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君、熱い人であれ。36歳てっちゃん  テニスから製造業への挑戦

てっちゃんこと桒野哲司(くわのてつじ)です。

2021/7/1に新卒から12年間勤めた株式会社ブリヂストンを退職し、キャディ株式会社(以下CADDi)へ転職しました。入社前からCADDiの仕事に取り組み始めていますが、これからこの会社に入って「モノづくり産業のポテンシャルを解放する」という途方もない大きな山を越えていく挑戦が始まるのかと思うと、魂が震える、という心境です。

この記事では、36歳の大手製造業に所属するてっちゃんが、どういう思いで転職に至ったのかを書き出し、この思いに共感してくれる人を探すことが目的です。CADDiで(or CADDiと)一緒に働きたい、と思える人を増やすのが表向きの投稿目的としつつ、今までの自分の人生の振り返りをしながら、改めて自分が成し遂げたいモノが何なのかを言語化してみます。

約6000字と長いので、結論を先に。

一緒に熱い思いで世界変えるチャレンジがしたい!と思った方は一歩踏み出しましょう!ご連絡お待ちしています!

※カジュアル面談はこちらから

https://herp.careers/ref/wlWOK1lR8RFdkJpjw8wvS62GJoYrZLU7wWX6ePW6c7JgkxP73Ghgn2ewzeR7HldOpe6wXXf5EXZKdDYlSnjrr6PvjkuPGMYX7Yw

熱い人であれ

◇幼少期 桒野哲司という人間について

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両親は英語教員、兄は学校主席の頭脳、姉は美術の才能あふれる美大生、誰からも可愛がられる妹。私は4人兄弟どまんなかで育ちます。

両親の教育方針で、「自分の人生を決めるのは自分」ということで小さい頃から、自立した人間として存在を認めてもらいながら育ててもらいました。いま思えば、才気あふれる兄姉と比較して平凡な人間でしたが、両親は決して誰かと比較するようなことはなく「哲司は哲司のままでいいんだよ」と言われ続けていました。そして根拠はわからないですが「絶対できるようになるから」と信じてくれていました。

幼少期の自分の中で湧き出た思いがあります。

「正義の味方になりたい」

弱きを助け強きを挫く、というヒーロー像に憧れていたと思います。アフリカで食べられずに餓死するという事態をテレビで目の当たりにし、このままでいいはずないという思いを幼心ながら持ちました。それはその後、北海道大学農学部→公共政策大学院へ進学し、JICAという組織で政府開発援助=ODAに携わりたいという思いの原体験となります。(後の説明にありますが、JICAは最終面接で落ちてグローバル展開するブリヂストンへ就職)

◇学生時代 テニスを通じて学んだこと

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中学から始めた硬式テニス。高校時代に本気で全国を目指した結果、団体戦兵庫県ベスト8で敗退。ある意味自分の限界に気づきます。どれだけ頑張ってもプロにはなれないなと。

北海道大学に入り、もう一度自分がどこまで強くなれるのかを限界までやってみようと、100年を超える歴史を持つ北海道大学硬式庭球部へ入部。文字通り、人生を賭けてテニスに打ち込み、団体戦北海道3連覇達成。

とはいえ、「北海道優勝」をアンカリングしていたので、全国大会では関西の強豪校に歯が立たず、圧倒的な初戦負け。それでも高校の時よりは少しは強くなれたかなと思います。テニスは今でも競技レベルで続けています。

テニスを通じて学んだことは大きく3点。

1. 自分の力を出し切ることの面白さ(全力に全力で応えてくれる)
2. 自分の選択を信じること(何が正解か分からないからこそ)
3. フェアなスポーツマンシップ (だからスポーツは面白い)

1. テニスで学んだことがそのまま自分の人生観、ひいては仕事における考え方につながっています。思い返せば、自分の全力に対して全力で応えてくれる仲間が中学以降ずっといたのは幸せだったし、テニスを続けさせてくれた両親には心から感謝しています。

2. 「選択を信じる」ことは自分の意思で人生を決める、という広い意味と同時に、仕事をする上で非常に役に立つ考え方でした。自分の持てる武器・戦略を使い、相手との駆け引きの中で「勝つために必要な選択をし続ける」のがテニスの本質的な楽しさ、と考えています。ある根拠(仮定)に基づいて戦略を決めたら、それを信じて実行する。実行した結果をみながら必要に応じて軌道修正する、という仕事で必要な思考法がテニスを通じて培われたと思います。

3. 幼少期の原体験にもつながりますが、フェアであることがスポーツの世界に限らず絶対不可欠だと思います。正義の味方はどんなに相手が強くても決してあきらめない、そして応援してくれる人の声を自分の力に変えることができる。そして何よりフェアである。そういうヒーローになりたかった。

◇就職活動 ヒーローになるためになにができるか

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前述の通り、就職活動は「貧困を解決するヒーロー」になるため、ODAに携わりたいとJICAへの入社を目指しました。国際交流基金へのインターン経験、クロアチアで難民問題のフィールド調査なども経験しており、自分としては間違いなく採用されると思っていました。

ところがJICAは落ちます。挫折という程ではないにせよ、ショックはありました。では自分はどの世界でヒーローになれるか、と考えます。学生テニスを終え、次に人生を賭ける仕事とは?

その判断をする上で、影響を受けたのがクロアチアでの経験。クロアチア在住の日本人の「もらうことに慣れてしまったら人は成長しない」という言葉。結局のところ「自分の国を救うのは自分であるべき」という考え方に変わっていきました。ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行のマイクロファイナンスの事例などが取り上げられていたので、ODAだけが手段じゃないと思うようになります。

結論として、グローバルに工場を持って、現地で雇用を生んで働く人の生活を支える、という形で、正義の味方=ヒーローになれるのでは、と考えたわけです。グローバル展開している製造業に従事することが、貧困に対する数あるうちの一つの解であると自分なりに結論つけました。

「助ける人、助けられる人」の関係ではなく、相手を自立した人として認めた上でできることが製造業にはある。この結論とともに、ブリヂストンへの入社を決めます。

◇ブリヂストン 製造業で関わった魅力ある人たち
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ブリヂストンの仕事は本当に濃い12年間でした。下記の経歴に示す通り、タイ、アメリカの海外勤務を通じてまさに自分が入社時に思い描いたことを実現することができたと思います。

【ブリヂストンでの簡単な経歴】

2009-2011  東京本社 海外事業会社の予算管理、貿易実務等

2011-2016  名古屋支店 トヨタ向けの防振ゴム営業

2016-2019  タイ事業所派遣 防振ゴム営業アドバイザー

2019-2021  アメリカ事業所派遣 防振ゴム営業課長

防振ゴムは自動車用ゴム部品。↑の写真は私が営業として約5年に渡って受注・試作・生産準備・立上の全フェーズに関わり、社内外関係者が連携して無事量産することができたエンジンマウントと呼ばれる製品です。

防振ゴムにはブラケットなどの金属加工部品も含まれます。金属プレス・溶接、カチオン塗装、鋳造、鍛造、切削、樹脂成型、いわずもがなゴム加硫などモノづくりのいろんな要素を含んだモノ。ゴムの加硫以外は別の会社(サプライヤー)の方に製作してもらい、それらを社内でアッセンブリーして自動車メーカーへ販売します。

営業として約10年間勤務していますが、上司から「俺たちが売っているのはパソコンの画面に映る品番じゃなくてモノだ。モノづくりを知らずして営業ができるわけない!」という指導を受けて育てられました。どういう設計構造で、どういう機能があり、現場でどう作られるか、というモノづくりの泥臭さ、そして奥深さを主体的に学ぶ基本姿勢が身に付き、結果、製造業が好きになったと思います。

トヨタ向けの営業担当していたこともあり、社内外から現地現物の精神を教育してもらいました。多くのサプライヤー、自社工程へ行って勉強し、自分的にはモノづくりを分かったつもりでした。

◇海外赴任での現場経験で見えてきたもの

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その後、タイ、アメリカと工場勤務の営業となるのですが、日本で"分かった気になっていた"モノづくりとは違う世界が現場にはありました。

計算上はこのサイクルで生産できるのに、チョコ停・ドカ停が何度も起きる、不良発生すればその製造ロットはすべて廃棄など、今まで見てきた世界ってなんだったんだろう、と思うぐらいの差。こんな難しいモノをブリヂストンは作っていたのか、と。

現場は生き物のようなモノ。だからこそ、異常発生時に真因分析し即座に手を打つ、カイゼンを積み重ねるといった製造マネジメントが重要です。これは決められた仕様のモノを作るという後工程側である製造領域でできること。まさしく日本企業が得意としてきた領域です。

現場のことを学ぶ機会が格段に増えたのはやはりトラブルが発生した時。営業の立場の私には顧客への説明責任があります。海外赴任中に起きたトラブルでは、常に現場に張り付き、顧客へ状況説明しつつ次のアクションの方向付けというスポークスマンのような仕事をやっていました。サプライヤーでのトラブル発生時も顧客と一緒に飛んでいき、プレス機のドカ停の要因分析してリスクの洗い出しを実施、問題解決に必要なリソースを特定するなど、当時は大変でしたがよい経験をさせてもらったと思います。

そうした経験を経て、製造業の上流工程の遅れ・情報不足等により下流工程である製造現場にしわ寄せがいく、という構図も浮き彫りになります。言い換えるとそうした現場でのすり合わせ力が日本のモノづくり産業を支えてきたとも言えると思います。

ここでいう上流工程とは仕様、図面のことを指します。現場での作りやすさを(そこまで)考慮しないで決められた寸法公差であったり、過剰な品質基準で出荷前検査が必要になるケースも多い。それを現場から情報あげても「図面がそうだから」とか「量産しているモノは変更できない」という理由で適正化できないことがほとんど。

自社だけならまだしも、ブリヂストンのサプライヤーにまで無理を強いている現状をなんとかしたい、そのために営業の立場として最前線にいる私にできることは顧客側の意識を変えること。特に量産開始した部品の図面変更等はハードルが高いので、やれることは量産する前にどう仕様を最適化するか=上の図のShift Leftのコンセプトです。防振ゴムはその特性上、自動車の量産が近づくにつれて、設計変更が積み重なり逆に量産しにくくなる仕様になることもありました。そうなるとコストも上がるので顧客への売価もその仕様に見合った水準にしなければなりません。(それを交渉するのが営業である私の仕事)

二律背反を実現するのが仕事の価値でありますが、原理原則は適正な品質のモノをあるべき価格、適正な納期で納入すること。元請け、下請けとか顧客、サプライヤーではなく、同じモノづくりを支えるパートナーとしてお互いがフェアに取引できる世界を作っていきたいなと思うようになりました。それはモノづくりの上流から下流まで知り尽くした人が一生かけて取り組むようなレベルの話。まずは目の前の顧客の意識を変えながら、全員が納得できる着地点を探す、ということを愚直に続けようと思っていました。

◇キャディ株式会社への転職の決意

Caddi写真

2か月後にはアメリカから日本への帰任が決まっていた21年2月、CADDiのCEOである加藤勇志郎さんからスカウトメールが来ました。CADDiはそれまで聞いたこともない会社でしたが、「見積を7秒でやる、とかほんとできるのかな?」と最初は懐疑的だったのを覚えています。

これも縁だから、といろんな人の話を聞くため、カジュアル面談から始まり、会社説明会だけでなくCADDi Barやウェビナーに参加していく中で、「ここなら私が目指していたフェアな取引関係を製造業の世界を実現できるかもしれない」と感じました。

どうやって? テクノロジーを通じて、です。

いままでアナログに頼っていた製造業の特に調達領域で、画像処理などのテクノロジーの力を使ってデータ蓄積をしていく。データが蓄積されればされるほど、テクノロジーが導く理想的な答えの信頼性が高まる。見積精度、スピードだけではなく、上流工程である図面の時点で仕様が最適化できるなど、調達に関係するあらゆる課題をテクノロジーを通じて最適化することができる、かもしれない。

あくまで現時点では「かもしれない」レベル。それを実現するためにやることは無限にあります。いままで誰も成し遂げなかったことなんですから当然。でもそこに自分が達成したい世界を実現する可能性がある以上、挑戦してみたい。自問自答しました。

-もしダメだったら?一大決心し転職してその会社が合わなかったら?

-安定している大企業を辞めてまで?家賃補助もなく給料は下がるのに?

-家族の生活はどうする?奨学金もあったし貯金は潤沢にあるわけじゃない。

妻と娘二人いる身としてリスクのある選択をしたと思います。そう決断できたのは妻からの言葉が最後の決め手でした。

「いま挑戦しないと絶対後悔するでしょ。そうしたらてっちゃんは幸せじゃない。てっちゃんが幸せじゃないなら家族も幸せにならない。心身ともに健康なら何やっても大丈夫」

本当にありがたい言葉でした。妻には頭が上がりません。転職に際して、自分のなかで以下のように結論つけました。

「もしCADDiでの挑戦がうまくいかなかったとしても、また違う方法で挑めばいい。大事なのは自分の選択を信じ、全力を尽くすこと。」

◇最後に 自分が人生で成し遂げたいこと

家族写真

長くなりましたが、以上が転職までの経緯です。CADDiでの仕事は正式には2021/7/1=明日から開始です。

人生で成し遂げたいこと、というと大げさですが、仕事においては製造業という場で自分の人生を賭けて挑戦し続けること、そこで働く人が幸せになれる世界をつくっていくこと。それがCADDiのミッションである「モノづくり産業のポテンシャルを解放する」につながり、ブリヂストンの仕事を通じて厳しく私を鍛えてくれた多くの人への恩返しになると信じています。

CADDiがバリューで掲げる「大胆」「卓越」「一丸」「至誠」。その中でも「至誠」は生きていく上で最も大事にしなければならない価値観だと思います。それはすなわちテニスを通じて学んだフェアなスポーツマンシップにつながるもの。「至誠」を通じてこそ、対等な取引関係は構築されるはず。

仕事以外で成し遂げたいこと、でいうと自分がいつか死ぬときにお葬式の参列者が笑顔で「てっちゃんは悔いなく人生をまっとうしたね」と言ってくれるような、そんな生き方をしていきたい。それこそ、幼少期の原体験にある「ヒーロー」になりたい。家族にとって、仕事で関わる多くの人にとって、顧客、パートナー(CADDiではいわゆるサプライヤー・仕入れ先という表現は使いません)にとって応援したくなるヒーローに。

こんなてっちゃんが働くCADDi。伊集院静さんの「熱い人であれ」の通り社会の心棒を回そうとする情熱を持った人たちがいます。一緒に挑戦したいと思った方は是非CADDiに入社し、熱いこころにすこし氷を入れて、グラスを挙げましょう!

再掲「熱い人であれ。」

熱い人であれ


何かあれば以下のフォームからの連絡でも、私個人のTwitter経由のDMでご連絡ください。

https://twitter.com/otetsu34924652


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