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【鉄道自分史】#2はじめての蒸気機関車撮影旅行は中2の冬休み(1973年12月)② 宮崎編

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1973年12月中学2年の冬休み、友人と3人で訪ねた九州。3泊(車中泊)4日の旅は生涯忘れることができないものとなりました。

前日の北九州、9600が次から次へとやってくる後藤寺線、C57が客車や貨車を引き優雅に走っていた日豊本線(田野・宮崎)。対照的なこの2形式の蒸機をそれぞれ丸一日たっぷりと味わいました。

3日目の朝、降り立ったのは晴れ渡った日豊本線田野でした。そこは広々とした田園地帯をC57が貨物から、客車急行までを牽引する夢のような世界でした。

半日ほど撮影し、田野を出て宮崎駅へ行きました。大阪へ帰る日です。宮崎ではC57が本当に「これでもか」というぐらい走り回っていました。入れ替えをするもの、貨物を引くもの、客車を引くもの・・・。C11も貨物を引いてやってきました。目当ての急行「日南3号」が来るまでの時間たっぷりと目に焼き付けることができました。40数年経った今も忘れることのできない光景です。

いよいよ、急行「日南3号」がやってくる時刻になりました。最後の蒸気機関車牽引急行だとのことです。駅で撮影してもおもしろくないので南側の大淀川鉄橋へと向かいました。

しばらく待っていると、「重連や!」という声が聞こえました。ファインダーを覗くと確かに重連です。高鳴る気持ちを抑え、静かにシャッターを切りました。
宮崎では一緒に行った友人2人と別れ一人で帰ることにしました。高鍋までC57牽引の普通列車に乗り高鍋から急行「みやざき」で門司まで向かいました。なぜ、一人で帰ったか自分でも思い出せません。そして、最近その2人の友人と会ったときにその話になりましたが2人ともなぜかは覚えていませんでした。これからも、その疑問を酒の肴にしていこうと思っています。

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中学2年の冬休みという時期に旅行を許してくれた両親、一緒に行った双子の友人(みっちゃん、はるちゃん)に今も感謝の気持ちでいっぱいです。

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