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折り鶴マスコットに込められた想い〜フットボールの白地図 【第2回】 岩手県

<岩手県>
・総面積 
約1万5275平方km
・総人口 約121万人
・都道府県庁所在地 盛岡市
・隣接する都道府県 青森県、宮城県、秋田県
・主なサッカークラブ いわてグルージャ盛岡、盛岡ゼブラ、FCガンジュ岩手、富士クラブ2003
・主な出身サッカー選手 八重樫茂生、菊池新吉、菊池利三、小笠原満男、山本脩斗、岩清水梓

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 新しく始まったプロジェクト、その名は「フットボールの白地図」。第1回の京都府から、次はどこの空白を塗っていこうかと思って視線を北上させたら、北海道の次に面積が大きな県に目が停まった。岩手県である。この県については東北地方の中でも、かなり足を運んでいる。そのきっかけを作ってくれたのが、同県唯一のJクラブである、いわてグルージャ盛岡(当初はグルージャ盛岡)であった。

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 グルージャ盛岡が設立されたのは2003年12月。グルージャとはスペイン語で「鶴」を意味し、南部藩の家紋である向鶴に由来する。また「ジャ」の発音は、当地の名物、じゃじゃ麺に由来するとも言われている。こういうご当地感あふれる「わが街からJへ!」というクラブが、全国的に次々と出現したのが2000年代半ばの象徴的な出来事であった。

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 ちょうど05年に『サッカーJ+(ジェイプラス)』という、国内サッカーを専門に扱う専門誌で、Jを目指す地域リーグクラブを取材する連載を持たせていただいた。連載名は『股旅フットボール』。のちに同タイトルで、私は地域リーグをテーマにした初めての著書を、東邦出版から上梓している。今から考えれば、よくぞかようなニッチな連載が、書籍になったものだと思う。

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 この『股旅フットボール』の連載がなければ、それから15年かけて地域のフットボールを追いかけることはなかった。その連載第1回が、当時東北社会人リーグ1部だった、グルージャ盛岡。当時はまだ紙媒体が元気だったので、ひとつの連載記事を書くのに、盛岡に2回も行かせてもらえた。しかもそのうち1回は、つなぎ温泉の旅館での宿泊(当時、グルージャの選手が働いていたので)。時代だな、と思う。

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 それから時は流れて14年、グルージャ盛岡は東北リーグからJFLをすっとばしてJ3に参戦。その3年後には、折り鶴をモティーフにしたマスコット、キヅールが爆誕する(詳細についてはこちらを参照されたし)。この間、クラブは経営難で運営会社が変わったり、当時の副社長が事業資金を着服したり、さまざまな荒波に揉まれることとなった。クラブマスコットが鶴ではなく折り鶴となったのも、「これ以上の災厄がありませんように」という祈りが込められている。

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 とにかく広い岩手県だが、幸いにして盛岡以外の土地も取材で訪れる機会があった。柳田國男の『遠野物語』で有名な遠野市には、2015年の全社(全国社会人サッカー選手権大会)の取材で一度だけ足を運んだ。遠野が「河童推し」なのは理解できるが、駅前に展示してあった河童の像がやたらとリアル。何も知らず夜に通りがかったら、ぎょっとすること間違いなし。

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「奇跡の一本松」で知られる陸前高田市。2011年の東日本大震災で甚大な被害を受けた時、いち早く被災地支援に駆けつけたのが、今季J1首位を爆走中の川崎フロンターレであった。川崎が素晴らしいのは、遠く離れた陸前高田への支援活動を、その後もクラブとして継続的に続けてきたこと。両者の交流については、こちらこちらに書いたので、興味ある方はご参照いただければ。

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 ラグビーの街として知られる釜石市にも、昨年のラグビー・ワールドカップの直前、そして本大会のフィジー対ウルグアイの取材で訪れた。ラグビーに関しては素人同然の私であったが、同じ岩手県にまったく異なるスポーツの土壌と歴史があることが、とにかく興味深かった。釜石ではもう1試合、ナミビア対カナダの試合が行われるはずだったが、台風の影響で中止。現地入りしていたカナダ代表の選手たちが、泥出しのボランティアをしていたのは有名な話だ。

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 話をグルージャに戻す。彼らがホームグラウンドとしている盛岡南公園競技場は、その後のネーミングライツで『いわぎんスタジアム』となったが、その設備は私が取材した15年前からほとんど変わることはなかった。今年になって久々に現地を訪れると、小学生の大会が行われていていて、マスク姿の子供たちが無言でピッチに念を送っていた。スタジアムそのものは変わっていなくても、取り巻く風景は大きく変わっている。

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 最後に食について。岩手県は美味しいものに事欠かない。麺類だけでも、じゃじゃ麺、冷麺、わんこそば。魚介も肉も野菜もいける。そんな中、あえて紹介したいのが、盛岡の地ビール『ベアレン』。設立は2001年と歴史は浅いが、古いドイツの醸造所からブルワリーの設備を移設してきたので、本場の香りと苦味と深みを味わうことができる。現地を訪れた際には、ぜひお試しあれ。

<第3回につづく>

宇都宮徹壱(うつのみや・てついち)
写真家・ノンフィクションライター。
1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年に「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追い続ける取材活動を展開中。FIFAワールドカップ取材は98年フランス大会から、全国地域リーグ決勝大会(現地域CL)取材は2005年大会から継続中。
2017年7月より『宇都宮徹壱ウェブマガジン』の配信を開始。
著書多数。『フットボールの犬 欧羅巴1999‐2009』で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』でサッカー本大賞2017を受賞。近著『フットボール風土記 Jクラブが「ある土地」と「ない土地」の物語』。



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