界という視点が欲しかったのだ。

カメラやレンズを変えると視点が変わるというのは以前にも書いた。

慣れきった散歩道でも、カメラやレンズを変えると世界と対峙する自分の意識は随分変わってくる。

超広角の世界はこれが異質なもので、今まで撮れると思っていたテンプレートな景色が一切通用しない。

そして超広角レンズだから撮れるベターな景色というのも存在する。

さらにいうと、超広角レンズでしかできない表現方法もある。

超広角の世界は非常に恣意的でわがままだ。

その視点、それが欲しかった。


実際使ってみて、とにかく慣れない。

まっすぐ撮れないし、かなり寄らなければならないし、余計なものが入りまくるし、子供を撮るのは至難の業だ。

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しかし、こういった今まででは収まりきらなかった世界を1枚の写真に凝縮できたり、過度な歪曲を敢えて狙って撮ったり、そんな異質な視点がもたらされる。

そんなこんなで奮闘中だ。

この誰からも求められていない試行錯誤=ストレスは、便利すぎて主体性のない現代において、我々に生きているという実感を与えてくれる。

それは大いなる勘違いであるが、それによって我々はマトリックスのディストピアの到来を待つ間の暇つぶしを行っているのだ。

適度なストレス、それは趣味と呼ばれ、非生産的な生産、そして生の表現、それは時にアートなんて呼ばれたりするが、洞窟に絵を描いたご先祖様の試行錯誤とそう違いはない。

要するに生きているのである。


そう、だからカメラやレンズを買うのは生きている証拠なんですな。う〜ん。

結局、言い訳になってしまったが、このレンズ、最高です。



サポートいただきましたら、すべてフィルム購入と現像代に使わせていただきます。POTRA高いよね・・・