コロナで試合が飛びまくってる柔道界。そしてこの2年ちょいで3試合飛んだ沼田のメンタル。
新型コロナのせいで試合が飛びまくってますね。全国レベルの試合で言えば高校選手権が中止になった辺りからバタバタと試合が無くなっていって、9月の定時制通信制体育大会までの小学生から社会人までの大会が軒並み中止と延期になっています。
おそらく直近で開催を表明しているのは全日本学生体重別優勝大会(通称:尼崎)ですが、毎年12月の末に福岡で開催されるサニックス旗福岡国際中学生柔道大会も中止を発表しています。ちなみに余談ですが沼田も中学生の時に出場していますが、大会名称が長いので僕らは「サニ旗」と呼んでました。どうでもいいですね、はい。
真面目な話、中高生は自治体が管轄する県大会の代替大会が開催されなければそのカテゴリでの試合が無くなってしまうわけで、個人的には好きでは無いですが便宜上の「引退」となってしまうケースもあります。というか自分の教え子の中学生も試合が無くなり受験勉強にシフトしていくという話をしました。
大学生は学生柔道連盟が開催を表明しているものの、個人戦は日程が決まっていない「延期」という扱いで、強化選手への登竜門である講道館杯に繋がる試合が不透明になっているのが現状です。(2020年7月6日現在)
また、社会人の枠でも規模が一番大きい全国実業団選手権も中止となってしまいました。こちらも講道館杯への関門だったため、選手はまた一年待つ必要があります。
オリンピックの金メダルを目指す事が至上命題になっている日本の競技柔道はここにきてストップとなってしまって、選手のモチベーションは低下しているのを複数の選手から話を聞いて感じています。もちろんその原因は大会主催者や全柔連にはありませんし、自然災害と同様に「起こってしまった問題」にあります。むしろ、大会の開催によって収益を上げる連盟や団体にとってもダメージは大きく、選手のためを思って強行開催しようとすれば「柔道」というくくりで世間からのバッシングは想像に難くありません。
選手にとっても、大会主催者にとっても、関係者にとっても辛い日々は続いています。
2018年から試合が飛びまくってる男
ここからは沼田の話になりますが、個人的に自分もなかなか試合のチャンスを逃している方だと思っています。
思い返せば2018年の柔術グランドスラム東京でのエントリーミス(これは半分自分のせい。人数規制のために早期締め切りをくらいました)から今日まで3試合ほど出場予定の試合が飛んでいます。
去年の7月に初参戦したF2Wも11月のハワイ大会に出場予定でしたが、リザーバー(欠員が出た場合に出場する補欠選手)のまま出場にはならず、直近で言うとホンジュラスから参戦予定だった5月のF2Wにも出場予定でしたが、コロナの影響で大会自体が中止に。気付けば丸一年試合の機会を逃していました。
もっとも、日本一になる為の謂わば正規ルートを辿っている柔道家のように年に1回しかチャンスが無いわけではなく、年間でオファーがあれば、或いは条件を選ばなければ何試合でもできる僕は比較的に精神的なダメージは少ないですが、それでも体重とコンディションを試合があるかないか分からない中作ったり、あると思っていても途中で無くなってしまったときは、それなりにダメージを受けます。
試合が無くなったら”選手特権”は使えない。
それでも「無いものは無い」ので事実を受け入れるしか余地は無いです。
僕の場合は試合に臨むメンタルは減量と共に作られていく感じがするので、体重が落ちるにつれて思考も試合の事を沢山考えるようになります。僕は一つの試合が決まると、生活から何からそこに全集中してしまうタイプです。
これについては後で記事にしますが、それで失敗したことも沢山あるし、反対にそのお陰で試合の前後で良い思いをしたこともあります。
ただ、やはり精神状態は正常では無いことは確かなので日常生活にまでそのテンションを持って行くのは自分はともかく他人にまで影響を与えてしまう事があります。特に悪い面で。
できるだけ表に出さないようにはしているものの、空腹と試合への緊張感でイライラしたりすることもあるし、逆に日常の中でやるべき事に対して無気力になってしまったりする事もあります。もちろん他人への迷惑は普段から書けるべきでは無いし、やるべき事は必ずやらないといけませんが、ある意味「試合前だから」という不文律でプロテクトされているところは多少なりともあるとは思います。まさに”選手特権”です。
しかし、試合が無くなってしまった以上そんな言い訳は通じるはずもなく、「試合には出場できない」という連絡を貰った瞬間から気持ちを切り替える義務が生じます。
試合が無くなった瞬間に、競技一本で生活をするような専業の立場でなければ、アスリートから一般人に限りなく近づきます。もちろん、選手特権に浸っていればいるほど受け入れるのは容易ではありませんが。
僕は試合が飛んだ事が分かったら大体数時間後には所属先や練習仲間には連絡を済ませています。わざわざ時間を割いて練習をしてくれた人達ですし、僕のために向こう何日も時間を作ってくれているかもしれません。その人達の時間を無駄にしないように、「被害」を最小限に抑えるために早めに連絡するようにしています。
自分にスポンサーがついて貰っている場合は、日中であれば連絡、夜であれば翌日の日中には連絡をします。この瞬間が一番キツいです。電話番号を打ち込んでいる時に、お金や物品を提供してくれる人の気持ちを反故にする気がしてしまいます。ある意味ここが一番緊張するし、ここを乗り越えれば段々と気持ちの切り替えが出来るようになってきます。
無くなった試合を乗り越える
一連の連絡を終えてから、少しずつ日常に心が戻ってきます。
ひと月に何試合も闘う連戦でなければ減量が終わるので、減量中に書き留めておいた「食べたいものリスト」を消化したり、半身浴で大汗をかく必要もなくなるので好きな温度のお湯に好きな時間だけ浸かったりします。トレーニングも僕の場合は走り込みメインの追い込みメニューから高重量を扱うウェイトが増える気がします。
結局、試合前にやらなければいけない事に縛られすぎてストレスが溜まり、”選手特権”が(自分の中で)発動してしまうので、ストレスの素がなくなれば独りよがりな日々から、社交的な日常に復帰出来るようになります。
そして、時期が来れば「自分が出るはずだった試合」の日が来ます。
人によってまちまちだと思いますが、僕はできる限り見るようにします。トーナメントであれば誰が勝ち上がったのか、ワンマッチであれば近い階級の選手の試合など。
その試合に出る予定があったということは、遅かれ早かれ試合に出ている選手と自分とで試合をする事になるかもしれないという事なので、研究も兼ねてしっかりとウォッチします。
そして大会が終われば、また次の試合に向けて頑張ろうと思えます。
誰も試合が出来ない今だからこそ。
今の沼田は就職先(ホンジュラス)にも行けず、試合の予定もセミナーの予定も立てられずでほとほと困った状態ですが、日々の指導やらスペイン語の勉強やら、或いはいただいている執筆のお話やらで生きています。
必ずしも戦い続けることだけが沼田哲哉のアイデンティティではないので、他の事に意義を見つける事が出来ている今は幸せかなと思います。
今、試合の予定や先が見えない人も、とりあえず何かを見つけることから始めれば良いと思います。出来れば生産的な事(お金を稼げること)の方がモチベーションも上がるかもしれないですけど、必ずしもお金が一番でもないです。なんならnoteを書くのもひとつかも。
アスリートを自負するのであれば、いつかは嫌でも闘う時がきます。その瞬間までの糧として、今はゆっくり自分が有意義と思えることを見つけられれば、その日にきっと繋がると思います。
とりとめのない内容でしたが、こんな感じです。読んでくださった方は。ぜひフォローをお願いします。
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