喜怒哀楽のバランス
さっき、2011年のオルフェーヴルが勝った日本ダービーを見てた。
やっぱ強いよ、オルフェーヴル。あの子をちゃんと乗りこなした池添もすごい。
そして、オルフェーヴルが前に出た瞬間ウィンバリアシオンがどどどーっと追い上げるのもかっこいい。
オルフェーヴルのレースは何度も見たくなる。
さて、人はバランスが大事だ。
私は、自分の中にある思い込みや溜めているものが現実化されると信じている。
…とは、言いつつ気持ちに負ける私なのだけど。
感情もバランスが大事。感情出してますか?
私は「怒」の感情に蓋をしがち。
今までの怒りって全部「哀」に流れてるんだよね。
どこか、怒る事が”悪”で人のことを悪く言っちゃいけないとか、人に怒るのは大人気ないとか、
怒らないでニコニコしてようって思っていて。
結果モヤモヤして哀しくなってる。
今までの私って怒れなかったんじゃなくて、「怒ってよかった」んだと思うのね。
親のことだってなんだかんだ嫌いだったけど、完全に嫌いになりきれなかったのは親に対して嫌いなんてダメだと心のどっかで思っていたし、それって世間もそういう考えが大半じゃないですか。
親とはいえ、傷つく事を言われたり受けたりして結局自分の体も精神も壊したのだから、怒ってよかったんです。
…一人になるのが怖かったんだよね。だって、親だもん。家族だもん。
そこが、本当に難しいというか、人生の罠だと思うのね。
実際、親から離れて良かったと思ってる。
会社で色々あって精神が限界になったけど、今は家族以上に支えてくれる人がいる。
会社での事って良く言えば”休むキッカケ”だったと思う。
傷つくというか、限界だったんだよ。
できない事をやれって言われて、ミスするとめちゃくちゃ責められてさ。
本当に限界だった。
それが嫌で私より上にいた社員が2人も辞めてるのに、私は生活もあったし意地もあって辞めれなかった。
2人がいた時も、上司の事をほんっとにこいつはクソだなって思ってたけど、
そう思わないようにしてたんだよな。そう思わないとやってけなかった。
本当はむかついて、2人にした事、派遣の人にしてきた事も許せなかったのに”怒れなかった”。
残るのは”哀しみ”だけだった。
結局一人で哀しんでるだけでね、一人だけ哀しくて騒いでるみたいな。
そんなんだから、周りは気づかないんだよ。
え?あの子突然どうしたの?って味方になる事もなくて、
私一人だけが訴えてて、自分で虚しくなったりね。
怒りと哀しみで葛藤していたから、そこばっか意識がいっちゃうと、
楽しい事や喜びも忘れちゃうんだよね。
怒りと哀しみという所謂”負”の感情をおさえこんだって、プラスにはならないんだな。
逆に負の感情を忘れようと楽しい事をすると、それってまた違う”快楽”になって”依存”になるのだと思う。
私の場合、買い物症候群ね。結局残るの借金だけだからね。
だから、ちゃんと負の感情って出すの大事。
いっつもキレてる人もいるけど、そういう人は逆に「哀しみ」が自分の中で処理できてないんだと思う。
あとさ、一つの感情でつまずくとどれもダメになる気がする。
私は「怒り」に蓋して、「哀しみ」にしがみついていたから、
「喜び」も「楽しさ」も素直に出せなかった。
楽しい事があってもまた、哀しい事があるんじゃないか?って思ってる。
「楽しい」「喜び」だらけの人はどうなんだろう?
自分にはあまり無かったから、想像できないけど。
2つを強く持ってる人って人に「与えてる」気がするわ。
すごいよね。与えてるんだよ。
多分そういう人は「怒り」と「哀しみ」も勿論感じる事もあると思うんだけど、「楽しい」「喜び」に切り替えるポテンシャルがすごくあると思う。
そうなりたいなぁ。
またバカだなぁと思う事件・ニュースがあるけど、現代版シドとナンシーみたいだな、と思った。カートとコートニーじゃないんだよな。
誰の事とは言いませんが。
SNSとかでバカやる人たちもそうだし、政治家の失言なんかもだけど、想像力が全くないし、どこか”自分達だけは”って思っちゃうんだろう。
また、そういうバカやっちゃった人に対して必要以上に叩く人達もね、元気だなぁと思う。わざわざリプまでするかぁと思いつつ、一定数そういう人も必要だとは思うよ。世の中、バランスだから。
多分、バカもどっかで役に立ってる。
でも、バカやったやつが損するだけだよ。
いっときの”快楽”は本当に怖いから。残るのは恥と借金だから。
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