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戯曲『枯山水』

この戯曲(脚本)は、2016年に、劇団、味わい堂々 隠し味公演(番外公演)用に書き下ろしたものです。味わい堂々は女性三人で構成された劇団です。とんでもなく面白い女優たちなので、私はすぐにこの劇団のファンになりました。そして私の熱望により、番外公演の脚本・演出を担当させていただく事となったのです。出演者は五人+ゲストひとり。ゲストの長台詞は、黒子衣装の舞台監督にカンペを持っていただき、それを読むという、面白ければなんでもアリな演出でした。今回、味わい堂々の皆様の許可をいただき、掲載させていただきました。
戯曲は、小説とは違ってほぼ台詞の文章ですので、最初は読みづらいと思いますが、次第に慣れてきますので、半分ぐらいまでは諦めずに読んでみてください(懇願)。
世界遺産を舞台にした、ちとハングオーバーな女のお話。一応これはミステリーです。(え、そうだっけ?)

そして、誤字脱字ありましたらコメントにて教えてくださいませ。こういう事できるのもnoteのいいとこですよねえ。

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              暗転中に携帯電話の発信音。
              電話に出る音。
 
マイコ           (以下、電話口での声、不機嫌に)……はい?
通子       も、もしもし。
マイコ            ……はい?
通子       あの……私、昨日一緒に飲んでた、
マイコ            え? ああ。
通子       わかります?
マイコ            えーっと、痛子(つうこ)だよね?
通子       いえ、通子(みちこ)です。
マイコ            え? そうだっけ? ……ってか、まだ6時じゃない。
通子       ええ、そうなんですけど。
マイコ            なんの用?
通子       助けてくれませんか?
マイコ          え?
通子       助けて欲しいんです。
マイコ            なに、やめて。私、面倒に巻き込まれたくない。
通子       (被って)スマホの電源も切れそうでして、誰かに頼り直す時間もないんです。
マイコ            なにそれ困る。
通子       多分助けにきてくれないと、私、死にます。
マイコ            でたよ。痛子。
通子      通子です。
マイコ            一応聞くけど、今、どこ? 
通子       ここ、多分なんですけど……龍安寺です。
マイコ            龍安寺?
通子       はい。
マイコ            なんでそんな所に?
通子       それがわからないんです。
マイコ            バス……まだ走ってないか。でもまあ、タクシーでさあ。
通子       いや、違うんです。動けないんです。
マイコ            動けない?
通子       はい。だから、あの、お願いします。龍安寺に来てく……
 
              電話が切れる。『ツーツーツー』
 
マイコ           あれ? もしもし? ……ちょっと、電源切れたって事? もう!
 
              明転。
              龍安寺の石庭の岩に、隠れている女がいる。通子である。
              蝉時雨がうるさい。つまり、夏だ。
 
通子       ……暑い。
マイコの声            痛子ー? 痛子ー?
 
              マイコがやってくる。赤いジャージ姿。
              
通子       ま、舞妓さん!
マイコ     ん?
通子       舞妓さん、ここ!
マイコ     え? なにしてんのあんた!
通子       分からないんです。
マイコ     バカ、もう、信じられない!
通子       はい、私も信じられないんです。起きたら、ここにいたんです。
マイコ     早く、こっち来なさいよ!
通子       いけないんです!
マイコ     え? でもそこにいたらまずいでしょうよ!
通子       それはもうはい、重々承知なんです。ここにいたら、はっきり言ってヤバイです。今、何時ですか?
マイコ     八時ちょい過ぎ。あんたから連絡あって、すぐにきて、だけどまだ入れなかったから。受付開いてなかったから。
通子       ああそうか受付。
マイコ     そうそう。
通子       まだ八時だからいいですけど、これ、昼ぐらいになったら、私、死にます。ここ、日陰ないですから。確実に日射病と熱射病で死にます。
マイコ     そうかもね。
通子       死にます。私、陽に焼けると真っ赤になるタイプなんです。喉も猛烈に渇いてますし、死にます!
マイコ     うん、わかった。わかったから、早くこっち来なさいって。
通子       いや、ダメなんです。ここ見てください。
マイコ     なによ。
通子       砂紋です。
マイコ     さもん?
通子       この石庭の砂紋ですよ! これを崩さずに歩いて行くなんて、不可能なんです。
マイコ     さもんねえ。
通子       だから、行けないんです。
マイコ     言ってる場合か! あんたそこにいたら死ぬんでしょう? 
通子       はい。でも、この砂紋を崩して歩いてって……
マイコ     あの、そのさもんってなに?
通子       砂紋は、これ、これですよ! 
マイコ     分かるように言え!
通子       ええっと、なんて言ってたっけ……砂を川の流れに見立てて、このように、ストライプにしてるんです。
マイコ     ストライプ。ああ、この模様ね。
通子       歩いてそこまで行ったら、この水の流れの模様を崩してしまうじゃないですか。
マイコ     まあ、そうだろうね。
通子       それはちょっと。だって! 確かここ、世界遺産ですよ!
マイコ     ああ、そうなんだ。
通子       世界遺産であるこの庭を、ヒールで踏みしめて、ぐじゃぐじゃに乱した、なんて事になったら、大変な事になります。
マイコ     大丈夫だって、たかが砂でしょう? バレたってさ、謝って、直してもらって、それでOKでしょうよ。
通子       そんな簡単な問題じゃないんですよ! 私、教師なんです!
マイコ     え? だから?
通子       教師が、世界遺産でおふざけ? 懲戒免職ものです! 
マイコ     バレないって。
通子       バレます! 坊主だってツイッターやティックトックやってる時代なんです、多分。ましてや、もうすぐ修学旅行生がやってきます。坊主に怒られている時に修学旅行生がやってきて、写真バシバシ撮られてアップなんてされたらもう! 炎上間違いなしじゃないですか!
マイコ     まだ八時なんだからさ、修学旅行生まだ来ないよ。旅館でご飯食べてる頃だって。おいでって。坊さんに怒られて、それではい。お終い。ツイッターには載せないように、私からも強くお願いしておくからさ。
通子       甘いです! 修学旅行の朝は六時から始まります! 旅館を出るのは八時です! 早ければもう、第一陣が、龍安寺に着く頃です!
マイコ     じゃあさ、どうしろって言うのよ! 私、なにすればいいの?
通子       ここから、砂紋を崩さずに、そーっと脱出する方法を、考えて欲しいんです!
マイコ     私に?
通子       はい。舞妓さんに。
マイコ     あ、それ……あのさ、さっきからイントネーションがおかしいんだよね。もしかして舞妓と間違えてない? そのつまり、芸妓の見習いの舞妓。そういう意味で言ってる?
通子       え? 違うんですか?
マイコ     全然違う。私、キャバ嬢。
通子       え? 嘘?
マイコ     嘘じゃない。キャバ嬢。え? なにその「嘘」って?
通子       いや違います。「キャバ嬢っていくらなんでも嘘でしょう?」ってニュアンスの「嘘?」じゃないです。「あ、舞妓じゃないんですか?」って純粋な、はい。だってスマホの住所録にはそう登録してあったから。
マイコ     名前がマイコって言うから、あんた昨日、入力するとき、変換、間違えたんだね。って、どんだけ酔ってたんだよ。
通子       なんだ、舞妓さんじゃないのか……(激しい落胆)。
マイコ     そうだね。
通子       だとすると、ここからの脱出考えて貰えなさそうですね。
マイコ     どういう事よ? 
通子       だって、舞妓さんって、京都に精通しているって感じがするじゃないですか? 
マイコ     せーつー?
通子       京都の裏の世界にも顔が利いて、脱出方法なんかも。「こないしたら、どーどす?」なんて、京都の知恵を結集してくれそうな気がするじゃないですか。
マイコ     偏見だろ。まあ、所詮は先斗町のキャバ嬢だからね。できる事は少ないよね。
通子       政財界に人脈とか……なさそうですもねんね。ああ、なんで私、舞妓さんだと思っちゃったんだろう……(小声で)確かに見た目、舞妓じゃないじゃん。キャバ嬢ですら無理あんじゃん。
マイコ     聞こえてるからね。あんたさっきからちょいちょい失礼。助けてやらないから。
通子       それは困ります! 
マイコ     だったら、もっと、謙虚にならないとダメなんじゃ……
 
              学生達の声がする。
 
優の声    おはようございます、妙心様。
妙心の声 お、名前まで覚えられてしまったか。明昌(めいしょう)私立高校座禅愛好会、侮れないね。今はまだ人も少ないから、ごゆっくり。
優の声    ありがとうございます。
優の声    一番のりかと思いきや。
凜の声    既に靴が。上には上がいますねえ。
 
              隠れる通子。
              学生がふたりやってくる。大石優(まさる)と柳橋凜(りん)だ。
 
優          ……
凜          ……
マイコ     ……
          横、失礼してよろしいですか?
マイコ     え? 横?
優          ……(手で場所を示す)
マイコ     あ、ああ。どうぞ。
優          では……
凜          ……
 
              優と凜、中腰で庭を眺めている。
 
優          ……いいなあ。
凜          うん、いいわね。
優          こんなにもいいとはね。
          写真ではちっとも伝わらないのね。
優          室町時代に作られた龍安寺。応仁の乱で焼失するも、再建される。この庭はその前後に作られたと言われているが……。
          骨肉の権力争いと禅宗の興隆。同時期にそれが起こって、その姿が、こうして約五百年、変わらない姿でここにあるなんて。
          奇跡だよ。
凜          奇跡ね。
優          ごらん。臥竜の頭が、竜と言うより、は虫類っぽくはないかい?
          確かにそうね。目が離れてふたつ。
優          頭。腕。腕。そして、足がふたつ。
凜          七つ、五つ、三つの塊と考えて、七五三の、陽数字。虎の子渡しの……
マイコ     (遮る)あのさ!
優          ……
          ……
マイコ     あのさ、ごめんね。話しかけて。
優          なんでしょう?
凜          ……
マイコ     あの……その……詳しいのね。この庭に。
優          僕たち、座禅愛好会なんです。
マイコ     ざぜん愛好会?
凜          はい。座禅を愛する者達の会です。
マイコ     あ、ああ。座禅ね。座禅愛好会。あるんだ、そんなのが。
凜          ……はい。
マイコ     ……
凜          なにか?
マイコ     いや、その、やっぱりここで座禅をするの?
優          そうですね。
マイコ     これから?
優          多分。
マイコ     あ、そうなのね。
          禁止はされていませんし。
マイコ     うん、そっかそっか。それってさ、今日じゃなきゃダメ? いや、今じゃなきゃダメ?
凜          逆に問いますが、なんで今日、今じゃダメなんですか? 
優          お、禅問答だね。
凜          そもさん!(マイコに)
優          そもさん!(マイコに)
マイコ     なにそれ。いや、ごめんなさいね……面倒だな……ねえ、いつまでここにいるの?
凜          今、面倒だなって言いました?
マイコ     いや、言ってないけど。でね、あなたたちは……
凜          なに言ってないことにしてるんだろう?
優          (凜に)まあまあ。今日は午後の三時まで自由行動なんです。我々は清水寺に向かうグループを抜け出して、ふたりだけで、遠い龍安寺まで来ました。昨日の規定コースに組みこまれていたんですが、クラス全員で来たので、これほどの静寂を体験することはできませんでした。
マイコ     って事は、え、二日目? 昨日も来たの?
優          はい。
マイコ     じゃあさ、もうよくない? 
凜          なんなんですか? さっきから。
マイコ     いや、あのね。ああ、なんで私がこんな事!(と通子を睨む)
          分かります。朝早くにいらっしゃって、この石庭を独り占めしたい。そのお気持ちはとてもよく分かります。ですが、こう考えてみてはいかがでしょう? 法華経の教えにもございますが、蓮の花は、泥水から咲くのです。賑やかな俗世間で咲いてこそ真の花。真の悟り。ひとりきりの座禅より、今、ここで偶然出会った赤の他人と、少しイライラしながら座禅を組む方が、意味があるのかと。
凜          私たちが泥だ、とでも言うの?
優          ある意味そうかも知れない。
凜          確かにそうかもね。(ふふふと笑う)優くん、もしかして悟った?
優          まさか! まだまださ。凜さんに追いつけ追い越せだ。
凜          修行あるのみね。さあ、座禅をしましょう。
優          そうだね、座禅をしよう。
 
              ふたり、おもむろに座ろうとする。
 
マイコ     って、ちょっと待って!
凜          ほんとなんなんですかおばさん?
          凜さん!
マイコ     おばさんじゃねーし! って、なんなんだよ。座禅ってよ! こっちはいろいろ聞いてるってるっていうのに、勝手に座禅。それって暴力でしょう! 座禅暴力でしょう!
凜          座禅が暴力? 座禅をムリヤリ止める方が暴力でしょう!
優          凜さん、悟り、悟りが遠のく。
凜          ああもう! この人のせいで、悟れない! もう少しで悟れるってのに! 邪魔が入ったから! 信じられない! 
 
              臨済宗、僧侶の妙心がやってくる。
 
妙心       おいおいおいおい! どうしたどうした!?
優          妙心様。
凜          午前中の澄んだ空気の中、清々しい気持ちで座禅をしようとしたところ、このご婦人が、邪魔をしてくるのです。
マイコ     邪魔?
妙心       おはようございます。あなたは?
マイコ     え?
妙心       拝観に?
マイコ     はいかん?
妙心       この龍安寺には、観光でいらっしゃった?
マイコ     いや……まあ……
凜          そんな格好で? 怪しくないですか?
マイコ     怪しくねえよ。
凜          怪しいでしょう? 世界遺産であるこの龍安寺を荒らしに来たDQNなんじゃないかしら?
マイコ     おまえな、マジでなんなんだよ! ぶっ殺すぞコラ!
妙心       お止めなさい! って、ちょっと止めて。ここ、お寺ですよ。臨済宗のお寺ですよ。確かに観光名所になってますけど、ここ、修行の場ですからね。静かに心落ち着かせ、悟りを開くために修行する。そういう場ですからね。なのに、「ぶっ殺すぞコラ!」ってのはちょっと、止めてもらわないと。
マイコ     ……すみません。
妙心       修学旅行生にケンカ売りたいんだったら、鴨川とか人に迷惑かからない場所でお願いします。
優          いや、妙心様、鴨川でもケンカはどうかと……
マイコ     別にケンカ売りたいわけじゃないよ。ただ、話聞いてくれないから……この二人が。
妙心       寂しくなったと。
マイコ     え?
妙心       話を聞いてくれない寂しさから、ついつい怒ってしまったと。
マイコ     そういうことじゃない!
優          そういうことなら、一緒に座禅、やりませんか?
マイコ     え?
凜          ……
優          ……
妙心       ……
マイコ     (なんで私がと、イラついて)やりましょうかね。せっかくだからねえ。
妙心     では、どうぞ。拝観で混むのはもう少し先になるようですから、今のうちに三名様で、邪魔されずに、思いっきり座禅をしてください。座禅のコツは(優に)ご存じですよね。
優          はい。
妙心       先生(優)に教わってください(とマイコに)。
優          先生だなんて……!
凜          よろしくお願いします!
マイコ     ……よろしくお願いします。
優          お任せください。
              
              マイコ、ふたりの横、少し離れた場所に座る。
 
          では、まず座りかたから。両足を組む、結跏趺坐と言う座り方があるのですが、最初は足が痛いでしょう? なので、片足を組む半跏趺坐にしましょうか。
マイコ     ……
 
              凜、妙心だけにわかるように首を横に振る。
              妙心、それを受け取り、去る。
 
優          まあ、でも、どんな形でも結構です。やりやすい方法、座りやすい座り方、でいいのです。
マイコ     じゃあ、これで(と、雑にあぐらをかく)
凜          まじめにやって。
マイコ     座りやすい座り方でいいって言った。
優          うんうん。それでいいのです。問題は次です。曹洞宗と臨済宗で、多少の違いはありますが、今回はここ、龍安寺の臨済宗のやり方にならいましょう。右手で、左手の親指を掴みます。いいですか? このようにしてください。……あの。
マイコ     ……(岩方面が気になって、それどころではない)
優          聞いてます?
マイコ     うん、聞いてる。
優          ……では、今度は、その両手をおへその下あたり、ここを丹田といいますが、ここの前に持って来ます。顔は正面を向き、顎を軽く引きます。いいですか?
凜          はい。(マイコを見つめる)
マイコ     (それに気がついて)はい。
優          顎を引いて、目を半眼……薄く開いた状態ですね。半眼にして、約一メートルほど前の地面を見て、リラックスしてください。
凜          ……
優          次に大事なのは呼吸です。鼻で吸って……鼻で吐く。吸って……吐いて。吸った空気は……丹田にためるイメージです。そして、吐く。吐くときは、空気の全てを吐き出す感じです。ゆっくり吸って……ゆっくり吐く……これをー。繰り返してー。やってー。みてくださいー。それではー。どうぞー。
 
              瞑想状態に入ったふたりを見て、マイコ、岩の方を見る。岩陰から通子がマイコにジェスチャーで「早くふたりをどこかにやってくれ」と伝えようとしているが、マイコは同じくジェスチャーで「それは無理だろう」と返している。
              喉が渇いたのだ、と伝えているが、なかなか伝わらない。もっていたクラッチバックから、財布を取り出す通子。小銭を岩の上に広げる。「なにしてるの、止めなさい」とマイコがジェスチャーで伝えている。通子、そこから120円を拾い上げて、マイコに「投げるよ?」と同じくジェスチャーで伝えているが、マイコは「ムリムリ!」と手を振る。通子かなり余裕がなくなってくる。小銭を投げる通子。それをなんとか拾うマイコ。拾えても拾えなくても、その音で凜が視線を投げてくる。

凜          (咳払い)……
マイコ     ……
凜          ……
マイコ     なにか?
凜          いや、ちょっと、うるさかったから。
マイコ     え、もしかして、座禅失敗?
          はあ?
マイコ     座禅中に些細な物音で集中を妨げられて、ついつい座禅を止めてしまったのね? そうなのね?
凜          違う!
マイコ     じゃあ、今、座禅中? 「違う!」ってそれ、座禅中?
凜          う……
マイコ     あははは! 言葉につまるとはこの事だわね。
凜          あのね、素人にああだこうだ言われる筋合いはない!
マイコ     そうでしょうね? だけどあなたも素人なのではなくって? 横、ごらんなさい。
 
              凜、横にいる優を見る。優、すさまじく座禅している。
              効果音 ドドーン!と大太鼓。
 
凜          優くん……
マイコ     ね。これだけ私たちがののしり合っていても、この集中力。
凜          すさまじいわ。
マイコ     同じ座禅愛好会として恥ずかしいとは思わないの?
凜          座禅を極めれば、呼吸すら忘れると言うけれど、優くんはどんどんその域にまで達してる……
マイコ     童貞の集中力はもの凄いわね。
凜          えっ? やだ、この人、なにを言い出すの?
マイコ     ん?
凜          信じられない!
マイコ     どうしたどうした? 童貞ってのがまずかった?
凜          こ、高校生相手に、そんな卑猥な言葉を、午前中に、しかもお寺で……
マイコ     つーか、あんた達高校生だったの? 中学生にしか見えなかったけど、いや、逆か……熟年カップルにしか見えない時も……(※出演者は全員立派な大人でした)
凜          不謹慎!
マイコ     なにが? え、童貞って言葉が不謹慎?
凜          ああ、また言った!
マイコ     童貞でしょうよ。どう見ても、明らかに、童貞でしょうよ。
凜          今すぐ口をつぐみなさい!
マイコ     じゃああんたは、横に居るその男の子が、童貞でないと思うの?
凜          そ、そんな事考えたことない!
マイコ     違う、そんな事聞いてるんじゃないの。今、見て、どう思うの? 童貞? 童貞じゃない?
凜          二択!? 
マイコ     そう、二択。童貞? 童貞じゃない!?
凜          ど……やだ! なんでそんな質問に答えなきゃならないの? どう答えたところで言わなきゃならない!
マイコ     どっち? 童貞、童貞じゃない?
凜          言いません! 絶対に童貞だなんて言わな、言っちゃった! 童貞って言っちゃった! 
マイコ     二回も言った!
凜          いやああ!
マイコ     あんた二回も童貞って言った! 言った! 言った! 
凜          い、言ってない!
マイコ     なに言ってないことにしてるの? 下手だね! いろいろとね! 
凜          くうう!
マイコ     言った! 言った! 童貞って言った! 言った! 言った! 童貞って言った! 
凜          止めなさい! 私、言わされただけだから! 童貞って言わされただけだから! 
マイコ     また言った! 童貞ってまた言った! 
凜          ああもう! 卑怯な女!
優          止めてください!!!
凜          いやん!(と倒れる)
マイコ     いやん!(と倒れる)
優          聞いてますから。さっきから全て聞こえてますから。こんな神聖な場所で、そんな議論は勘弁していただきたい! ……凜さんも凜さんだ。この女性のペースに乗せられて、すっかり座禅を止めてしまって……
凜          だって。
          だってなんです?
凜          (地団駄踏みながら)私は悔しかったの! 同じ座禅愛好会のあなたが、深く深く座禅の深淵に向かって居るときに、性交渉を経験したか、まだしてないのかを……
マイコ     (被って)かえって卑猥になってるよ。
凜          議題にして、私たちを暗にバカにしていたのよ。同じ仲間として、聞き流せるはずがないでしょう!?
          聞き流してくれて構わないんだよ。
凜          だって……だって……
マイコ     そうそう、私はただ、童貞の力って凄いねって言っただけだもの。
優          ちなみに僕は、童貞ではありません!
マイコ     えええっ!
凜          でえええっ!
通子       (立ち上がって)どっちでもいいいいいいいいわあっ!!!
優          えっ?
マイコ     うわお!
凜          うおおおおお……ぅ!
 
              凜、気絶して、優の身体に身を預ける格好になる。優もその弾みで倒れる。
 
優          いたたたた! ちょっと、凜さん!
マイコ     (通子に)ちょっとあんた!
通子       なんの話をしてるの! どうでもいいから! ほんとどうでもいいから!
優          凜さん? 凜さん?
マイコ     隠れないと、ってなんで私が心配してるの。
通子       こっち生き死にの問題なんだから!
マイコ     台無しじゃない! こっち必死だってのに。
通子       嘘つけ! ずーっと童貞か童貞じゃないかを言い合ってただろうが!
優          それよりこっち! 凜さん!
妙心の声 どうしました!?
通子       あ。
マイコ     隠れて!
 
              通子再び隠れる。妙心がやってくる。
 
妙心       どうしました? 
優          気絶してしまいまして。
妙心      庫裏へ運びましょう。手伝って。
優          は、はい。
 
              凜を運ぶ妙心。優、凜と自分の荷物を持って、立ち上がり、マイコを一瞥して去る。
              蝉時雨が大きく聞こえてくる。
 
マイコ     ……
通子       (顔を出して)ずーん。
マイコ     ずーんってなんだよ。
通子       なんか飲み物……
マイコ     その前に謝れよ。私だって暇じゃないんだよ。今日、夜、出勤あるってのに、つまり今、寝てなきゃならない時間だってのに、あんたの為にここに来て、必死であんたが見つからないようにしてやってるって言うのに、なんなんだよ。自分で台無しにしてるんじゃないか!
通子       いや、こっち、喉渇いて死にそうなんですよ。そんな時になにあの小娘とくだらないケンカしてるの? っていうか忘れてたでしょう? 私の存在忘れてたでしょう?
マイコ     忘れてないよ。
通子       だったら、さっき渡したお金で早くジュース買ってきてよ。
マイコ     さっき渡したお金? ああ、この小銭、あんたが投げて寄こしたんだっけ。
通子       ほら忘れてんじゃない!
マイコ     忘れてないけど。
通子       忘れてたろうが! ってもういいや、そんな事より、早く買ってきてよ。私、死にそうなんだけど。ぴゅーって走って買ってきてよ。
マイコ     偉そうだなあ。何様?
通子       まったく本当にがっかりですよ。舞妓さんじゃなかったし。キャバ嬢ってのも本当だか怪しいし。
マイコ     どういうことよ。
通子       高校生ふたりすら、さばけない、追い出せない。
マイコ     いや、頑張ったけどね。
通子       高校生相手にムキになって言い争う始末。
マイコ     だって、なんかあの女、ムカつくんだよ。
通子       がっかりだよ。本当に。あーあ、残念。
マイコ     ……帰る。(と去って行く)
通子       え?
マイコ     さいなら。
通子       待って! ちょっと待って!
マイコ     知らん。
通子       まって、つか、泥棒!
マイコ     泥棒?
通子       泥棒! 泥棒だあ!
マイコ     って、静かに! いや、なんで私がそこ気にしてんのよ。あんたがそこはむしろ気にしなさいよ。って泥棒ってなに?
通子       百二十円。
マイコ     え? ああ。
通子       百二十円ネコババする気か!
マイコ     これはあんたが勝手に投げてきたんだろう!
通子       受け取った! 必死でマイコさん、受け取った! お金だあ! って必死だった!
マイコ     音がするから、座禅愛好会のふたりが気付くから……ああ、なんかもう面倒過ぎる。もう、これ、返すわ。じゃ。(と、小銭を床に置いて去って行く)
通子       千円出す!
マイコ     え?(と立ち止まる)
通子       千円出すから、水買ってきて。
マイコ     一万だな。
通子       え? 
マイコ     一万くれたら買ってきてやる。
通子       一万も!
マイコ     一万ぽっち、だよ。私、寝てたの起こされて、朝一でこんな所まで来させられているんだよ。
通子       だからって、一万は。
マイコ     いやなら帰る。私、あなたに親切にする義理、ない。
通子       そんな、無慈悲な!
マイコ     ここに来ただけでも、その価値あると思うけど。タクシー代だって……そうだ、タクシー代払ってもらわないと! 
通子       タクシー使ったんですか?
マイコ     早朝だよ。当然。
通子       で、そのタクシー代を私に払えって?
マイコ     当たり前でしょう? 呼び出されたんだから。だから、そうね。二万もらおうか。
通子       (財布の中を確認して)二万?
マイコ     うん、二万。
通子       一万五千。
マイコ     この期に及んで値切るかね!
通子       それしかないんです。財布の中にそれしかないんです! 本当です!
マイコ     じゃあ、それでいいや。投げて。
通子       え?
マイコ     財布を投げて。
通子       財布、投げるんですか? 
マイコ     うん。だって、お札、ここまで届かないでしょう? だから財布ごと投げて。受け取ったら財布返すから。
通子       それは、ちょっと。財布人に預けるってのはちょっと。
マイコ     信用できない?
通子       そういうわけじゃないですけど、やっぱり、ちょっと。だって、この財布は私の最後のカードなんですよ。この局面で、最後のカードを切るってのはちょっと。だってまだ序盤ですよ。
マイコ     どの基準での序盤なんだよ?
通子       必ず払いますから。信用してください。
マイコ     私も必ず財布返すってば。信用しなよ!
通子       いえ、まず、私を信用してください!
マイコ     なんだよ、このチキンレース。私、降りないからね! 
通子       畜生!
マイコ     ……あんたこのままじゃ死ぬんだよ。一万五千円で命助かるんだったら、安いもんじゃない?
通子       そうですけど。
マイコ     だからさ、財布渡しちゃいなよ。そしたらジュースなんて三本ぐらい買ってきてあげるからさ。
通子       三本も。
マイコ     そう、三本も。
通子       ぐううう……
マイコ     たった一万五千円で、命が助かるジュースが三本も手に入るんだよ。
通子       三本も。
マイコ     うん、そう、安いよ。だから、投げて。財布投げて。
 
              通子、財布を投げようとする。
 
マイコ     そう。慎重にね。砂利の上に落とさないようにね。
通子       ……
優の声    そこまで!
マイコ     え?
通子       はっ!
 
              通子、岩に隠れる。マイコ、壁に顔をつけて背中を見せる。
 
優   
       隠れなくても結構です。もう、見てしまいましたから。
通子       ……
優          石庭の岩から顔をお出しなさい!(手をロック様のように通子方面に差し出し)
通子       はい……(と顔を出す。優の手はその動きに合わせて上へ)
優          あなたたちは、なにをしているんです? 
マイコ     いやあ……
優          あなたは、何故、そこに立っているんですか?
通子       すみません。
優          すみませんじゃないです。これが見つかったらおおごとですよ。
マイコ     そう、だからこっちに来いって言ってるんだけどさ、頑なに嫌がるんだよね。
優        それはそうですよ。この美しい砂紋を崩しては絶対にいけません。ここは世界中から観光客がやってくる龍安寺の石庭ですよ。外国人も沢山やってきます。そんな風光明媚な場所で、いい年した女性がはしゃいで、石庭に入ってしまった?(通子カチンと)そんな様子を見られた日には、日本の悪い印象が世界中に喧伝されてしまう事でしょう。 
マイコ     大袈裟だなあ。
優          大袈裟ではありません! ……ご安心ください。私、そこでおふたりの話を聞いて、咄嗟に龍安寺の入り口に「拝観中止」という走り書きを置いてきました。しばらく観光客は入ってこないでしょう。とはいえ、ノートに書いた走り書き。どこまで効力があるかは分かりません。
マイコ     すげーなー。
優          まずは、これだ。(鞄から、保温水筒を取り出す)
通子       ああ……(以下、唸っている)。
優          あの、あなた。
マイコ     私?
優         その柱にかかっている警策を取ってください。(※警策とは座禅中に肩に振り下ろされる、先の平たい、あの棒である)
マイコ     けいさく?
優          長い棒があるでしょう?
マイコ     ああ、これね。(と、取る)
優          それをこんな事に使うのは、本当に気が引けるのですが。ちょっとこのまま持っていてください。
 
              優、警策を地面と平行にもってこさせ、そこに、保温水筒の蓋部分を置き、お茶を注ぐ。
 
優          さあ、これをあの人に。
通子       わあ……(嬉しい)
マイコ     私が?
          お友達でしょう?
マイコ     誰が友達だ!
通子       頂戴、早く頂戴。頂戴。頂戴……
優          もう、あの方は限界のようです。さあ、お願いします。
マイコ     もう……
優          慎重に。世界遺産ですよ。こぼさないように……
マイコ     もう……
通子       早く! 早くぅ! 頂戴。頂戴。頂戴。頂戴……
優          気をつけて! こぼしちゃダメだ。

              ぷるぷるしながらも、岩にようやくコップを持って行くことに成功する。慌ててそのお茶に口をつけようとする通子。
 
優          熱いですよ。
通子       (優が言い終わる前に飲んで)あっつい!
 
              吹き出してしまう通子。中身も、ほぼ、こぼしてしまう。
 
通子       なんだこれ、あっつい! てめえ、殺す気か! バカが!
マイコ     あんなこと言ってるよ。
優          だから熱いって言ったのに。
通子       こんなクソ暑い日に、なんでこんなアツアツなお茶持って来てるんだ! 
優          暑い日に冷たい飲み物は毒ですから。
通子       老人か! 高校生ならキンキンに冷えたジュースがぶ飲みせんかい!
マイコ     あれでも高校の教師なんだけどね。
優          教師なんですか!? ……信じられない。この場所の素晴らしさや、歴史的価値を知ってなお、そこに立っているのですね。なんてことをしているんですか!
通子       いや、私も良く分からないの。起きたらここにいたの! 知ってるよ、この石庭の素晴らしさ! 修学旅行で何度も来てるもの。だからこそ! この砂紋部分には立たないように気をつけているじゃない!
優          じゃあ、そこの苔は? 
マイコ     コケ?
優          岩のまわりにある、あなたが今、踏みしめているその苔は!? それだって、かなりの手間が掛けられていて、この絶妙な景観を形作っているんです。なのに……それを……なにも考えずに踏みしめている。できればじっとしていて欲しい!(と手を通子方面に伸ばし、首を絞めるジェスチャー)ギュー!
マイコ     怖いよ、この子。
通子       (首が絞まってるような気になりながら)すみません。本当にすみません。私だって、好きでここに居るわけではないんです! そのギューっていうの止めて。一刻も早く、そちら側の人間になりたいんです。本当です! だから、この苔部分は本当にすみません。なるべく動かないように頑張りますから!(と軽く動いてしまう)
優          動かないで! ……とにかく、そこから脱出する方法を考えなくてはなりませんね。凜さんが起きてきて、この様子を見たら、大変な事になる。
マイコ     確かにあの子、厄介だね。
優          正義感が人一倍強いんです。彼女が起きてくる前に、なんとかしなくては。
マイコ     なんとか、ねえ。
優          あの、ちょっとあなたにお聞きしたい。
通子       私?
優          そう、あなたお名前は?
通子       通子って言います。城崎(きざき)通子。
優          通子さん、あなた何故、そこにいるんです?
通子       えっと、朝起きたら、ここに、いました。
優          立ってた?
通子       いえ、この岩に、こうやって(とうつ伏せで)寝てました。
優          よく寝れますね。
通子       よくやるんです。家でも酔って、床で寝ちゃったりするんです。
マイコ     だらしねえ。
通子       そんな格好のあんたに言われたくない!
マイコ     そんな格好? この格好の何処がいけない!?
優          静粛に! ちょっと待ってください。話がちっとも進まない。ええっと……そこへは、どうやって行ったのですか?
通子       覚えてないんです。
優          全く?
通子       全く。
優          ふむ……助走をつけても、飛べない。歩いて行くしかない。だけど、石庭の砂紋は崩れていない。……なにか事件性を感じますね。本当になにも覚えてない?
通子       私、酔うと忘れちゃうの。記憶無くしちゃうの。
優          偉そうに言う事じゃないですよね。
マイコ     だらしねえ。
優          そういうあなた(マイコ)は? お酒には強い?
マイコ     まあね。
優          なるほど。で、通子さんと、あなたの関係は?
通子       その人は舞妓さん。
優          舞妓さんなんですか?
マイコ     キャバ嬢ね。
優          どっち?
通子       ああ、イントネーションが違った。マイコさん。キャバ嬢のマイコさん。
優          キャバ嬢のマイコさん。……そうか! あなたは、キャバ嬢だからお酒に強いのですね。
マイコ     え? いやまあ、そうなのかな。
優          やはりそうか、思った通りだ!(まるで大きな事件を解決したかのよう)
マイコ     え、なにこの子? このぐらいの推理で、探偵気取り?
優          (ますます探偵気取りで)通子さんとマイコさんは、どういったご関係なのですか?
通子       ええっと……それがあまり覚えてなくって。
マイコ     昨日ね、四条のキリンシティで会ったのよ。
優          キリンシティ?
マイコ     ちょっといい居酒屋。
優          じゃあ『シティ』ではないですね?
マイコ     (流して)そうですね。で、私、遅番だったから。ちょっとキリンシティで、ご飯でも食べようと思って。そこで、この子に会ったのよ。
優          それは、何時ごろのはなしですか?
マイコ     ええっと……七時ぐらいかなあ。
優          七時。その時、通子さんはまだ記憶はありましたか?
通子       はい。まだありました。マイコさんは……そうだ、まさにその格好で、同じフロアのテーブルにつきました。うわ、昨日の夜と同じ格好だ! だらしねえ!
マイコ     残念でした。同じような服、いくつも持ってるだけ。違う服です!
通子       本当かなあ!?
優          静粛に! 推理の邪魔です。
マイコ     この子も厄介だわ……
優          マイコさんは、おひとりでやってきた? 
マイコ     ケイコと一緒だったわ。
優          ケイコさん。
通子       あ、そうそう、ケイコさん!
優          その、ケイコさんも、キャバ嬢でいらっしゃる?
マイコ     ううん、風俗嬢。
優          ふ! 風俗嬢! 
マイコ     うん。ケイコ、その日は深夜からのシフトで。一緒にご飯食べたいって言うからさ。
優          ふ! 風俗嬢!
マイコ     なんだよ、しつこいなあ。
優          ど、どういう感じの、風俗嬢!?
マイコ     どういうって。デリヘルだけど。
優          デ! デ! デリヘル? 
マイコ     で、ケイコと待ち合わせたのが確か七時。で、合流して、店に入って……確かその時には、この子(通子)ひとりで飲んでた。
優          デリヘル……
マイコ     (優に)って、ねえ? ちょっと聞いてる?
優          デリヘルってなんですか?
マイコ     ヘルスをデリバリーするんでしょう? そこ、そんなに重要じゃないから。
優          健康をデリバリーってどういう事なんだろう?
マイコ     だからそこ、そんなに重要じゃないんだってば!
優          いいえ、そういった、ちょっとした情報が、大事なんです。これは推理の基本です。
マイコ     なんなんだよこいつ。
優          通子さん、あなた、なぜ、ひとりでキリンシティにいたんですか? 
通子       なぜって、ひとりだったから。ひとりで京都に来たから。
優          ひとりで?
通子       はい、ひとりで……
優          京都にはいつ?
通子       昨日の午前中に。
優          なにをしに?
通子       ええっと……彼氏に会いに?
優          彼氏に会いに? だけどあなたはひとりでキリンシティにいた! なぜです? 詳しく教えてください。
マイコ     探偵さん、推理するのはいいけど、もう少し気を使ってあげて。
通子       だからそれは! ふられたからじゃないのかなあ!
優          こいつはおもしろくなってきたぞ。
マイコ     おいおい。
通子       私は昨日、岡山から京都へ、ひとりでやってきました。私はここ、京都で彼氏と……いえ、元、彼氏と……会う約束をしていました。
優          その、元、彼氏は京都の人なんですか?
マイコ     おい。
通子       いいえ、元! 彼は! 東京の人ですうううう!
 
              通子泣く。
 
優          泣いてちゃ真実は見つかりませんよ! 証言を、早く!
マイコ     待て待て待て! おまえ、最低だなあ。
優          どこが!? この人の為に推理をしているんですよ!
マイコ     わーったから。私が知ってること、証言するから。
優          おー、なるほど、証言者2ですね。お願いします。
マイコ     私が、ケイコと待ち合わせてキリンシティに入った、午後七時……(とおもむろに石庭へ降りる)  
優          ああっ!
 
              照明変化。
              全員、たんたんと位置に着く。
     喧騒のガヤ。そしてBGM。
              つまり、ここはキリンシティ。
              今までいた岩をテーブルに見立てて、そこで酒を飲んでいる通子。
              (飲み物などは全てパントマイム)
              マイコと、風俗嬢のケイコ(凜役の俳優が演じる)が並んで、上手(かみて)のテーブルのそばに。店員(優役の俳優が演じる)がそばに立っている。
 
店員       ご注文、お伺いします。
ケイコ     唐揚げ、ポテト、餃子、生、それとカシスオレンジ。
店員       かしこまりました(と去る)。
通子       なんだよ畜生! 誰だよあいつ! ツネヒコ! ツネヒコオオオ!
マイコ     (通子を見て)え、なにあれ? 
ケイコ     うざいですね。
マイコ     あれ見ながら飲むのもアリだね。
ケイコ     いや、酒、不味くなりますよ。
通子       アイ、ヘイト、京都だよ、ちっくしょう!
マイコ     なにがあったんだろうね。
ケイコ     関わらない方がいいですって。
 
              通子「ずーん!」と言いながら振り返って、マイコたちを見る。
 
マイコ     でね、そこのパンケーキがさ、二時間待ち。
ケイコ     あ、それ、普通ですよね。美味しかったらそのぐらい並びますって。
マイコ     そうそう。そこしかも、ハワイの店のチェーンでね。
 
              キングボンビーの曲を歌いながら、通子が迫ってくる。
 
ケイコ     それって間違いないやつ。
通子       あの……
マイコ     うん?
通子       さっき、私の事見てましたよね?
ケイコ     見てないよ。
通子       見てましたって。
マイコ     パンケーキの話してたし。
通子       パンケーキ食べないでしょう、明らかにそんな人種じゃないでしょう!
ケイコ     むかつく。パンケーキぐらい食べるわ。
マイコ     喫茶店のホットケーキ、が正解だけどね。
通子       ちょっと一緒に飲みませんか?
マイコ     え?
ケイコ     困ります。
店員       (やってきて)お待たせしました。先にビールと、カシスオレンジですね。
通子       (店員に)あ、私こっちに移りますんで、飲み物、持って来て貰ってもいいですか?
ケイコ     はあ! なんでこっち来るの?
通子       私、今、人生で最大に落ち込んでおりまして。
ケイコ     知らねえし! 
マイコ     まあ、まあ……
店員       ええっと……お持ちします?
マイコ     ええ、お願いします。
ケイコ     ちょっとマイコさん。
店員       かしこまりました。
マイコ     で? なにがあったの?
ケイコ     いや、なんで聞いちゃうんですか? こんな女の話聞いたら、マジで面倒だって、マイコさん分かりますよね?
マイコ     うん、そうだね。
ケイコ     だったらなんで?
マイコ     ん? ちょっと顔が好みだったから?
通子       ん?
ケイコ     もぅ! 信じられない!
マイコ     嘘、嘘。なに? 心配?
ケイコ     心配とかじゃなくって、嫌なだけです。
マイコ     妬かないの。
 
              マイコ、ケイコにキスをする。
 
通子       ん?
店員       こちら置いておきますね。(と酒を置く)
通子       ん?
ケイコ     もう。                                               
マイコ     うん、よしよしだ(とケイコの頭をなでて)。さて聞こう。なにがあった? 
通子       え?
マイコ     人生最大に落ち込んでいるその理由を聞こう。
通子       あ、えーっと、なんだっけ? 
マイコ    男の事に違いない。
通子       なんで分かるんですか!
マイコ     落ち込んでるって、まあ大概そうでしょうよ。
ケイコ     ねえ、マイコさん、先に乾杯しちゃいましょうよ。
マイコ     あ、ごめんごめん。乾杯!
ケイコ     乾杯。
通子       乾杯。
 
              三人、勢いよく酒を飲む。
              そこに、帽子を目深に被った男が息を切らして入ってきて、席に着く。
 
男          ウーロン茶、ひとつ。
マイコ     はい、この男! 
 
              照明変化。ガヤが止まる。
 
マイコ     この男が後々、痛子を持ち帰ります。
通子       え?
優          持ち帰る!?
通子       まさか!
マイコ     いや、これ、ケイコ目撃情報。
通子       まったく覚えてない!
マイコ     この男、しばらくしたら、私たちのテーブルに合流してきてね。
 
              みんな動き出して。その後の定位置に。
              照明変化。ガヤ再開。
 
男       あのーすみません、一緒に飲んでもいいですか?
ケイコ     困ります。
男       いやね、さっきからちょっとお話聞いてたら、美しい女性が三人でなにやら込み入ったお話をされてたものでね。ボク、こう見えても、カウンセリング的な事してるんで。なにかお力になれたらなーって。
マイコ     ……カウンセリング?
ケイコ     困ります。
男       あなた、お名前は?
通子       通子です。
男       通子、みっちゃん。で、みっちゃんの悩みは?
通子       う……うう……
男       ちょっとタイム! 泣かないよ。泣かないで。
通子       泣いてないです。
       泣いてる泣いてる。
通子       泣いてるって言われると……泣いちゃうじゃないですか!
男       泣きたかったら思う存分、泣くといいよ! そして、お酒飲むといいよ!
マイコ     いっちばん苦手なタイプ。
ケイコ     ちょっとここ、私たちのテーブルなんで、こういうの困ります。
男       (聞かず)さあ、泣いて! いいんだって。京都ってそんな気分にさせるんだって。だって、ここは何千年も前から都があったんだよ? つまりもの凄く沢山の人がここで恋をして、そして、別れてきたんだってば。つまりここは恋の都でもあるんだよね。
通子       うわああああん!
 
              通子の事を抱きしめて、泣かせてやっている男性。
 
マイコ・ケイコ           うわあ……
       なにがあったの? お酒飲みな。そして、全て話してごらんよ。
通子       それは一年前の事でした……
ケイコ     一年前から話すの!
       お静かに。女性って、こういう時、全てを話して、思いっきり泣くと、すっきりするんですよ。
マイコ     こいつ女を舐めてるね。
ケイコ     そういうの向こうでやってくれませんか?
通子     私は高校教師です。岡山県の赤磐市(あかいわし)で働いてます。一年前、私は修学旅行の引率で、ここ、京都に来ていました。(通子が廊下部分に移動)
 
              照明変化。店のガヤが終了。
 
通子       修学旅行初日、私は龍安寺の石庭で、生徒たちを落ち着かせたり、叱ったり、見張ったりしていたんです。その時……ツネヒコがやってきます。
 
              ツネヒコ、廊下に登場。(日替わりゲストが演じる。カンペがわりの日程表を持っている)
              いい雰囲気の音楽。
 
通子     私はツネヒコを見つめ、ツネヒコは私を見つめ返しました。まさに運命の出会いでした。世界遺産の庭の前で、私は、ツネヒコしか見えなくなっていたのです。見ていたい。このまま見つめ続けたい。……だけど、行程表は非情です。分刻みのスケジュール! 私は。すぐに龍安寺を離れなくてはなりませんでした。次に行ったのは清水寺。
                           
              通子とツネヒコ、入れ替わって。
 
通子       清水の舞台で、私はツネヒコと再開します。
 
              再び目を合わすふたり。
 
通子       普段はそんな事、絶対にしないんですが、この時は……自分でも不思議なんですが……私の方から声を掛けました。こんにちは。
ツネヒコ   こんにちは。
通子       もしかして、高校の先生? ですか?
ツネヒコ   はい。今、修学旅行の引率で。
通子       私もなんです!
ツネヒコ   そうですか。もしかして、明日は、三十三間堂に?
通子       行きます行きます!
ツネヒコ   ちょっと行程表、見せてもらってもいいですか?
通子       あ、はい。(と、行程表を見せる)
ツネヒコ   ……明日もほとんど一緒だ。
通子       かぶるもんですね。
ツネヒコ   ってことは、明日もまた、会えますね。
通子       え? あ、はい。
 
              鐘の音、カラスの声。
 
ツネヒコ   あ……
通子       え?
ツネヒコ   夕陽が……
通子       綺麗。
ふたり     ……
ツネヒコ   もう行かなくっちゃ。じゃあ、また、明日。
通子       また明日!
 
              ふたり、入れ替わる。
 
通子       そうして次の日も、私とツネヒコは、「チョット離れたデート」をしました。金閣寺、銀閣寺、哲学の道、そして三十三間堂にいる時に、私達は連絡先を交換したのです。
 
              LINEのQRコード撮影を素早く行うふたり。
              IDが交換できて笑顔になる通子。
              ツネヒコ、去る。
 
通子       そうして、わたし達は付き合いました。だけど私は岡山。彼は東京。なかなか会えない遠距離恋愛。私たちは安月給でしたけど、頑張って月いちで会っていました。それから一年。交際は順調に進んでいます。いや、順調どころか、進展してます! 私たちはラブラブです!
 
              場所はキリンシティに戻る。ガヤ再開。
              この時までに男はいなくなっている。
 
マイコ     ラブラブって。
ケイコ     中年が使うと痛いですよね。
通子       話まだ終わってないです! 
ケイコ     はいはい。
マイコ     ごめんごめん。
通子       そして今日。彼は再び、修学旅行の引率でここ、京都に来ています。私は一年生の担任になったので、今日は普通の夏休み。なので、ツネヒコの修学旅行に合わせて、私もここ京都に来たんです。例の「チョット離れたデート」を、もう一度、するために。
ケイコ     怖。
通子       意外な反応! 怖い? 何処がじゃ!
ケイコ     いやだって、そのツネヒコが引率している高校について回るって事でしょう? 怖い!
通子       怖くないんじゃ! ロマンチックじゃ!
ケイコ     私がその高校の生徒だったら、恐怖だよ!「ひいい、あの女またいるけど!」って。
マイコ     もしくは勘がいい女だったら感づくよね。ツネヒコ先生とあの女、なんか怪しくねえ、って。修学旅行にストーカーしてくるって痛くねえ、って。
通子       そのへんは上手くやりますよ! さすがに全行程を一緒には回りませんし。
マイコ     上手くやれなさそうなんだよねえ。あなた。
通子       だけど、今日はちょうど、あの運命の出会いの日から一年なんですよ。その記念日に一緒にいたい。その気持ちはアウトではないでしょう? 普通でしょう?
男          (ハンカチで手を拭きながら再び登場)うんうん。出会い記念日だもの。アウトじゃないない!
マイコ     あんた今までトイレにいたでしょう。
ケイコ     適当に合わせやがって。
男          声大きいから全部聞こえてましたよ。すいません! ウーロン茶お代わりください! みっちゃんも飲んで!
マイコ     苦手なタイプだわあ。
ケイコ     私もです。
男          で? で? 話を続けて。
通子       今日、私は彼に「運命の出会いの場所で、会いましょう」って送ったの。そうして、龍安寺で彼が、修学旅行生を連れてやってくるのを待っていた……ところが!
男          ところが?
通子       会えなかったんです! 彼のクラスの生徒が急に体調を崩したみたいで、彼は病院に付き添わなくてはならなくなったみたいで。
          あらまあ。飲んで飲んで。
通子       「今日は一日中、病院にいることになるかも」そうメールが来ました。
マイコ     そっかあ、残念だったね。
ケイコ     でも、まあ、仕方なくない?
通子       それが不満なんじゃないんです! ツネヒコからのメールには続きがありました。「運命の出会いの場所にいてくれないか? 必ず、なんとしてでも行くから」そう書いてありました。私は期待しないで待ちました。修学旅行の間、教師の行動は、自由にはなりませんから……(移動開始)だけど、私は、ほんの少しの期待を胸に、龍安寺の石庭を見ながら、待っていたんです。
 
              再び石庭の廊下に移動。照明変化。
                            
通子       出会いの事。これまでの事。幸せな一年。なかなか会えない、辛かった一年。そんな事を思いながら待っていたんです。そこに電話が入りました。
 
              電話のバイブ音。
              
通子       非通知?
 
              電話にでる通子。
 
通子       もしもし?
女の声    ……
通子       もしもし?
女の声    通子さんですか?
通子       そうだけど。
女の声    先生は……
通子       え?
女の声    ツネヒコ先生は、私が渡さないから!
通子       ……あなた、どうやって私の番号知ったの?
女の声    ……
通子       ねえ……ねえ!
女の声    榮倉奈々に似てるって言われてケンカした話、痛いですね。
 
              電話が切れる。
 
通子       もしもし! もしもし! ……その女は「ツネヒコ先生」と言いました。つまりツネヒコの学校の生徒でしょう。その生徒は、なんで私の電話番号を知っていたんでしょう? そしてなんで、二人しか知らないケンカの事を知っていたんでしょう? 私はしばらく呆然としていました。その時、ツネヒコから電話がかかってきました。
 
              電話の着信音。
              ツネヒコ、現れて。(カンペがわりの日程表を持っている)
 
通子       ……もしもし?
ツネヒコ   通子、今、病院出た! すぐに向かうから! 
通子       ううん、もう来なくていい。私、もう帰る。
ツネヒコ   どうしたの? なに怒ってるの?
通子       さっき、あなたの生徒から電話があった。
ツネヒコ   生徒? 誰?
通子       知らない。名乗らなかったし。だけど私の名前知ってたし。
ツネヒコ   名前? 生徒におまえの名前なんて教えてないぞ。
通子       じゃあ誰?
ツネヒコ   知らないよ!
通子       榮倉奈々のケンカの事、知ってたんだけど!
ツネヒコ   え、なんで? 
通子       なんでって、こっちが聞きたいよ! ツネヒコが話したんでしょう?
ツネヒコ   話してないよ!
通子       だったらなんであなたの生徒が知ってるのよ! ねえ、嘘つくのだけは、やめようっていったよね?
ツネヒコ   嘘なんてついてない!
通子       じゃあ、もう、いい!
 
              通子電話を切る。
 
ツネヒコ   もしもし? もしもし?(と去る)
通子       なにもかも信じられなくなりました。その後、ツネヒコから何度も電話ありましたけど、私は出ませんでした……     
 
              そして、再びキリンシティのテーブルに帰ってくる通子。ガヤ再開。
 
マイコ     そっかあ。ごめん、私そろそろ行かなくっちゃ。
通子       このタイミングで? まだ話終わってないんですけど!
マイコ     ケイコ、かわりに聞いておいて。
ケイコ     面倒です。
マイコ     (通子に)あんた、明日も京都にいる?
通子       分かりません……いるかもしれないし、いないかもしれない。
ケイコ     どっちだよ。
通子       鴨川に浮かんでいるかもしれないです。
マイコ     うわ、なんか面白そう。
ケイコ     うざいだけですよ。
マイコ     ねえ、アドレス教えて。
ケイコ     マイコさん?
マイコ     違う違う。明日も飲めたら、もっとおもしろい話聞けるかなあって。ね、交換。
ケイコ     もう!
マイコ     番号、控えて(と自分のスマホを見せる)。
通子       (マイコのスマホ見ながら)ゼロ……はち……の……
マイコ     名前は、マイコね。
通子       ……はい、控えました。
マイコ     じゃ、私に電話して。
通子       はい。
 
              バイブ音。
 
マイコ     はい、来た来た。名前なんだっけ?
通子       通子です。
マイコ     道に子、ね。
通子       あ、違うんです。その道じゃなくって……
マイコ     どれ?(とスマホを見せる)
通子       えっと、あ、これです。三段目の……(と指さす)
ケイコ     つうこ?
通子       いや、通子です。
ケイコ     これ、痛いって漢字に似てるね。
通子       全然違う、しんにょうとやまいだれ、全然違う!
ケイコ     あんた痛いし、丁度いいね。
通子       痛くないし!
マイコ     いいじゃん、痛子。あんた痛子で決まり!
通子       ちょっとやめて!
男          そうだそうだ! 人の事を痛いだの、痛子だの、なんだと思ってるんだ!(とトイレから出てくる)
ケイコ     ってあんたトイレ行きすぎだよ!
マイコ     変な汗かいてるよ。大丈夫?
男          大丈夫。私の事は大丈夫。だけど、彼女はだいじょばない。失恋したって言うのに、痛いだの痛子だの。酷い人達だ。
通子       失恋? ……失恋?
マイコ     じゃ、私そろそろ。
ケイコ     ちょっと、マイコさん。私も出ますよ。
マイコ     頼んだ餃子今来たよ。食べないともったいないよ。
店員       大変お待たせいたしましたー。
ケイコ     あ、おいしそう。じゃあ、これ食べてから。
男          次のステップに進むには、現実をしっかり見据えないと、ね。泣いていいんだってば。
マイコ     ごめんね、これで払っておいて。(と札を出す)
ケイコ     あざーす。
通子       ううううう……ううううう……
店員       空いてるお皿お下げしますねー。
マイコ     ケイコ、今日は何時まで?
ケイコ     4時かな。
マイコ     じゃ、先寝てるからね。
ケイコ     うん。おやすみ。
マイコ     おやすみ(とキスをする)
店員       ん!?
 
              ガヤ終了。
 
マイコ     と、ここで私は帰りました。
優          あの、たまに入ってくるキスは、なんなんですか?
マイコ     いや、私たち付き合ってるから。
優          ええー、それってつまり!
マイコ     そ。そう言う事。ビアン。レズビアン。
優          なのに、マイコさんはキャバクラで、ケイコさんは、ふ、風俗?
マイコ     ふたりとも男性に興味ないからね。嫉妬もしないし、OK。
優          そんなもんなんですね!
マイコ     そんな事より。推理は? なにか分かった?
優          いいえ。なんだか、余計な情報ばかりが入って来て。迷宮入りです!
マイコ     迷宮入り、早くない? とにかく、(みんなが石庭の立ち位置に戻る)ここで私は帰った。ここで私の証言はほぼお終い。
通子       その、え? 私が持ち帰られたってのは?
マイコ     私が帰ってからの話。(蝉時雨復活)
優          ん? それをなぜ知ってるんです? 
マイコ     ケイコから、聞いたから。
優          なるほど。
マイコ     でも、聞いたのはそれだけ。ケイコ、朝の5時ぐらいに帰ってきて、すぐに寝ちゃったから。「痛子、あの後、どうした?」って聞いたら「男に抱えられてどっか行っちゃった」って言ってた。
通子       抱えられて!? それ、ダメでしょ! やられちゃうでしょう! てか、私やられちゃったの!?
優          (頭を振る)ケイコさんにお話を聞くことはできませんか?
マイコ     無理。この時間はスマホいくら鳴らしても起きない。絶対。
通子       あの。
優          なんでしょう? なにか思い出しました?
通子       突然ですが……尿意!
優          尿意?
通子       トイレに行きたい! もう限界でしたぁ……下半身に意識が移ったら、猛烈な尿意に気がつきました。ああ、気がつかなきゃよかった!
マイコ     喉が渇いても、トイレは行きたくなるんだ?
通子       そのようです!
マイコ     そこの岩の影でしちゃいなよ。
通子       こ、ここで?
優          ダメですよ! 石庭で野ション? 枯山水が、山水になってしまう! あり得ませんからね!
通子       (耐えて)ああああんっ!
優          タイムリミットが迫ってきましたよ! 通子さんはもう、喉もからから! トイレに行きたい! 龍安寺の前には頼りない「拝観中止」の手書きのメモ。いつ修学旅行の団体がやってくるかわからない! そして、気絶した凜さんがいつ起きてくるか分からない! 緊急事態! 絶体絶命です!
通子       ああああんっ!
マイコ     痛子。
通子       通子です!
マイコ     さっきの水筒の蓋、あるよね?
通子       え? 蓋? ああ。あります。あります。
マイコ     それにしちゃいな。
優          え?
マイコ     それにしちゃいな。
通子       これに?
優          やめて! そんな事したら、もう使えなくなる!
マイコ     緊急事態。絶体絶命。
優          だとしても!
通子       これに……それはちょっと抵抗が。
マイコ     じゃあ、それは保険。万が一の時の保険。離すんじゃないよ。
通子       ……はい。
優          しないでくださいよ! 本当に! お母さんに怒られるから。
マイコ     あ、そうか、老けて見えるから忘れてたけど、こいつ高校生だった!
通子       (蓋を見つめながら)これに……万が一の保険……
優          ああ、急がないと……僕の水筒の蓋に、されてしまう! 推理するんだ! 通子さんがなぜ、砂紋を崩さずにあそこに行ったのか? それが分かれば、脱出する方法が自ずと見えてくる!
マイコ     そうだねえ。
通子       ああああん!(限界が近づいている)早くううう!
優          す、推理を急ぎましょう! 
マイコ     走って飛んでそこまで、行けないかあ。
優          なかなかの距離ですからね。
マイコ     普通なら、まあ無理。だけど……私の推理はこう。
 
              照明がチェンジ。不気味な音楽がかかる。
              通子が龍安寺の廊下奥、見えない所に移動。
 
マイコ     痛子は男にお持ち帰りされた後、急に酔いがさめた。そして、猛然と男から逃げて、ここ龍安寺に逃げ込んだ。
通子       (入って来て)こ、来ないで! 
男          (入って来て)あんなになるまで酔って。そして、身を預けて。それで今更ダメだなんて、おかしな話さ!
通子       酔ってたから! もの凄く酔ってたから!
男          そうだとしても、もう俺の下心には火が点いた! 止まらない! 止められるはずがない! だ、抱かせろおおおお!
通子       いやあああ!
マイコ     痛子、ここで、この棒(警策)を手に取って。
 
              舞台スタッフが集まって来て、通子を抱える。
 
マイコ     棒の先を突いて……(運ぶ)……ここまで飛ぶ。で、ここまで飛んで。
通子       この石庭は、世界遺産なんだから、ここまでは来れないはずよ!
          畜生!
 
              岩まで持って行ったスタッフ、すばやく退場。
 
優          この後、この警策はどうしたんです?
マイコ     男が諦めて、
男          諦めるしかないか!
              
              男去る。
 
マイコ     去った後に、投げて。
              
              マイコ、警策を持って廊下まで持って行って柱にかける。
 
マイコ     ここに上手いこと、引っかかった。
優          推理に無理がありますね。
マイコ     身の危険を感じたらこのぐらいできるかもよ。
優          それよりも、
男          (再び現れて)抱かせろおおおお!
優          とまで叫んだ男が、石庭を前にたじろぐとは思えない。
男          たかが砂だ。知ったことか!
 
              男、石庭に降りて、通子の所まで行く。
              ざくざくと音を立てる石庭の砂。
 
通子       こ、来ないで!
 
              通子、石庭を走って逃げる。追いかける男。
              ザクザクザクザクと二人が走る音が凄い。
 
マイコ     ああ、ああ、ああ、ああ。
 
              廊下部分で男に追いつかれて、叫ぶ通子。
 
通子       いやああああ!
 
              布を切り裂く音。音楽終了。
 
マイコ     (残念そうに)やられちゃったよ。
優          性欲を前にして、世界遺産は無力ですね。
マイコ     ……(何言ってんだおまえ、という顔で)
優          じゃあ次は僕の番! 僕の推理はこうです。
 
              照明がチェンジ。通子と男が龍安寺の廊下の上に移動。
              男が通子を抱える。
              不気味な音楽がかかる。
 
優          男は泥酔した通子さんと一緒に、ここ、龍安寺にやってきた。そして、おもむろに首を絞める!
マイコ     え? なんで?
通子       ぐう……ううう……
男          死ね。死ね。
マイコ     だからなんで!?
優          男は猟奇殺人者だったんです。月夜に照らされた石庭は幻想的に美しく、廊下は人気なく、静寂に包まれている。そこで凶行に及ぶ男!
通子       くう……
男          死ぬんだ!
          通子さんはここで息絶えます。男は快感に打ち震える。そして、興奮状態のまま、通子さんを石庭に投げます!
マイコ     えええ?
 
              スタッフが集まってきて、通子を抱える。
 
          通子さんの遺体は、この岩の上まで飛んで、落下。
マイコ     ええ? 意味わかんない。怖いんだけど。
優          男は板の間の板を力尽くで外して、廊下と岩を橋渡し、その上を歩いて行きます。
 
              スタッフが優の両手を支えて、岩までエスコート。
 
マイコ     折れる! 板がギリだよ!
優          そして、その板で、石庭の地面を深く掘り始めます。
男          はあ……はあ……はあ……ここは世界遺産。滅多なことではこの石庭の下は掘り返さない。
優          そして、その穴に、通子さんの遺体を埋めます。
 
              男、掘った穴に通子を入れて、再び土をかける。
 
男          次の大規模発掘調査が始まるまで、この女の遺体は見つからないのさ。
優          そして、再び砂を敷き、指で砂紋を復元!
男          誰も知るまい! この石庭の下には、私が猟奇的に殺した女の遺体が十五体埋まっている事を! うわははは!
マイコ     怖い!
優          ええ、まったく恐ろしい猟奇殺人者です。
マイコ     いや、あんただよ! こんな妄想するなんて、あんたが怖いよ!
          そうして男は、板を使って廊下に戻り、
マイコ     (合間に被って)まだ続けるの? 
優          板を元に戻した。だが、ここで男の誤算が。殺したとばかり思っていた通子さんが奇跡的に息を吹き返します! そして、石庭の地面から復活!
 
              ゾンビのように復活する通子。
 
通子       ぬああああ!
          うわあああ!
優          男は、恐ろしさのあまりに逃走。
 
              男が逃げていく。
 
優          そして、通子さんは、乱れた砂紋を、指を使って復元し……
通子       ううううう……(ゾンビのように)。
          そして、岩の上で気絶。
マイコ     ……
優          どうですか! 僕の推理は?
マイコ     バッカじゃねえの!
優          バッカじゃないです!
通子       バッカだろうが!「うううう……」って、わしゃゾンビか。 
優          だったら! 通子さん、あなたが推理したらどうです?
通子       はあ?
優          批判だけなんて卑怯ですよ。通子さん、あなたはどうやってそこに行ったのですか?
通子       ああ、じゃあもう、私の推理はこうだよ!
 
              照明が変化。男が入ってくる。
              軽快な音楽が流れる。
 
男          お待たせお待たせ! 水、いっぱい持って来た! ほら、ペットボトル! 
通子       やった!
男          氷がいっぱいの麦茶もあるよ! 
通子       わあ!
ケイコ     (やってきて)ねえ、知ってた? 
通子       ケイコさん?
ケイコ     今日からここ龍安寺の石庭は、大きなトイレになったんだよ!
通子       本当に!?
ケイコ     そこでしたって、誰も怒らないよ!
通子       やったあ!
男          ちょっと待って!
通子       どうしたの?
男          (スマホを見ながら)世界から、尿意がなくなったって、ニュースになってるよ!
通子       本当?
ケイコ     人類は尿意から解放されたのよ!
通子       信じられない!
男          さあ、みんな! パーティーだ!
通子       キャー!!!
 
              三人、石庭に降りて踊る。全員で『尿意がなくなった歌』を歌う。
 
通子       にょーいドン!
          って止めろ!!!
 
              音楽終了。男とケイコ、フリーズ。
              
優          なんだそれは! 推理でもなんでもない! 龍安寺が大きなトイレってなんだ! 尿意からの解放っていったいなんだ! 真面目に推理していただきたい!
マイコ     いや、今痛子に、それ求めるのは酷だよ。
通子       ううううう……
優          ダメだダメダメだ! 岩に行く方法ばかりを考えていたからいけないんだ。動機から考えたら解決の糸口が見えるかもしれない。……少し遡って考えてみましょう。
 
              居酒屋の雰囲気を再現するケイコ、マイコ、通子、男。
 
優          通子さんはその男と、彼氏さんの話をしていた。そうですね?
通子       よく覚えてない……
マイコ     痛子、そこは既に記憶ないんじゃないかな? 痛子、どこまで覚えてる?
通子       三人で乾杯して、一気飲みしたところまで。
 
              乾杯の図を作る。
              男は真ん中の岩に座り、ウエイターが注文を聞いている。
 
男          ウーロン茶、ひとつ。
マイコ     男が入って来た時か! じゃあ男の事、まったく記憶にないんだね?
通子       ないない。ないです。
優          まいったな……せめてケイコさんの証言が聞けたら……
マイコ     待って!
優          どうしました?
マイコ     (男をまじまじと見て)この男……どこかで見たことある。
          え? 本当ですか? どこで? どこで?
マイコ     ちょっと待って、せかさないで、思い出せそうなんだから!
 
              男が、ふうっと去って行く。ケイコも同じく去って行く。
              元の龍安寺の定位置に着く一同。
 
マイコ     痛子をお持ち帰った男……帽子で良く分からなかったけど、どこかで私、見たことある。え? いつだ?
 
              蝉時雨復活。
 
          飲み屋で通子さんを口説いた男を、以前から知っていた?
マイコ     いや、以前じゃなくって……その後?
優          その後って、キャバクラ? つまり、キャバクラのお客?
通子       ううう……
マイコ     いや、昨日、『フォーカス』には常連さんしか来なかったから……
          フォーカス?
マイコ     お店の名前ね。     
優          なるほど。
通子       うううう!
優          店じゃないとしたら? どこで? 帰り道?
マイコ     いや、車で送迎してもらったから、誰とも会ってないな。
優          だとしたら……
マイコ     今日?
通子       うううううう!
優          マイコさんは今朝、早くに、通子さんに起こされてタクシーでここまで来た。その後に会ったのは、僕と凜さんと、そして……
通子       (通子の格好を見て)マーメイド?
優          いや、妙心様。
マイコ     え? 誰それ?
優          いや、この龍安寺のお坊さんですよ!
マイコ     ああ。……ああ!
          まさか!
マイコ     そうだ! 痛子をお持ち帰ったのは、ここの坊さんだ!
          なにーっ!
通子       うううううう!
マイコ     痛子、そうだよね? あんたを昨日、口説いてお持ち帰ったのは、ここの坊さんだよね!
通子       私……ここの坊さんの顔……見てない……
マイコ     ああ、岩に隠れてたから!
優          しかし、妙心さまが通子さんをここ龍安寺まで連れてきたって、いったいなんの為に?
マイコ     いや、私に聞かれても。
優          (推理の世界に没入し)いやいやいや、それはおかしい。妙心さまと通子さんをお持ち帰りした男が同一人物だとしたら、今朝、マイコさんと会った時、妙心さまは、もっと挙動不審になるはずだ。
マイコ     その妙珍が平気で、
          妙心です。
マイコ     妙心が、平気で嘘をつける男って事はない?
優          サイコパス……猟奇殺人者! とするとこれは、明らかな監禁だ!
マイコ     監禁?
優          妙心さまは、飲み屋で、通子さんが教師だと知った。だからこの石庭の砂紋を踏んで逃げることに抵抗があるはずだと確信する。だから、石庭に通子さんを置き去りにして、監禁した。
マイコ     なんの為に?
優          この炎天下で監禁し、弱らせて、拝観時間が終わってから、ゆっくりと殺す為。
マイコ     ええっ?
通子       イヤッ!
優          妙心さま、いったいあなたは何者なんだ!
 
              寺の鐘が鳴る。全員が不気味な雰囲気を感じて、廊下の奥を見る。
              妙心が(坊主の格好)ゆっくりとやってくる。不気味な形相だ。
 
妙心       そう。通子さんをここ、龍安寺まで連れてきたのは私です。
優          妙心さま!
マイコ     やっぱり。
通子       全く覚えてない!
妙心       だけど私は、平気で嘘をつける猟奇殺人者ではありません! だいたい、マイコさん、昨日のあなたは、そんなさっぱりした顔ではなかった。昨日と今とでは、まるで別人だ。
マイコ     確かに、出勤前でメイク盛ってたけど、そこまでじゃないよ!
妙心       いいや、別人、赤の他人。あれじゃ、気がつくはずがない。
優          女性は化けると言いますが、まさにそれだったと言うわけですね。
マイコ     おい。
優          (妙心に)続けてください。
妙心       昨夜、マイコさんが出勤する為に店を出た後、私は通子さんとケイコさんと、しばらくキリンシティで飲んでいました。
 
              妙心、一度退場。
              キリンシティのガヤ。
              黙々と餃子を食べるケイコを前に、通子がへべれけになっている。
 
通子       ぶふー。
ケイコ     ねえ、もう飲むの止めたら? 凄い顔になってるよ。
通子       いいんです。もう、どうなってもいいんです! 
ケイコ     自暴自棄になっても良いことないよ。その、彼氏? が浮気したって証拠はなにもないんだからさ。信じてあげなよ。
通子       ケイコさんはじゃあ、人の愛ってものを信じているんですか?
ケイコ     信じてるけど?
通子       風俗嬢なのに?
ケイコ     (流して)ねえ、もうあんた限界だからさ、早く帰りなよ。
通子       なんだか、帰りたくないんです。
ケイコ     自暴自棄も大概にしなよ。朝起きて、後悔するよ。
男、以下、妙心       (普段着で入って来て、ハンカチで手を拭いている)いやーまいったまいった。
ケイコ     だってあいつだよ。
通子       あいつ?
妙心       私がどうしました?
ケイコ     なんでも。っていうか、トイレばっかり行って、あんた大丈夫?
妙心       なんだかさっきから吐き気がして。
ケイコ     酔いすぎだよ。
妙心       酔いすぎ?
ケイコ     そう。酔ってるから気持ち悪いんでしょう? 
妙心       え? 私さっきからウーロン茶しか頼んで……
通子       すみません! ウーロンハイと生、お代わり!
妙心       ん?(持ってるジョッキ飲み干して)これってまさか!
ケイコ     そ、ウーロンハイ。
妙心       いつの間に!
ケイコ     痛子がずっと頼んでるの知らなかったの? 
通子       今日は朝まであんたと飲んでやる!
妙心       ちょっとみっちゃん! 私、お酒飲めないのに!
ケイコ     (餃子を食べ終えて)ご馳走様でした。お先でーす。あ、これ、わたし達の分。ぴったり置いていくから。
妙心       え? 帰るんですか?
ケイコ     そろそろ出勤時間だから。もうすぐ十一時だし。
妙心       十一時! もうそんな時間? ええっと、この人、みっちゃん、どうしたらいいですかね?
ケイコ     どうしたら、って。お持ち帰っちゃえばいいじゃん。
妙心       お持ち帰っちゃえば?
ケイコ     連れて帰るって事。だって、あんたそのつもりだったでしょう?
妙心       いやいやいや! まさか!
ケイコ     いいからいいから、見てみな、痛子、目がとろ~んとしてるし、完璧にお持ち帰れるから。
妙心       とろ~ん? 
 
              見ると、通子、確かにとろ~んとして妙心のことを見ている。
              
妙心       本当だ! え、こういうときって、どうすればいいんですか?
ケイコ     流れに身を任せるしかないじゃない? ちなみにこの流れ、あんたが作った流れだからね。責任とりなよ。じゃ。
 
              ケイコ、店の出口に向かう。
 
妙心       あ、待って! 私も出ます! みっちゃんも、ほら……
通子       ……
妙心       って、寝てる! 
ケイコ     くれぐれも、寝てる女子を置いて帰ったりしないようにね。じゃあね。
妙心       ま、待って!
 
              妙心、通子を抱える。ケイコ表に。残される妙心たち。
 
妙心       私はそこでケイコさんと別れました。(通子に)ねえ、みっちゃん! しっかりして。ホテルどこ? みっちゃんが、泊まってるホテルどこ?
通子       ダメ! 私、そういう所、今日会った人となんて行かないから。
妙心       分かってる分かってる。私だってそういうつもりじゃないから。
通子       それに私にはツネヒコっていう彼氏が……(急に泣き出して)彼氏があああ!
妙心       うんうん。今日はもう、帰った方がいいってば。
通子       もう一軒行こう。ね、もう一軒! よし、ここだ! ハイボールくださーい!
妙心       一杯だけだよ! ……私は通子さんが飛び込んだ居酒屋に、もう一杯だけのつもりで、入っていったのです。今思えば、この時既に私は、結構酔っていたんだと思います。ここで私の記憶は一度、途切れます……
 
              妙心と通子、龍安寺の石庭に座って飲んでいる。
              虫の音。
 
通子       ……(寝ている)
妙心       ……(同じく)
 
              コンコンコンと木を叩く音。妙心が起きる。          
 
妙心       ん?(周りを見渡して)ここ……石庭……? 大変だ! 寝ちゃった、石庭で寝ちゃった!(通子を見て)うわー! 連れてきちゃった、龍安寺にみっちゃん、連れてきちゃった!  
通子       ……(寝息)
妙心       みっちゃん。いい加減起きて。お願い。起きて帰って! 自分のホテルに帰って!
通子       ……ホテルの名前……忘れた。
妙心       ああ困った! 
 
              コンコンコンと木を叩く音。
 
妙心       かいはん、つまり三時半。みんなが起きてくる!(自分の格好を見て)うわあ! 早く着替えないと!
 
              妙心、廊下から、庫裏方面に引っ込む。
              ひとりになった通子が、むくりと起き上がる。
 
通子       ……
 
              庭から、天を仰いで。
 
通子       きれいな月……

 
              岩に、身体を預ける通子。
 
通子       ひんやりとして……気持ちいい。
 
              再び静かになる通子。
              妙心が着替えて、走り込んでくる。       
 
妙心       あれ?(いない)
 
              庭を見るとそこには、通子が。
 
妙心       えええ! なにしてるの! ちょっと!
 
              妙心、庭に降りてくる。そして、通子を抱える。だらりとして、なかなか上手く抱えられず、岩の後ろに倒れ込む。
 
妙心       ちょっとみっちゃん、しっかりして。歩いて。ねえ、お願いだから。
 
              ここで、住職が顔を出す(書き割りでも可)。
 
坊主       妙心。
妙心       はいっ!
坊主       砂紋、ひくのか?
妙心       いえ、あ、はい! 今日は私が。
坊主       そうか任せた。
 
              妙心、縁の下から砂紋を作る道具を持って来て。砂紋をひく。
              
              
坊主       うまく引けよ。
妙心       はいっ!
坊主       ……
妙心       ……
坊主       なかなか筋がいいじゃないか。
妙心       ありがとうございます!
坊主       早く済ませろ。参道の掃除が待ってるぞ。
 
              きれいに砂紋をひいていく妙心。そして、廊下に上がって。
 
坊主       (去りながら)早くしろ。
妙心       すぐにまいります! 
 
              通子方面を、心配そうに見ている妙心。
 
妙心       先輩の目が光っていて、私は、通子さんを石庭に置き去りにするしかなかったのです。
坊主       妙心、急げ!
妙心       はい!
 
              ゆっくりと振り返る妙心。

妙心       起床してから夜の座禅が終わるまで、修行僧の一日は激務です。通子さんを救出する時間は、まったくありませんでした。
 
              その時には、元の位置に戻っている一同。
 
一同       ……
妙心       つまり、通子さんの石庭闖入事件の責任は、全て私にあるのです。
優          しかし、間違ってお酒を飲んでしまったのも、それによってここ、龍安寺で寝てしまったのも、全ては通子さんのせいですよね?
通子       私?
妙心       いいえ、私が悪いんです。通子さんはなんにも悪くないのです。
           いやいや、明らかに通子さんの……
マイコ     (被って)ううん。痛子はなんにも悪くない。
優          え?
マイコ     だってあなた(妙心)、痛子の事、あきらかに口説いてた。酒、がぶがぶ飲ませてた。あれは絶対に下心だもん。
妙心       私は僧侶です。下心のワケがない!
マイコ     だとしたらなんで? なんで痛子をあんなに酔わせたの? お持ち帰りしたかったんじゃないなら、なにかもっと深いワケがあるはず。
妙心       それは……
マイコ     そのワケ、説明して貰えます?
妙心       それは……
優          下心じゃなかったら……やっぱり、猟奇殺人者!
マイコ     殺すのが目的!?
通子       いやあああ!
凜の声    そうじゃないわ!
          え?
マイコ     誰?
 
              凜が出てくる。
 
優          凛さん。
凜          妙心様は、そんな人ではないわ。
妙心       凜。
凜          ごめんね、お兄ちゃん。
マイコ     お兄ちゃん?
優          凛さん、説明してくれるね。
          ……そうね。説明しましょう。私と優さんは、明昌私立……つまり、明立昌陽私立高校の生徒です。
通子       明立昌陽私立高校?
マイコ     (通子に)知ってるの?
通子       ツネヒコが勤めている学校。
凜          そうです通子さん。私はあなたがお付き合いしているツネヒコ先生の生徒なんです。
通子       ……もしかして、あの電話! 
凜          そう、昨日あなたに電話したのは、私よ。
優          ええ?
マイコ     そうなの?
優          凜さんが通子さんに電話をした? それはいったい……
通子       てめえかあ! オイコラ! やっちまうぞ!
凜          なによ! だったらここまで来てみなさいよ!
優          やめないか! 通子さん、あなた教師でしょう? 凜さんも、あんな売り言葉に熱くなるなんて。
凜          優くん、ごめんなさい。だけど、これに関しては、熱くならざるを得ないのよ。あなたには分からないだろうけど……
優          僕には分からない?
凜          誰にも譲れないの。ムキにならざるを得ないの。それが恋!
通子       人の彼氏つかまえて、なにが恋じゃ! おいお前、私のツネヒコとどんな関係だ! 
          ツネヒコ先生はあなたの物じゃない! 
通子       ツネヒコになにをした! ツネヒコになにを吹き込んだ!
マイコ     痛子うるさい! ちょっと黙って!
通子       黙ってられるか! こん畜生!
 
              妙心が、小さなサイズのジュースを投げる。
              それを夢中で受け取って、
 
通子       キャー!!!
 
              飲み始める通子。
              
通子       うま! うま! 
マイコ     ……どうぞ、続けて。
凜          私が、お兄ちゃんに無理を言って、通子さんと一晩過ごすようにお願いしたの。……通子さんとツネヒコ先生を会わせない為に。
 
              音楽がかかる。
 
          私はツネヒコ先生が受け持つクラスの教え子です。ある日、私たちは、先生に彼女がいる事を知りました。
生徒1の声            え? 先生の彼女も教師なの?
生徒2の声            京都で知り合ったの?
生徒3の声            もう一年も付き合ってるの?
 
              その様子を遠くで見ていた凜。複雑な笑顔で聞いている。
 
凜          誰かがどこかで仕入れてきたその事実は、私にとって、とてもとても酷なものでした。だって、私はずっと、ツネヒコ先生が好きだったから。               
生徒1の声            思い出の場所でプロポーズ!?
生徒2の声            なにそれ、面白いね!
生徒3の声            じゃあさ、わたし達でそれ、盛り上げてあげようよ!
          一部のノリのいい連中がそんな事を言い出して、先生にも内緒の、フラッシュモブの練習が始まりました。楽器が出来る人は演奏し、踊れる子達はダンスを踊り、そして私は、タンバリンを担当する事になったのです。
 
              シャン。シャン。とやる気なく叩く凜。
 
凜          祝いたくない。なのに練習している私。そんな屈辱的な状況に、涙が止まりませんでした。
 
              シャン。シャン。と泣きながら叩く凜。
 
凜          そして当日。つまり昨日。私は、クーデターを起こします。そう、仮病を使ったのです。……いたたたた! お腹が! お腹が痛い!
 
              救急車のサイレンの音。
 
          そうして私は、担任のツネヒコ先生を病院に縛り付けることに成功したのです。
          凜さん……君はそんな事を。
マイコ     っていうか、え? プロポーズ? 通子、聞いたあんた?
通子       (ジュースの空き缶を啜りながら)足りない……足りない……え? なに?
マイコ     うわ、こいつ聞いてなかったわ!
通子       もっとジュース、プリーズ!!!
凜          診察室の前にあるベンチに腰掛け、私は先生と束の間の、ふたりだけの時間を楽しんでいました。「いたたたた……」腹痛の演技は続けたままでしたけど、ぎこちない会話を繰り返すより、よっぽどよかった。看護師に呼ばれて、先生がお医者の話を聞きに行った時、先生はベンチにスマホを置きっ放しにしていきました。私は、いけないと思いながらも、そのスマホを手に取り、中を盗み見たのです。写真、電話帳、通子さんとのLINEの履歴。私はその履歴をむさぼり読みました。榮倉奈々のケンカ、京都に行く約束、そして、その日のやりとり。そこにはこう書いてありました。「運命の出会いの場所にいてくれないか? 必ず、なんとしてでも行くから」と。行かせたくない! そう思いました。だけど、仮病で先生を縛っておくのはもう不可能でした。医者が「異常な所はない」と診断したからです。私は先生に連れられて、宿に帰ってきました。夕暮れにはまだ早い午後四時、先生は私に「ゆっくり休むんだぞ」と言い残して、部屋を出て行きました。明らかに焦っている様子の先生を見て私は「なんとかしなくては!」と、京都に住む兄、龍安寺の修行僧、妙心こと柳橋とん平に、電話をしたのです。
マイコ     とん平?
妙心       私の本名です。
マイコ     いい名前ですねえー。
妙心       ありがとうございます。私は電話に出ました。「凜?」
凜          「お兄ちゃん、助けて!」
妙心       「どうした?」
          「引き止めて欲しい人がいるの!」
妙心       「え?」……妹の為ならなんでもする! そのぐらいの気持ちは常に持ち合わせている私ですが、いかんせん修行僧。そう簡単に外出はできません。「なんとか頼んでみるけど、多分出られるのは薬石(やくせき)、ええっと晩ご飯の後、午後六時だ」
凜          万事休す! 私はそう思いました。先生は運命の場所に走っている。拝観時間が終わるのは午後五時だから、きっと間に合ってしまう。先生はプロポーズをしてしまう……私は苦し紛れに、さっき盗み見た通子さんの電話番号に、非通知で電話をかけました。
通子       もしもし?
凜          ……
通子       もしもし?
凜          通子さんですか?
通子       そうだけど。
          先生は……
通子       え?
凜          ツネヒコ先生は、私が渡さないから!
通子       あなた、どうやって私の番号知ったの?
凜          ……
通子       ねえ……ねえ!
凜          榮倉奈々に似てるって言われてケンカしたって話、痛いですね。
 
              電話が切れる。
 
凜          そんな嫌がらせしか出来なかった。そんな自分が不甲斐なかった。……だけど、私が苦し紛れにした電話が、思いがけず、大きな成果をあげました。通子さんと先生は、会えなかったのです。
マイコ     ツネヒコはなにも悪くなかったのにね。この小娘の電話に、まんまとひっかかって……
通子       (ジュースの空き缶を見ながら)世の中にこんなに美味いもんがあるとはねえ……
凜        先生は消沈して帰ってきました。そして、仮病で寝ている私の部屋に来て、優しく声を掛けてくれました「大丈夫か?」って。私は落ち込む先生の姿を見て、可哀想と思いながらも、心底ほっとしていました。そして先生は「なにか飲みたいものあるか?」と聞いてくれたので、私は「サイダーを」とお願いしました。そして先生が出て行った後、LINEが鳴りました。それは私のスマホからではなく、先生が置いていったスマホから鳴ったのです。私はまたそれを盗み見ました。そこにはこう書いてありました。『四条のキリンシティにいるから弁解しに来い!』……私は通子さんからのその一文を、すかさず削除。
通子       おいおいおい!
凜          そして再び兄に電話したのです。「お兄ちゃん! 四条のキリンシティって所に向かって!」って。
妙心       妹のお願いはこうでした。……明日までその女を引き止めておいて欲しい。だけどそれは無理な相談です。私が寝起きするのは龍安寺。女人を、いや女子を、連れてはいけません。「明日までってのは無理だよ」
凜          「じゃあ、せめてその通子って人を、ベロベロになるまで酔わせて!」私はそうお願いしたんです。
マイコ     で、あれだけ積極的に痛子にアプローチしたってワケね。
凜          だけど今朝、私は我に返りました。なんてことをしてしまったんだろう。なんて酷いことをしてしまったんだろう。私はとてもとても落ち込んで、深く深く反省しました。もう、プロポーズを妨害するのはやめよう。先生の事は諦めよう。……だけど、やっぱり目の前でプロポーズされるのだけは、我慢が出来なかった。だから私は今日、龍安寺に行きたいと無理を言ったのです。昨日の拝観スケジュールに組みこまれていた龍安寺にいれば、先生は来ない。そうすれば、プロポーズを見ないですむ。そう、思ったんです。「昨日行けなかった龍安寺にどうしても行きたいの!」私のわがままに、クラスのみんなは呆れていました。昨日は病気でフラッシュモブを台無しにし、今日は勝手な自由行動。許してくれるような雰囲気ではありませんでした。だけどその時、優くんが、助け船を出してくれたんです。
優          「同じ座禅愛好会として、龍安寺に行けなかった、その悔しい気持ちは痛いほど良く分かる」僕はそう語り、みんなに無理にお願いしたんです。「違うクラスの僕が言うのは差し出がましいかもしれないが、どうか凜さんを行かせてあげて欲しい」と。
凜          生徒会長でもある優くんが付き添ってくれる事を条件に、私はここ、龍安寺に来ることを許してもらいました。……これで私は、プロポーズを見なくて済む。今日一日、座禅を組んで、心安らかにしていられる。そう思ったのに……なあんでわざわざここ龍安寺にあなたがいるのよ!!!
通子       だって仕方ねえだろう! あんたの兄貴が連れてきたんだから!
凜          お兄ちゃん!(だだっこのように批難する感じで)
妙心       そうだ思い出した! 二軒目の居酒屋で、みっちゃん、通子さんが、「運命の場所、龍安寺に行きたい」って言いだしたんだ! そしてムリヤリ連れてこられたんだった!
マイコ     やっぱり痛子のせいじゃないか。
通子       覚えてないから……(と岩の影に隠れる)
優          凛さん……
凜          ごめんなさい優くん。あなたを巻き込んでまでここ龍安寺に来たかっのは、そんなよこしまな理由だったのよ。本当に、ごめんなさい。
優          いいや、謝るのは僕の方だ。
          謝る、なんで?
優          (スマホを取り出して)凛さんが倒れた時、僕は君の担任の、吉田先生に連絡を入れてしまったんだ。
凜          え!
          吉田先生が、ツネヒコという名前だとは知らなかった。もっと早くに気がつくべきだった。
凜          優くん!
優          もうすぐ先生がやってくる。自由行動を抜け出した、君と僕を叱責しにね。
通子       ツネヒコが!
凜          ああ……プロポーズ!
          大丈夫。僕が君の耳を塞ごう。
凜          優くん……
ツネヒコの声          僕に、そんな資格はない!
一同       え?
 
              ツネヒコが現れる。
 
凜          先生……
通子       ツネヒコ……
ツネヒコ   なぜなら僕は今から、教師失格の事をするからさ。
 
              ツネヒコ、おもむろに石庭に片足を降ろす。ざく、と音がする。
 
優          あ!
凜          先生!
マイコ     おっと!
通子       ツネヒコ!
優          世界遺産の砂紋が!!!
マイコ     愛する人の為なら、私は躊躇なく、世界遺産を踏みしめよう。そんな覚悟の一歩、なのね!?
 
              ざく、ざく、と石庭を進んでいくツネヒコ。
 
通子       ……ツネヒコ。
 
              ツネヒコ、通子をお姫様抱っこしようとする。が、無理っぽい。
 
ツネヒコ   うおおおお!
 
              スタッフがやってきて、通子を抱える。結果三人で抱えている。
              ゆっくりと廊下まで歩いて行くツネヒコ。
 
凜          先生……私……私……
ツネヒコ   柳橋くん。教師に恋をする生徒は沢山いる。だけど、それはいっときの憧れ。はかない恋心。卒業して、社会に羽ばたけば、すっかり忘れてしまう、その程度のものさ。
凜          違う! 私は違う! 先生の事を、本当に愛しているの!
ツネヒコ   柳橋くん、君のことを本当に大事に思っている人が、すぐ横にいる。
          え?
優          先生!
ツネヒコ   君の強引な自由行動に付き合ってくれた優くんの気持ちに、向き合うべきだ。
凜          ……優さん。
優          凜さん、いいんだよ。僕が勝手にしたことだ。
 
              凜、優と見つめ合う。
 
マイコ     え、なにこれ!?
 
              廊下にそっと通子を降ろすツネヒコ。
              スタッフ、去る。
              見つめ合うツネヒコと通子。
              優、凜の耳を塞ぐ。
 
ツネヒコ   通子……僕と……結婚……
マイコ     (無理に止めて)ちょっと待った!
優・妙心  え? 
マイコ     そのプロポーズ、ちょっと待った!
優          え? なぜ?
マイコ     だって、ねえ。
優          だって、なんです?
マイコ     気がつかないかなあ! 
優          何に!?
マイコ     尿意に!
優          尿意?
通子       ぬおおおおおお!(以後、産気づいた妊婦のように、うなり続ける)
優・妙心  ああ!
マイコ     (同時)そう!
ほぼ全員 尿意!
マイコ     痛子、もう歩くこともできないほどに限界! 早くトイレへ連れて行ってあげて!
優          妙心様!
妙心       トイレは、こっちです!
          凜さんも手伝って!
凜          なんで私が!
通子       トイレえええええ!
 
              ツネヒコ、優、凜、妙心、通子を廊下の奥へ連れて行く。
              マイコがひとり残る。
 
通子の声 おおおおおあああああんんん!(安堵に変わる)
マイコ     ……
 
              マイコ帰ろうとするが、ふと、岩の上にある財布に目が行く。
              石庭を降りて、岩まで行って。財布の中から一万五千円を抜いて。
 
マイコ     一万五千円。確かに。
 
              マイコ、財布を岩の上に置いて、ポケットから小銭を取り出し、岩の上へ。
              マイコ、再び廊下に戻って、石庭に合掌し、去って行く。
              誰もいなくなった石庭に蝉時雨だけがうるさい。
 
              暗転。そして無音。
 
                                       おわり
  


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