働く事は嫌じゃない。
コロナ禍の中に巻き込まれて職を失った人は世界中に沢山いて、言ってしまえば僕もその中の一人だと思います。
学生時代に柔道と柔術を使って世界のあちこちを回っては指導をしたり試合をしたりして、気付けば日本で職探しする気は無くなってました。唯一した就活先から半分「縁故」の様な形で内定を貰ったのに「めっちゃ治安の悪い国で柔道やります」と言って(実際はもうちょいマトモな言い訳を言って)辞退しました。
新卒1年目で年収450万円の仕事を蹴って月給◯万の国で柔道を広める。
字面にすればこんなにカッコ良くて信念と自信に満ち溢れてるのに、結果は日本で足踏みをしてる現実は中々心に来るものがあります。
工業地帯が近くにあって、高卒で働くのが普通な地元で、実家は蕎麦屋を営んでいる。せっかく大学まで行って、それなりに誇れる様な賞状をそれなりに誇れる枚数貰って、将来安泰の450万円を選ぶのが普通なはずなのに、「海外に行って柔道をやります」は余りにも常識から外れてる。
もともと社交性はあるけど社会性は欠けてるので、他人の「常識」とか「普通」って事に首を傾げちゃうタイプです。しかも捻くれてるとこもあるから、さんざっぱら指された後ろ指もホンジュラスとの契約がまとまった時に心の中で全部へし折って「どうだ!これが結果だ!」と悪態をやはり心の中で吐いてました。もっとも、今となってはへし折ったはずの指たちが僕の後頭部を突いているのは想像に難くありません。
最初の渡航延期から2ヶ月ほど渡航の目処が立つのを待って、結局諦めて地元の福祉施設のパートで働く事にしました。
待てど暮らせどGOサインが出ない状況はどんなに祈っても変わらなかったです。仮に現地の感染者が減ったとしても、というか実際日本人の渡航は許された今も、国の経済が破壊された中で僕に払うお金はありません。現地の関係各所と話し合って、無期延期にしてもらいました。
いつになったら渡航できるか分からない不安よりも、働かないで収入がない事の方がメンタルを蝕んでいきました。自分でブランドを立ち上げて、退職予定だった指導場所にも契約の延期をしてもらいました。でも、いち社会人が稼ぐ給料、それこそ自分が選択しなかった給料と照らし合わせると、頭を抱えたくなる時もありました。日本で働かない選択をしたはずが、今度は自分自身で日本で働く選択をしました。
働いていくうちに、やり甲斐や楽しさを見つけられるようになりました。今まで経験した事のない職種だったので、新鮮な気持ちで仕事ができました。仕事に慣れれば人として成長できた気にもなれました。
そして、やっぱり日本で働くのは難しいと思いました。
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