メリケン情緒は涙のカラー
いったい何があったというのか…。
釈然としないまま、オレは桜木町から中華街、本牧、根岸を経由して磯子に向かう市営バスのハンドルを握っている。
中学の同級生だったミヅキが、本牧の実家マンション「本牧スカイローレル」から姿を消したのは一昨日のこと。ミヅキと同じ階に住む幼馴染で造船所で検査工をしているマッサンと、マッサンと内縁関係にある同級生のクーミンが、横浜駅西口そばの「白夜」というソープランドの店長に声をかけられたことで発覚した。そこでは「莉々(りり)」という源氏名で働いていたようだ。店長曰く勤めている女性が突然消えるのはよくある話なので、本来なら気にしないが、ミヅキこと「莉々」は指名ランキングの上位に入る超人気嬢なので、店としても心配しているのだという。その二つ上の階の実家に住むオレと、同居人で港南台の国際開港記念病院に助産師として勤めているユウミがそのことを知ったのは翌朝。オレが入っている中学のグループラインで回ってきたマッサンからのメッセージであった。
たまたまエレベーターで鉢合わせたオレに、クーミンが「あんたバスの運転手なんだから、お客さんにミヅキがいるかいないかよく確認するんだよ」と心配そうにいうのに相槌を返していたら、後ろからマッサンが「そうだよ、頼むぞ。オレ、ミヅキの居場所見つけて『白夜』のオヤジに伝えたら、お礼にミヅキとタダで時間も発射も無制限でたっぷり遊ばしてもらうって約束したんだからな」と自慢げにふざけたことをいうので、マッサンはクーミンからその場で頭を2発張られた。
思いがけずミステリアスなシチュエーションに、シモがらみのことには目がないマッサンは興奮気味に、ミヅキのことは知らなくて面識もない、広島出身で夜の仕事の経験もあるユウミは、水商売でも風呂商売でも女が飛ぶのは日常茶飯事と冷静に受け止めていた。一方でオレとクーミンを含めた大半の同級生は、「みんなのミヅキ」として男女問わず人気のあった学年のマドンナがそんな世界に足を踏み入れていることを知ってショックを受けている。
ミヅキは美人であることは当然だが、気さくで鉄火肌な元気娘だった。文武両道で芸術的センスにもすぐれていた。優等生であろうが、不良であろうが誰と一緒にいてもサマになる守備範囲の広さも長所で、オレも一緒に帰った時にこういう人がいいなと思った。当然リーダーシップもキャプテンシーもあって、中学ではバスケ部のエースでキャプテン。生徒会では副会長も務めていたし、3年生の時の応援合戦では団長としてクラスを見事にまとめ上げていたし、ダンスも得意だった。
二つ上の姉が法政大学に進学し、生麦にあった付属の女子高の応援部時代から続けていたチアリーディングを大学でも続けることになったのと、大手私鉄に勤めている父親の会社の本社が東京の押上から千葉の本八幡に移転したため、東京・江東区の西大島に引っ越していた。ちょうど高校2年生の夏休みの話だ。確かに本牧よりも、江東区の西大島のほうが市ヶ谷にも本八幡にも都営地下鉄の新宿線一本で通いやすかっただろう。そして誰もが、ミヅキはそっちに付いて行ったまま二度とここには帰ってこない…と思っていた。
オレは自分がそんなにできる人間でもないと思っていたので、高校受験は高望みせず、担任の教師から勧められた川崎にある県立の総合高校に4期生として進学した。ミヅキはというと、二つ上の姉の背中を追って同じように生麦にある付属の女子高に進学し、応援部でチアリーディングに取り組み、大会や系列の高校の高校野球の応援、クリスマスボウルの応援などに出かけていた。吹奏楽部の一員として参加した高校野球神奈川県大会の応援で、対戦相手の学校として球場で鉢合わせたミヅキのチアリーダー姿は、今でいう「美しすぎる」という惹句そのもので、ただ見とれるしかなかった。
でもチアリーダーの女子をガン見したらおかしいし、チラ見するにも目のやり場にも困るし・・・。あまりのまぶしさに声をかけられて「久しぶりじゃん、どうよ。あたし似合う~?」とおどけた様子で聞かれても、「お、おう。久しぶりだな、似合うよ…」と、どぎまぎしながら答えて息を吞むしかなかった。
実際大会や文化祭、高校野球の応援などで芸能プロダクションからもスカウトされていたと、同じ高校に進学した別の同級生から聞いたこともあった。
本牧にほど近い滝之上の中学校から、東京の吉祥寺にある付属校に進学したヒデという軽音楽部でドラムを叩いているヤツが高校進学当時のミヅキの彼氏だった。ヒデは校区は違えどオレやマッサン、クーミンはもちろん、ミヅキも通った根岸駅前の「STEP UP」という慶應出身のロックギタリストが学生時代から営む学習塾に通ってきていたから顔見知りだった。ヒデとミヅキが横浜駅のポルタで一緒にデートしているのを見たという話から、そういえば黙ってても法政大学に行けるんだから早いうちから付き合えて理想だよな。美男美女だし…とオレも含めた誰もが思っていた。
一方で、彼女は不平不満も抱えていた。川崎駅の書店で偶然会ったミヅキは、ゴム抜きルーズソックスを履いたいわゆる「コギャル」だった(それも今風にいえば「美しすぎる」という惹句そのものだったが…)。すでにミヅキの家族が本牧から住吉に移った後の話で、ヒデとは別れ、さらに文化祭の演技の練習中にスタンツのトップからバランスを崩して落下してきた同級生を受け止めようとして受け損ない、ケガをして大好きなチアリーディングからも離れていた時期だったと記憶している。
本牧に行きたいというのでそのまま京急に乗り、横浜駅から市バスに乗った。道中何かと姉に比較されること、家のすべてが姉中心で回っていること。そして、自分がいくら頑張っても見向きもしてもらえないし、姉にはかなわなくて頭も上がらないこと。さらに、「みんなのミヅキ」ではないことを一くさり聞かされた。マイカル本牧のパティオでたわいのない会話を重ねた別れ際、オレはミヅキにパティオの人目につかないところに手を引かれ、生まれて初めてたっぷりと舌を絡めながら唇を重ねた。オレの初めてのキスはフレンチ・キスで、ほのかにたばこの香りがした。
苦しくなってお互いに離れると、肩で息をしたミヅキからずっとオレのことが好きで、オレに好きになってほしかった。どうして好きになってくれなかったのかと詰められた。オレもそのころ、同じ部活の中で付き合っている人がいたし、ミヅキは「みんなのミヅキ」だから、誰かが独り占めすべき存在ではななかった。そこから30年近くの間に、いったい何が彼女をそんな暗くて深い闇に沈めたんだろうか…。
そんなことを考えながら昔はバンドホテル、今はメガドンキのある山下橋のバス停で接客していたら、その行列の中に、オレはミヅキの面影のある女性を見つけた。ところが乗務するバスが混んでいたせいか、彼女は別系統のバスに乗ることを決めたらしくこのバスには乗ってこなかった。ああ、しまったなあ…と独り言ちるしかなかった。
家に帰って、マッサンにミヅキと思しき女性を見たのだが…と今日起きたことをラインした。
バカだね、声かけりゃよかったじゃんよとマッサンは返してきて、続けざまにクーミンからものび太は役立たずだなとラインでバカにされてしまった。しかし、さすがに乗務中にそんなことをしたらまずかっただろう。ドラレコで見られているし、添乗監査員が乗っていたらアウトだ。
翌日の帰宅後、夜遅くに家の電話が鳴った。ナンバーディスプレイを見ると、ユウミが勤める国際開港記念病院の番号だったので彼女に取らせた。今日は満月でもないし、満潮はとっくに過ぎているので応援要請はないはずなのに…と訝しげに電話を取ってしばらく話すと、オレにうちのERから。あんたなんじゃと、といいながら受話器をよこしてきた。
その電話の内容に、オレはただただびっくりするしかなかった。
磯子駅近くのラブホテルから女性が救急搬送され、ERで治療を受けている。所持品の運転免許からミヅキであることがわかった。ミヅキのスマホに登録されていた電話番号の一つがオレの家の番号で、それをユウミが自分の連絡先に登録していたこともあって電話した、病状等はいえないが…ということだった。ユウミに確認したら聞いた以上行くしかないけえ、行こうといってすでに着替え、車のカギを持っていた。2階下のマッサンの家に行くと、二人とも偶然に在宅で4人で一緒に行こうということになった。車はユウミが出してくれることになった。
ユウミのN-BOXに大人4人が乗り込むと、だいぶぎゅうぎゅうになってしまった。
カーラジオからは、サザンの『メリケン情緒は涙のカラー』が流れている。
その歌の世界観のような突然、降ってわいたジェットコースターのようなミステリアスなシチュエーションの結末に、4人ともなかなか口を開けないでいる。重ったるくなってくる空気を入れ替えたいと窓を開けたら、気持ちよく風が吹いてきた。あとはもう、なるようにしかならない。そう独り言ちる。
港南台駅近くにある国際開港記念病院はかなり大きな病院だ。ユウミ曰く地域の中核病院で、横浜市からもかなり補助を受けているらしい。職員駐車場に車を止め、小走りに病院の建物へ急ぐ。病状は聞けないにしても、何かあるだろう…。
何が来ても受け止めよう。そう覚悟を決めたオレたちは「ER/時間外入口」と書かれた自動扉から、吸い込まれるように病院の中に入っていった。
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