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好きなことで自分を知る。

友人のnoteを見て記事を書いてみようと思った。

同じアスペ同士ということで、いい感じに気が合う。
だからといってべったり仲良しじゃないし、取り立てて依存もしない。
「その人が地球上のどっかで生きてる」だけでいい関係。
会ってもすごく会話が弾むわけじゃない、でも、とても楽。
こういう人間関係を増やしていきたい。

私が漫画を描いてる人だからって、一緒に遊んだとき

「ほら、これ漫画で描けちゃうんじゃない?」
「漫画にしてよ~」

とか言ってくる人は、何か好きじゃない。

私はね、自分が描きたいと思ったことだけ描きたいんで。
人に言われると、描きたいと思ったことも描きたくなくなる。
だから余計なことを言うんじゃねぇと思う(めんどくさいやつ)

お互いが勝手に好きなことをやって「その好きなこと、いいね」って言って、だからといって一緒にやりたいということもなくて。

相手のやりたいことにいちいち干渉するより、自分がやりたいことをただやりたい。

羨ましいと思うこともなくて、とにかく「いいねぇ」って言い合ってるだけ。

それでいいんだよね。
私はね。

そんで、日記に書いてあること。

「自分の好きなものについて、何故自分がそれを好きかを考えると自分を知ることにつながる」

ほほう。なるほど。

日記に書かれたことを読むと、確かに彼女そのものだったし、ほんとにそのうちいつかやっちゃいそうだなと思った。
やりたいことはもうめちゃくちゃなんだが、だが、それがいい。
それでいいと思う。

それで考えてみた。
私の好きなことってなんだろう。と。

***

最近、好きだなーと思うのは自然の中にいるときだなと思う。
毎日同じ景色というものが存在しないことにワクワクする。

今日は晴れてる。
今日は曇ってる。
今日は風が強い、雨が降ってる。
季節は変わる。色も景色も。
今日は木の枝に鳥がいる。
昨日はいなかったねえ。

木の葉っぱが落ちてくる。
落ちる前の木と、落ちた後の木は違う。
雪が降って全てを隠し、そのあとに新しい命が芽吹いてくる。

春が一番好き。
「はじまる」って感じがする。

秋は少しさみしい。
「とじていく」感じがする。

とにかくそういう些細な日々の自然の移り変わりを観察するのが大好きだ。
いつもありがとうございますと何かに感謝しながら景色を見ている。

早朝の散歩が好き。
人が少ないから。

私にとって、自然の中では人の存在が結構ノイズなのだ。

悩む自分も傲慢な自分もめんどくさい自分も全部含めて、自分がちっぽけに感じるから、自然の中にいることがすきだ。

もうひとつ好きなこと。
それが人間観察。

自然の中でノイズになるなんていいながら、私は人を眺めるのが好きだ。

自分以外の人間が何を考えているかわからないから、何を考えているのかを考えるのが好きだ。

マックとかに日中ひとりでふらっと入り、ぼんやり色んな人を眺めてみる。
そしてその人の色んな時間を妄想するのが好きだ。

あ、人間だけじゃなくてもいいな。
動物で想像するのも好きなんだ。

**

ある夏の日から、私の車のサイドミラーに蜘蛛が住み着いていた。
普段はミラーの裏側に隠れていて、巣を払っても朝になると窓に新しい巣を張っていた。
最初はちょっと気持ち悪くて、蜘蛛が表に出ているときに窓から木の枝で取り払って草むらに逃がそうかと思っていた。
でも、何となく、せっかくここに住んでいるんだからと受け入れてみることにした。

車に乗り込み、走り出すと風に吹かれて巣が強く揺れる。
巣の中心にいた蜘蛛は、慌てて巣を少し巻き取りながらミラーの陰に戻っていく。

「お騒がせしてます」なんて笑いながらそれを眺める時間がいつの間にか好きになっていた。

ある日、ちょっと郊外に遠出した。
郊外はまちなかを走るよりみんなスピードを出す。
いつもより強めに巣が揺れて、蜘蛛は巣に戻ろうとした。

でも、どうしたんだろう。
その日の蜘蛛はいつもみたいに戻れなかった。
スピードが速かったから、揺れが大きかったんだろうか。
巣はどんどん崩れた。
たった一本の糸で蜘蛛はかろうじて車にしがみついていた。
車を止めようと思ったが、車の流れ的に難しかった。

君ならどうにか戻れるだろ?と思いながら、チラチラ横目で蜘蛛の様子を伺っていたけど、そのまま最後の一本が切れて、蜘蛛はどこかへ飛んでいった。

その日から、私の車の窓に巣が張られることはなくなった。

ちょっと寂しくて、ほんのり泣いた。

そんな話をクソマジメに夫に語る私。
夫は「そのままの君でいてください」と笑う。
こうやって、どんな下らない話も面白がって聞いてくれる夫が好きだ。

命にはそれぞれのドラマがあると思う。
創作の世界は自分ではない命を楽しむためにあるのだと思う。

私はいろんな命からドラマを想像するのが好きだ。

自分の頭の中にあるドラマを可視化するのが好きだ。
それは文章でもいい、絵でもいい。

文章のほうが多分自分の中では強く出せる。
映像は脳内で補完出来る。

でも他者により強く伝えられるのは絵と文が同時に見られるものなんだと思う。

脳内で映像を作れない人にとって、絵がついていることはとても大きい。

以前私が「小説を読んでいるとき、その場面が頭の中に広がってたのしい」と言ったら、夫は、そんな映像は作れないと言った。
文字情報は文字情報でしか無い。と。

そういう人のために、アニメやドラマや漫画が必要なんだなと思った。

私には、私の知る世界を伝えたい、という欲求がある。

自分の車の窓に巣をはる蜘蛛について、こんなにドラマを作って人に熱く語りたい人なんてそうそういないだろうと思う。

どんな存在にもそういうひとつひとつのドラマみたいなものがあって。
それを考え出すと、世界はすごく面白い。

だから私は漫画を描いているのかもしれない。
自分の感じたドラマを人と共有したいのかもしれない。

そうすることで、誰かと繋がる感覚を得ているのかもしれない。

それが私なりの、誰かと一緒に人生を楽しむ感覚なのかもしれない、と思う。

私はね、漫画を描くことが楽しいわけじゃない。

漫画に何を描くかを考えて、それを描いていくことで私の頭の中にだけあったものが多くの人に見えるものに変わっていくこと。
そしてそれが誰かに伝わったと感じるときが楽しいんだ。

その瞬間のために、多分私は作品を作っているのかもしれない。

ときに、自然の中にいる小さな一人の自分を俯瞰して、自分の人生の一部を描いたりもする。そのときは、自分を他人みたいに感じている。

好きなことを掘り下げると自分がわかる。

文章にして掘り出してみたら、本当に、思った以上に見えるものがあってよかった。

みなさんも良かったら考えてみて下さい。

気づかなかった自分が見つけられるかもしれませんよ。

サポートいただけたらそれも創作に活かしていきますので、活動の応援としてぽちりとお気軽にサポート頂けたら嬉しいです。