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3つ勉(カフェスケッチ編) 

6月になったら一部有料にするってこの記事の最後やツイートなどなどに書いていたのですが…
それは「全体公開で、ここまで中身丸出しに書きすぎたら”セミナー受講しないでコレと無料公開のYou Tubeだけで頑張れるな」って人が出て、せっかくの素敵なセミナーを受けない人が私のせいで出てきてしまったら困るかな…と勝手に気を使ってのことでした。(自分の文章にどれだけ影響力があると思いこんでいるのか)

たった百円の有料記事になるだけで、俄然読んでもらえなくなるから有料はある意味誰にでも読めない形にするための一つの手段…(世知辛い)

でも私、3つ勉受けるの家計的にメチャクチャ悩んだし、そういう時に受けた人のレポとか無料公開されてるジェスドロ動画に助けられながら自主練したし。

で、カフェスケッチ編のアーカイブを改めて見てたら…

「セミナーのメモなどの公開は好きなだけどうぞ!
出られなかった人や、気になってるけど出るまで至らない人に向けて、出た人が出た人の言葉で伝えてくれているとありがたい」
ってふくろうさんが仰ってた。
これ、忘れてたんですよね。

なんて心の広い方や!!!

そっか、じゃあ、返って無料のままのほうがいいやと思ったので、有料にするのはやめました!
このレポートが誰かのお役に立てたら幸いです!

後日追記


こちらで3つ勉3部作完結となります。
多分今回のセミナーで私、コレが一番楽しみだったかも。

実際の人をコミカライズして描くって超楽しそうじゃない?

そんなワケでまずは講義メモを貼ります。

講義のメモ


見て→感じて→描く!!3日通して基本は同じ。
人を観察して、そこからストーリーを見つける
プロップは偉大!!そして問!!
「どうしてかしら?」を常に抱く事が大事。


3日通して共通していること


1日め ジェスチャードローイング
2日め フィルムスタディ

そして3日めがこのカフェスケッチ。

この3つでやる基本は全部同じ。

見る→感じる→描く

見たままを写し取るんじゃなくて

『見て、感じたものを描く』

上手いとか下手とかじゃなくて

『見て何を感じたか、を描く』

もう、3日め、この3つが全て繋がってるんだ!ってわかったときはもう背筋がぞわぞわぞわーー!ってしました。

特にカフェスケッチは、写真や作品ではなくて、今目の前で起こっている『現象』を描くことが学び。
写真とリアルの違いは「描きたいと思ったもの」だけではなく、それを形作る周りの人やものを描くための情報が多いこと。

大切なことは「そのあなたのイメージを見せて頂いています」という意識を忘れないこと。だから気づかれないようにささやかに、さりげなく。

私もカフェスケッチやってみたい!と思っていたけど、この、相手に気づかれないように相手をスケッチするって難しすぎない?と思っていた。

でも「ジェスドロで30秒スケッチしてるぐらいの感覚で描くんだよ」と言われたときハッとした。

そうだよ、30秒で印象が伝わる絵を描けるようになってきたんだから、それをただ外で目の前の人にやればいいだけじゃん!
そんな難しいことじゃなかった!!

「そんな難しいことじゃなかった」と思えたのは、地道にジェスドロの習慣を続けていたからだと思う。

多分習慣が出来上がってなかった時に突然「目の前の人の印象を30秒で描け」って言われても、多分「そんなの無理でしょ!」って思ったと思う。

私的には、ジェスドロが「ランニング」で、フィルムスタディは「筋トレ」で、カフェスケッチは「練習試合」みたいなイメージ。

ランニングで基礎体力をつけて、フィルムスタディで筋力をつけて、カフェスケッチで軽く実力を試して、最後の『実戦』で作品作り。

3つそれぞれが全て実戦に必要な練習で、どれも飛ばせない。
3つをずっと繰り返すことで、実戦に生きてくる。

基礎体力である「ジェスドロ」が何だかんだ一番の要で、これで基礎体力を上げておくことで残りの二つを生かしていけるような気がした。
今回このセミナー受ける前に、数ヶ月ジェスドロやってて良かった!と思った。基礎体力がほんの少しついていたから、筋トレも練習試合も息切れしないで挑めたような気がしている。

感じるための観察


ジェスドロでも、フィルムスタディでも、カフェスケッチでも。
とにかく「感じる」ことを大切にと言われた。

その「感じた」中に、自分としての正解があるのだと。

本当にそうだよねぇ。自分が描きたいものって、自分が感じたものの中にあるから、自分にしかわからない。それを伝えるために私は絵を描きたいわけで「誰かに上手いと言われたい」から絵を描きたいわけじゃないんだ。

すっかり忘れていた感覚を、今回の3日間のセミナーで思い出させてもらった。とてもありがたい。だから今、絵を描くことがとても楽しい。

何かを感じるためには、観察することが大事だ。
ただ漠然と見ているだけではわからないものを観察する力。

花束を小脇に置いて
目の前に美味しそうな料理が並び
小さな小箱がカバンから見える
そんなスーツの男性が
一人で食事をしながら泣いている


もしそんなシーンを見たとしたら、感じることは?

「プロポーズしたけど、だめだったのかな」とか
「来てくれると思った人が来てくれなかったのかな」とか

そうやって、状況から感じることってあるはずだ。

見て、感じるっていうのはそれらを大切にするってこと。


プロップの大切さ


プロップとは、「小物」のこと。

濡れた傘を持った人の絵を見たら「外は雨だったのかな」と思うだろう。
イヌを連れてオープンカフェにいる人を見たら「散歩の途中かな」と思うだろう。

その場面の「傘」や「イヌ」がプロップに当たる。

描きたいものだけをただ描くのでは、ストーリーは伝わらない。
背景は周囲が創り出す状況によって、そのキャラクターはいきいきと動き出す。それを見る人に伝える為の小物がプロップ。

電車に乗って寝ている人がいる。
電車に乗ってスマホをいじる人がいる。

多分電車の中にいるのは大抵がそんな人。

「みんな同じだからスケッチの練習にならないよ」じゃなくて、良く見てみて。

うたた寝みたいな寝方の人。
酔っ払って完全に泥酔で寝ている人。
疲れ果てて熟睡しちゃってる人。

スマホを横にして両手でやっていたらゲームをしているかもしれない。
イヤホンをつけてニヤニヤしている人は、面白い動画を見ているかもしれない。
難しい顔をしてスマホの画面を見ている人は、仕事のメールチェックをしているかもしれない。

同じ行動は、服の乱れ方や、表情、スマホの向き、イヤホンの有無、そういうもので一つの行動は全て違うものになり、その人だけが持つ「ストーリー」になる。

その人の持つ形や動きに「ストーリー」を与えるのが「プロップ」なんだ。

私、これ、理屈だけならわかってた。
絵で何かを伝えるためにやらないといけないこともわかってた。
でもやり方がわかんなくて、なんか無理やり状況を説明して、それでも難しいときはテロップ入れたりしてた。

でも、日常で、「あの人きっと疲れてるんだな」って思う時、誰かがその人にテロップをつけてくれてるわけじゃない。
でも私はちゃんとその目から入った情報で、その人のことを想像出来ている。

私に感じさせた何かを考えながら描きとめる練習をするのが「カフェスケッチ」だった。何かを感じさせる小物の引き出しを増やしていく。
目の前にいる人をただ描く練習ではなくて「何を感じたか」を描き留める。

人と人が「友達」なのか「上司と部下」なのか「親子」なのか。
それも傍から見た時に自分が感じ取った何かがあるはず。

「この人今から多分ライブを見に行くのかな」って自分が思うことがあったとしたら「何でそう思ったの?」といちいち自分に問う。

ライブのうちわを持っていた?
何かグッズを持っていた?
近くにライブ会場があって、その人の歌がイヤホンから漏れていた?

きっと、何かが自分にそれを感じさせている。

うわーーー。
こんなこと、改めて考えた事なかったよ。

でも本当にそうだよ。
何で私はそれをそう感じたんだ?
うわー、うわー。びっくり。

セミナーでのカフェスケッチはストリートビュー


こればっかりはリアルでも多分出来ないよね。

「さあやってみましょう」ってみんなでお店に入って一斉にスケッチ始める会とか、いや、コロナ禍以前にはあったのかな…?
何にせよ、地方組からしてみればこういう色んなものがオンライン開催になってくれたお陰でこのセミナーを受けられるわけだからありがたいなと思う。

セミナーの中ではストリートビューを使ってスケッチをした。
画面に映る人、どの人を描いてもいい。
映像から何を感じるかをちゃんと意識して描こう。

メニューを見てる人は「観光客っぽい」
さて、それは何故?
・大きなリュック
・名物を食べようとしてる
・歩きやすそうな靴
奥の女性がなんだか楽しく無さそう
それは何故?
・目を合わせていない
・相手は食べてないのに自分だけ食べてる

こうやって感じるのは「自分の印象」であって、本当にそうであったかとかは関係ない。事実じゃなくて良くて、「アイデア」を貰うだけだ。

『なんでそう感じたのか』という情報は、自分の絵を描くときに活かせる引き出しだってこと。それだけ。

だから『正しい絵を描く』んじゃない。
『感じた絵を描く』んだ。

これ、もう、3日間ずっと言われてたよね。

そして実生活でも、観察、観察


それを考えるようになったら、道行く人全てのストーリーが見えてくる気がする。
そりゃそうだ、みんな一人ひとりの人生を生きてるんだからなぁ。

そんな風に考えてみると、ただ人を見ることが凄く楽しい。

郵便局で手続きしてるとき、目の前にいたおばあちゃんを見て
私はぼんやり「おしゃれなおばあちゃんだな」って思った。

何でおしゃれって思ったんだろ?
ああ、髪をキレイに整えて、スカーフつけて、帽子をつけて、素敵なメガネチェーンをきらきらさせているからだ。

歯医者の待合室で二人の奥様がお喋りしていた。
なんとなく奥の人の方がツンとして感じるな。
似顔絵を描くとしたら「三角」のイメージかもしれない。
手前の人はなんだかほんわかしているな。
ちょっと「丸い」イメージがあるかもしれない。

バッグを横に置いているか、抱えているか、の違いからも…何となく、奥の人のほうが気が強そうに見えるって思えたのかもしれない。

なんだ、こうやって考えながら描くの超楽しい!!


おばあちゃんはいつもニコニコして、子どもに語りかける。
それに対して子どもも笑顔で何かを喋ってる。

信号で子どもが事故に合わないように。
毎日決まった時間に横断歩道の脇に立って、子どもを優しく見守るおばあちゃん。そんなおばあちゃんのことを大好きな子どもたち。
あったかいねぇ、素敵だねぇ。

そうやってひとつひとつ目に入るものを描き留めながら、いちいち色々考えて過ごしていたらこんなことがあった。

いや、ほんとに、頭の中に「ばーっ」ってこの妖精の世界が広がったんですよ。

帰ってから速攻で、一枚絵だけ描いたのがこれ。

たんぽぽの種が一瞬フロントガラスに張り付いてすぐ飛んでいったって動きにさえ、観察したことでストーリーを感じてしまった!!

それぐらい、日常で目から入るものって「物語」に満ちてるんだなと。

「子どもにしか見えない」トトロとかも、こういう「何でだろう?」っていう子どもの気持ちが具現化したものなんじゃないかなと思ったりして。

いやー、面白いです。

絵を描く事は自転車に乗る事に似ている


「こうすれば上手くなるよ」というノウハウは、色んなところにあふれている。

でも、実際に乗らないうちは絶対に乗れるようにならない。
乗り続けなければ、上手くなることもない。

絵も、ノウハウだけ読んで上手くなったつもりになることは出来る。
でも、描かなければ描けるようにならない。
描き続けなければ上手くなることもない。

自転車もいっぱい転んで、どろんこになって頑張って。
補助輪外して乗れるようになった時は本当に嬉しかったっけなぁ。

だから絵もそうなんだ。
今は下手でも「思った通りに描けないムキーッ」があってもいい。
とにかく続けることだ。

私は毎朝4時半に起きている。
そして5時半ぐらいまで何となくウダウダして(勿体ないからここももっと有意義に過ごしたいと思ってる)メールチェックとかその辺りを済ませた後から毎朝ジェスドロをやっている。

普通にやっても20分ぐらい。時間が足りないときは二倍速。
どちらにしても最低10体は描く。
30分にも満たないシンプルな習慣だからこそ、しんどくならずに続けられている。

やる気の波に乗りまくってて、もっと描きたいぜ!ってなったら倍描くこともある。1日、最低10体、多い時はもっと。

フィルムスタディは、子どもたちが学校や幼稚園から帰ってきてから、何となく居間でコリコリ気楽にやっている。

どこかにお出かけするときは小さな単語帳とペンをカバンに潜ませて、見る人見る人、気になった人、気になったもの、片っ端からメモしている。

こんな些細な毎日の繰り返しを、ただ地道に続けていきたい。
そしたら…80歳になるころにはもっと絵が上手くなってるかもね。

そんな期待をしながら、この3つをぐるぐる楽しみながら続けて。
それと並行して、他の時間で作品作りをしていきたい。

いい絵は人を魅了する。
物語がどんなに良くても、絵が駄目なら台無しだ。

魅了できる絵と、魅了できる物語、どちらも作れるようになったらいいな。

以上、3つ勉の振り返りnoteでした。

参考になった方がいらっしゃれば幸いです。
8月には、私が一回取りこぼした「8つ勉」も開催されるそうですよ。

8月までこの習慣を続けて、そのときセミナーを受けたらきっとまた見える世界が変わるかなぁ。

今回の3つ勉に関する記事はこちらに全部まとめました。
他の講座に興味がある人は別記事も読んでみて下さいね~!



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