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えらいということ

ぼくは小さな頃から、この概念の習得が非常に難しい子どもでしたし、今でもそうです。

「年上を敬う」
「先輩はえらい」
「先生はえらい」
「政治家は先生という」
そういったことに共通するなにかしら、人格なのかわかりませんが特定の属性をもつ他人を上にみること。特別な存在とすること。その概念がどうも入りにくいみたいデス。

おじいちゃんやおばあちゃんが歩いていて危ないって思ったら手を貸しますし、困っていそうだったら声をかけます。
でも、別に敬っているわけではなく、ぼくの方ができることがあるからやっているだけなのデス。

個人的に「おじい」と酒を呑んでいて、話に含蓄があって、こりゃ参考になるなぁって思うことはあります。
でも、えらいとは思っていないかも。

昔サラリーマン時代に、「上」の会社から天下ってくる的なおじいちゃんがいました。
当時、ぼくは総務部とか経理部とかをまとめる管理本部長みたいな立場だったと思うんですが、朝出勤してきたその方が
「私の席に電話がない」
ってぼくに言いに来たんです。

「島(総務だったら総務の机が並んでいるところ)にある電話を使ってください」
と言ったら
「君はぼくをなんだと思ってるんだね」
と怒られました。
「社員だと思っていますよ」
と答えました。
そこでようやく気が付いて、
「ステータスシンボルとしての電話を設置する意思はありません。総務の子の方が電話をかける回数も受ける回数も多いでしょう。だからできれば彼らには一人一台渡したい。あなたもそのくらい電話を使用するようになるようでしたら当然考えます」
と伝えました。

その後、名刺がないだのとさらに言われて
「申請しないと名刺は来ませんから、これに書いてしかるべきラインで申請してください」
と申請書を渡してさらに憮然とされました。

ぼく自身も同様で、当時会社では主任になるとひじ掛けのついた椅子を渡されるのですが、それを断っていました。
「椅子にあぐらをかいて仕事する方が楽なので」
と。
別な本部長を任命され、そこに行くと席がなかったので長机とパイプ椅子でしばらく仕事をしていました。別段不便もないので。

そう、ステータスとしての「えらい」を認知するのがとても難しく、認知できるように当然訓練して少しずつできるようになったんですが、できるようになってくると「えらい」って人をダメにしてないかっていう疑問が湧いてきました。

ある年の新入社員となにかの用事で一緒に外出することがあったんですが、その時に
「おかばん持ちます」
と言われて、たぶんものすごく露骨にイヤな顔をしたと思いマス。
「あのね、自分でかばんも持てないようなマネージャーの下で働きたいですか?マネージャーにはマネージャーの仕事と責任があります。それは今の君ができることよりも広範で影響が大きいものデス。
だから、君よりいい給与をもらっているんです。
その立場の人を甘やかすようなことは、会社と君自身を危うくすることですから、甘やかしてはいけません。」
「当然、お茶をいれたりとかもしてはいけません。自分で自分の好みのお茶も入れられないようなマネージャーをあなたが作り上げたら、ひどい目にあうのはあなた自身です」
そんなことを伝えました。

自分が珈琲を飲みたいときに、そこにかおりさん(ぼくのパートナー)がいれば
「珈琲飲む?」
と聞いて、飲みたいなら淹れてあげます。
それは全く別な要素でほっこりのおすそ分けみたいなものです。
呑み会で誰かがサラダを取り分けてくれたら、恐縮しちゃうのでぼくも何かを取り分けようとして、大抵失敗します。うまく配分とかできないからみんな食べたいの食べればいいのにって思いマス。

そもそも、自分で食べたい量を取り分けることもできない人を育てちゃいかんだろって思いながら。

基本的に、こういうスタンスは今もまったく変わっていません。

この街で生きていると「政治家」に会うことがあります。
市議会議員や都議会議員や、首長や。
「先生」
と尊称されている姿を見ると、大丈夫かいな。。。って思いマス。
自分たちの街の行政を委任する相手を自分が「えらい」と勘違いさせて、本当に仕事ができるようになるんだろうか。と。

だから、いつも名字に「さん」付けでしか話をしませんし、呑んでる席にいても迎えにも、送りにも出ません。

でも、同時にさすがにわかってくることもあります。
人間関係の潤滑油として、「えらい」と相手を上に置くことでイロイロうまくいくこともあるんだろうし、関係がよくなることもあるんだろうなと。
ぼくにみえない、そういう世界がおそらく「えらい」を皮膚感覚で理解し、「えらい」を自然に使える方々にはみえているんだってことも。

でも、根っから理解しがたく、同時に受け付けられないこの「えらい」って感覚なので、親しい方を通して(その方は自然に「えらい」を理解しています)。学んだり、うすぼんやりとその景色をみたりするようにしています。

ぼくにとってえらい人っていうのは、亡くなった方でもありますが、バングラデッシュで水路を引くことに尽力された医師。中村哲さんデス。
もうほんと心からえらい人だと思っています。
生存されていて、お会い出来たら全身でそのことをお伝えしたかった。
もし、握手する機会があったら中村さんの手を両手で押し頂いて、土木作業でごつごつになったその手を握りしめ、こうべを深く垂れたことだと思いマス。
心の中では彼を思う度にそうなってしまいます。


彼の生き様を様々な本やメディアを通して知る中で、ぼくの中に芽生えた唯一理解できる「えらい」です。

読んでくれてありがとデス。サポートしていただけたら、次のチキチキ5(リアカー)作れるカモ。