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FoveonのモノクロームとSIGMA Photo Pro耽溺

Foveonセンサーの説明は不要であろうFoveon教信者に送るFoveonモノクローム礼賛。
かの大戦末期ドイツ重戦車を思わせるSIGMA Photo Proを利用して(せねば)ゴリゴリに仕上げられたこの一枚。
適当に弄っていたら森山大道っぽくなった、というかプロヴォーク?
このフィルムライクながらデジタルのゴリゴリなシャープネスと濃淡なコントラスト、これだからFoveonを辞められない。


正直なところ、SIGMA dp2 merrillのカラー写真はいろいろぶっ飛んでいるのでなんとも言えない気分になる。
だがFoveonといえばモノクローム、質感が素晴らしい。
なんて言っていると「出たよ、Foveon教」と思われるだろうが敬虔な信者からするとさもありなんである。
そのさもありなんをさもありなんにするには、やはり専用ソフトSIGMA Photo ProでRAW現像が必須なのではあるが、これがまた色んな所に負担がかかる。
しかし、その先にあるのがさもありなんなのだからさもありなん。

SIGMA Photo ProとPhotoshopが違うのは、快適さはもとより、結果が見えているか見えていないかである。
ただでさえ扱いづらいFoveonセンサーかつ古いデジタルカメラで撮られた写真は、元データから得られる情報が少ない。
この情報とはデータ量ではなく、表面的なイメージだ。
というか、そもそもFoveonのカメラで撮られるものは限られており、撮れないもののほうが遥かに多い。
それは景観を選ぶカメラであることや、不便さからくる撮影者の意識的問題ではあるが、普通のカメラで撮ってLightroomで編集するのとまるで違うのである。

そんな柵を超え、表面的なイメージとSIGMA Photo Proとの折衷案を模索できるほどの根気も経験もない僕は、ひたすらPCの悲鳴を聞きながらSIGMA Photo Proをこねくり回すのである。
それは表面的なイメージの持つ「結果への誘導」を意識的でも無意識的にでも感じ取って行われる写真編集ではなく、偶然の産物と妥協なき妥協である。
これはFoveonセンサーの特性から来る厄介さのおかげで生まれる新たな領域であり、そこを安住の地として暮らせるものこそがFoveonに拘る者なのである。
しかしまあ重い。
そしてフルサイズFoveonまだかな〜


サポートいただきましたら、すべてフィルム購入と現像代に使わせていただきます。POTRA高いよね・・・