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旅も終わりに近づき、あとはよろしくという気分

僕は二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。

 『アデン アラビア』(ポール・ニザン/篠田浩一郎 晶文社)の冒頭の一文。

 「その通り‼︎」という言葉しかなかった。
この本を読んだのは高校で留年した頃だったか。よくは覚えていない。高橋和巳とか埴谷雄高とか吉本隆明とか澁澤龍彦とか、そんな作家の本を読んでは、意味もわからずその中の一文を引用して得意がっていた。

 思春期のころ初めて共感した「思想」らしきものだったかもしれない。そこには、古き因習が生み出す権威への反抗が記されていた。そこには、新鮮な驚き、そして覚醒への期待があった。しかし、安田砦の陥落に涙した純情も、浅間山荘ですべては幻想だったことを思い知らされた。
 
そこから僕は、権力が司るすべてのものへの無関心を学んだ。

 反抗の時代がそのとき終わった。失意の中で抱く「共同幻想」、わが青春はそんな時代だった。

 大人という生きものを見て、その汚さ、狡さ、訳知り顔でのさばる存在に反感を持ったのはニザンだけではない。僕たちにしたってそうだった。
「もう子どもではないのだから」。もちろん「少年A」で済ます気はないが、だから何だというのか。長いものに巻かれて姑息に生きるのが「大人」であるなら、そういうモノにはなりたくない。納得できないものに媚を売るような生き方はしない。

僕たちにとって、従順は罪悪以外の何ものでもなかった。

 ニザンはフランス、そしてヨーロッパという権威から逃げた。しかし、救いを求めたアデンにも同じ風景を見た。権威や追従はどこにでもあり、社会の隅々にまではびこっていた。

絶望は希望から生まれる。

 パリに戻ったニザンは破壊の衝動をつのらせる。爆弾を抱えて路上に立つロープシンのように。その姿には、破綻という言葉がふさわしいのかもしれない。
 存在の矛盾に悩み、拠りどころを失ったニザンは、自らを破壊するためにダンケルクへと向かい、そこで戦死した。
 35歳だった。

 ところで、僕たちには死ぬ危険などカケラもなかった。10代の僕たちにとって、70年代は疑うこと自体が無意味なほど平和な時代だった。そして自由な時代だった。僕たちは、その空気を満喫した。

 政治的な活動を続ける友人とは距離を取り、安逸と快楽を友とした。堕落?そうかもしれない。僕たちが感じた自由は、単なる無責任だったのかもしれない。

大阪万博で垣間見た未来の虚像に、僕たちはずっと浮かれていたんだ。

 今も似たような状況だから、おそらく日本という国は平和に愛されているのだろう。多分これから先も変わらないと思う。だとすれば、これ以上自由な状況は存在しないということだ。

 僕の周りにいる若い人たちを見ていると、やはりニザンの感性を考えてしまう。

 実社会は矛盾に満ちた世界だ。救いようもなく愚かで、目を逸らしたいほど情けない。人は、そんな世界に自分ひとりで立ち向かわなければならない。

◆◆◆

 助けようとする人々がいる。導こうとする教えもある。さまざまなコメントが SNSを駆け巡る。情報が、あふれる洪水となって押し寄せる。
 が、人に生き方を語るなど僕にはできない。語れるようなことは何ひとつとして無いし、そもそも語る気すらない。

 なぜなら、自分が得たものがあるとして、それが他人に役立つものだとは思わないから。

 周りで起きていることを理解できる「そこそこの知性」、そして思考力と想像力、それのみが自らを助ける。それが、生きるために僕が学んだ唯一のことだ。
 だから、それぞれで考えて、自分で答えを出す方がいい。自由にふるまえる平和がここにあるのだから。
 そして僕はといえば、あと5年後には確実に現役を引退している自分自身に安堵している。

あとはよろしく、という気分だ。

 最後に、ひとつだけ言葉を贈ろう。

陽の光は、曙から遠ざかって日中へと進むにつれて、娼婦のように身を売り、消え去る瞬間にようやくーそれが黄昏の倫理というものだがーおのれの罪を償う。
(『生誕の災厄』E.M.シオラン/出口裕弘 紀伊國屋書店)

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