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バタフライエフェクト


こんにちは。哲学チャンネルです。

YouTubeメインチャンネルにて現在進行形で「フェミニズムとジェンダー・トラブル」について動画をアップしているのですが

現状「動画のアクセス数はいつもよりも減り、コメント欄だけはいつもより多少激しくなる」という傾向が現れています。

まぁ「動画のアクセス数がいつもより少ない」ことに関してはどうでも良いというか、それを気にしていたら好きなテーマを選べなくなっちゃうので、全然気にならないですし「コメント欄が激しい」のも(誹謗中傷などでなければ)大歓迎です。
だから、その状況自体には不満等ないのですが、それでも今回いただいた色々なコメントから思うところがあり、今回はそんなことについて記事を作ってみようかなと思っています。

この記事で書きたいのは主に二つ。

①次回以降の動画シリーズは今までとはかなり形を変えるかもという話
②私が動画配信において何を意図しているのかという話

ちょっと長くなるかもしれませんが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。


①次回以降の動画シリーズは今までとはかなり形を変えるかもという話


これまでの活動では、いくつかのルールを設定し、そのルールに従って動画制作をしていました。

1)動画は5分以内にまとめること
2)自分の意見を極力省くこと
3)そのテーマに初めて触れる人に対してコンテンツを作ること
4)理解ではなく疑問を持ってもらうこと
5)結論を用意しないこと

これらは後述する「②私が動画配信において何を意図しているのかという話」に関連して作られたルールなのですが、ある程度この方法でやってきて、色々と反省点も出てきました。

まず、明確に変えようと思っているのは「1)動画は5分以内にまとめること
」です。

元々「長い動画を一本アップするよりも、細かく刻んだ動画を数日間で配信した方が、その間の咀嚼や議論が深まるのではないか?」という目的で設定したルールでしたが、最近は「流石に5分って短くね?」と今更ながら思っているんですよね。まぁだからといって60分の動画をドカーン!というのも違う気がしますので、例えば全編で60分ぐらいのボリュームになるテーマであれば前中後編で20分ずつに区切るとか、そういう動画の作り方にしようかななんて考えています。これは多分そうなります。

「え、5分の動画の方が良かったんだが・・・」という方がいらっしゃいましたら大変申し訳ありません。可能なら、20分の動画を5分ずつに区切ってご視聴ください(笑)


次に「2)自分の意見を極力省くこと」ですね。恣意的な情報をあたかも共通認識のように説明して、間違った解釈を植え付けるのは悪だと思っていますので、動画ではなるべく一般に認められていることだけを取り上げ、そのに対する個人的な解釈は排除するようにしていました。

でも、それって多少卑怯だよなって最近思っているんですよね。ちょっと引いたところからテーマを取り扱う姿勢も冷笑的だし、思うことを隠して情報発信をするのも何か変な気がするし。特に今回取り上げているフェミニズムのようなテーマの場合「意見を排除する」ことが動画全体の「方向性」を見えづらくして、その結果コメント欄にて方向性が定まっていない議論が起こりやすいという弱点があることもわかったんですよね。

とはいえ「恣意的な情報をあたかも共通認識のように説明して、間違った解釈を植え付けるのは悪」なのは間違いないと思うので、今後の動画においては今よりも自分自身の意見を反映させ、その意見を用いる際には「これは個人的な意見です」ということを明確に提示するような形を取りたいなと考えています。

そういう意味で「5)結論を用意しないこと」についても、「共通認識としてこうである!!」という結論は用意しないとしても「自分自身はこうなんだと思う!!」という結論があっても良いのかななんて思っています。


次回以降の変化に関してはそんな感じです。とはいえ、動画の「色」みたいなものはあんまり変わらないと思いますので、これまで通り応援してくださると嬉しいでござる。



②私が動画配信において何を意図しているのかという話


今回の動画シリーズにいただいたコメントの中で

「主さんがどういう考えからこのフェミシリーズを始めたのか分かりませんが」という文言から始まるお叱りの言葉があったんですね。
内容をざっくりまとめると、

・フェミニズムを語る上で第一波フェミニズム(250年前)から説明するのでは情報が圧倒的に不足している
・本来は進化生物学や民俗学や人類学や唯物的生物学からもアプローチすべきである
・哲学視点からのアプローチだけだと、むしろ受け取り側の視野を狭くしてしまう
・つまり中途半端
・バトラー語りたいなら前提条件なしでバトラーをガッツリ語るべきだったのでは

というようなご指摘ですね。
確かに、ここについては「本当にこの切り口で良いのかなぁ」と悩んでいた部分であり、確信をつく指摘だと思いました。
動画制作の際には常に「何から何まで」という横の広がりと「どこからどこまで」という縦の深さをどう切り取るかが非常に大きな悩みになるのですが、これは今後もよりちゃんと考えなくてはならない課題だなぁと思っています。

で、その辺りに関しては今後精進することで許していただくとして、その「判断」に伴う「信念」について書き起こしておこうかなと思います。


コメントで言うと「主さんがどういう考えからこのフェミシリーズを始めたのか分かりませんが」への回答という位置付けになりますね。


その説明をするためには、私の人生観というか価値観を前提にする必要があるのですが、それについては過去の自分を頼らせてください。

ざっくりいうと、私は基本的に唯物論者・物理学信仰者・決定論者(一部)であり、この世の全ては物理現象だと考えています。だからこそ「自分が生きた証」として「他の物理現象(他の人間)に影響を与えること」がすごく分かりやすい指標になっているのですね。

動画活動に関しても、その欲望(?)が根源にあります。

これについても過去記事を参照してほしいのですが

私は、動画配信を通じて「哲学をもっと身近に」「敬遠されがちな『大事なこと』について普通に語れる世界に」「自分のことをもっと考えられる世界に」みたいなものを実現するちょっとした歯車になりたいと考えていて、それはまさに「他の物理現象(他の人間)に影響を与えること」なわけですね。


だから、私が動画を制作し公開する目的として大事にしているのは「内容を理解してもらうこと」でもなければ「自分の意見に共感してもらうこと」でもないのです。
一番大事なのは「それがきっかけで何かのアクションが起きること」
それは例えば、動画の内容に疑問や反感を持ってコメントをすることなのかもしれないし、動画の内容に触発されてそのテーマに関する本を購入することなのかもしれないし、動画の中でわからなかったことをググることなのかもしれない。どんな些細なことでも構わないから、動画を見たことが「動画を見た」だけで終わらずに、何かのアクション(つまり物理現象)につながってほしいのです。
そのアクションの多くは結果的に何にも繋がらないのかもしれないけど、数多くのアクションの中の一握りがバタフライエフェクトのように関連を産み続け、もしかしたらその人がより幸福になる大きな結果に繋がって行くかもしれない。そのような結果に至った主体は、その原因の奥の方に「動画を見た」ということが含まれていることをまず間違いなく認識できないのだろうけど、そういう連続性に価値があると私は確信しているのですよね。

簡単に言ってしまえば「きっかけづくり」をしたいんです。それがどんな種類のものであれ。

だから今回のフェミニズムシリーズに関しても「この動画シリーズで一連の思想を完璧に理解してもらおう」とは到底思っていません。というか、そんなこと、少なくとも私の能力では無理です。(無理ならやるなよと言われてしまうとすごく困ります。言われてもやっちゃいますので)

また「この動画シリーズで(ある特定の立場に対して)共感をしてほしい」とも到底思っていません。そもそも私は思想の押し売りが大っ嫌いです。

だから、ただ単に「動画を見て何かを感じてアクションにつながれば良いな」と思って動画制作をしているし、個人的にはそういう目的の方が「完璧に理解してもらう」というような目的よりも重要なのではないかと考えています。今回のシリーズの切り口もそれを前提に決めました。(正直、ちょっと失敗した感は否めませんが)


なんかちょっとだけ言い訳がましい記事になってしまいましたが、私の動画制作における方向性みたいなものが伝わっていれば嬉しいです。



高尚なコメントと低俗なコメント


最後に一つだけ言わせてください。

前述の通り「アクション」という意味では、動画にコメントするという行為も非常に重要だし、ありがたいものだと思っています。そしてそれは「アクション」自体に意味があるのであって「内容」自体に(全くないとは言わないけど)意味があるわけではないと思っているんですね。

しかし、今回のシリーズに限らず、過去の動画のコメントにおいても

「レベルの低いコメントはクソ」
「そのレベルでコメントしない方が良いよ」

みたいな意見がわりとあって

高尚なコメント>低俗なコメント

的な価値観を持っている人が少なくないんだなぁという印象があります。


いやもちろんね。下ネタとか、動画に関係ない話とか、罵詈雑言とか、冷やかしとかのコメントは良くないですし、私もそういうコメントを見るのは嫌ですよ。でも、その人が一生懸命かいたコメントを「低俗だ」とするのは違うと思うんですよね。「低俗だ」と感じる方は、たまたまそのテーマに詳しいだけで、他のジャンルだったら「低俗だ」と感じている人の方が「高尚な」意見を持っていることもあるわけです。それをあたかも「あなたは人間的に劣っています」みたいな表現で攻撃するのってダメだと思うんですよ。というかそもそも「知識量が多いこと」って何にも偉くないですからね。

そういう空気感があると「コメントしたいなぁ」と思っても「でも叩かれるかも」などと尻込んでしまう人が増えるじゃないですか。それは本当に良くないと思うんですよね。

だから、そのような圧力はなるべく避けてほしいなと思います。

同時に!

「コメントしたいなぁ」と思っても「でも叩かれるかも」などと尻込んでしまう人!

叩いてくるコメントは物理現象でしかありません。日本人は議論に慣れていないと言われますが「慣れていない」の中でも一番大きな要素が「否定意見に対する恐怖」だと思います。でも、哲学をもっと身近にするためには「否定意見に対する恐怖」に対するリテラシーを上げていかなくてはなりません。

否定されたとしても、それは「否定された」だけです。それ以上でも以下でもありません。

何言われたっていいんですよ。「こう思う」ということには自由が保障されていますからね。誰にもその権利を侵害することはできません。
もし「それでも怖いな」と思ったら、日々背伸びして動画投稿をし、毎日のようにコメントで怒られている私を思い出してください。

私はそれでも元気です(笑)



ということで、諸々の諸々でした。

また次回!!

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