SNS漫画とヘンリー・ダーガー

最近はSNSで漫画をいくらでも読むことができる。
『タコピーの原罪』は面白かった。
漫画にしろ小説にしろ、素人が(こちらの作者さんは違うが)自分の力だけで創作物を世の中に発表できる社会って凄いよなあ。
勿論紙媒体の古き良き同人文化みたいのもそれではあるのだけれど、対峙する「世の中」のデカさが違いすぎるもんな。

でもこうなると出版社さんや編集者さんのお仕事って先々どうなるんだろう。
そうした方々が介在しなくても、作品を創り発表することが簡単にできる世界で、どう生き残っていくのだろう。
コミティアみたいな場で各出版社さんへの持ち込みスペースがあったりするけれど、デジタルネイティブな子たちがメインとなって活躍する未来には、紙媒体の漫画雑誌への憧れなんて死滅してしまうのではないか。
不愉快なことが多々あるであろう他者の指導を受けるよりも、自らの感性のままに作品を創り上げて発表する方がきっと楽しいだろうし。

オールドメディアを駆使して不自然なブームとメディアミックスとでガッポガッポと儲けるような一昔前のビジネスモデルはもう無理だろうけれど、単純な欲望として、何かを創り発表したいというきもちを抑えきれない方々に関しては素晴らしい時代。
短歌や俳句もSNSで素晴らしい作品を目にできるし、そうした文化を受動的に楽しむ人間にとってもメリットしかない。
言い方は悪いけれど、社会になかなか適応できない子だって、必要最小限の他人との関わりで、自分自身の内側を曝け出すことができるだろう。
大抵の人間は自己顕示欲を満たしたくて仕方がないのだから、真っ当な形でそれを発散したらいい。

しかし無料で良質な作品をいくらでも手にできる時代に、そうしたものを創り提示することだけで大金を稼ぐことはなかなか難しそうだよなあ。
金を払うくらいなら違う物を読もうという選択肢が多すぎる。
世界には娯楽が溢れすぎている。
創作欲とそれに伴う自己顕示欲は満たされやすくなったけれど、極々一部の「売れる」作家さん以外は、食い扶持を稼ぐために稼ぐお仕事と二足の草鞋を履くしかなさそう。
コミュニケーションに難があるからクリエイターになりたい的な消極的な選択が実は厳しくなるのかもな。
創作活動はやる気さえあればいくらでも行えるけれど、まず生活するための金を稼がないと生きていけないよ的な。
それができないのなら、全てがままならない。

ヘンリー・ダーガーもこの時代を生きていたのなら『非現実の王国で』をSNSで連載したりしたのかな。


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