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時間を溶かす愉しさ 友だちんちで過ごすのだ。

 「うちに遊びに来ないか?」と誘われた。

 彼のうちには漫画がたくさんある。ちょっと読みたいけど買ってうちに置いておくほどではないと思う本や、持っているのが少し恥ずかしい(隠しておきたい)本がたくさん置いてある。

 その上、彼の両親はとても忙しいらしく、ほとんどうちにはいない。そのかわりに子どもが欲しがるものはすべて(漫画やゲーム、飲み物やお菓子、食べ物)用意し、決して不自由させないでいる。育て方として、いかがなものかとは思うが、友人の一人であるぼくにとってはこの上ない環境だ。

 友だちには、とにかく身体を動かしてなくちゃいられない奴やおしゃべり好きな奴、人の行動にいちいち口を出してくる奴もいる。みんな友だちだけど、漫画を読む時だけはウザがらみされたくない。自分と漫画の世界に浸ってナンボだからだ。

 その点でも彼は理想的だ。漫画部屋に導いてくれたあとは、ほとんど何も話しかけてこない。時々、「なんか食べる?」「なんか飲む?」と聞いてきて、欲しいものはすべて揃えてくれる。そして知らんぷり。

 図書館みたいにイスに座ってなければならないということはないし、本屋さんみたいに立ち読みしなくてもいい。飲食自由で、ゴロゴロしてたって誰にも怒られない。「ここは天国か!」と時々思う。

 漫画にもいろいろあるけれど、不思議に彼のうちで読む漫画は、ほとんど記憶に残らない。気になる本は自分で買って何度も読み返したりするから当然なのかもしれないけれど、刹那に消えていく、ちょっと特別な時間をともにしている感じだ。

 そんな感じだから、彼のうちに行くとどうしても長居してしまう。午前中に行ったはずなのに、ふと気がつくともう陽が沈んでいるなんてことも珍しくないし、そのままお泊まり会に移行することもある。タイムトンネルだなって笑ったりする。彼のうちに入ってから出るまでの時間が消えている。

 漫画喫茶に行く際の小さな背徳感、罪悪感、後ろめたさを、ぼくはいつもそうやってごまかしている。友だちのうちに行くのだからと、言い訳しながら、いそいそ出かける。
 昨日も彼のうちに行って、みんなが学校で勉強したり仕事したりして有意義に過ごしている一日を、ただただ無為に溶かしてしまった。

 申し訳なさも愉しさもいっぱいの時間だ。

 


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