現代において可能な恋愛

 恋愛とは性欲の詩的表現であると芥川龍之介が書いてゐた。
 「恋愛」を辞書で引いてみたら、

(loveの訳語)男女が互いに相手をこいしたうこと。また、その感情。

とあって、この辞書(広辞苑)には、例文として明治大正の頃の作家の作品から引用された文が載ってゐた。

淫奔といふ事を恋愛と名を付けたり色々な事がはやり升(ます)な
                 佐藤紅緑『雲のひびき』

 「淫奔」といふ穏やかでない単語。これも辞書を引いたら、かう書いてあった。
男女がひそかに通じること。道にはずれた男女関係。

 わたしは恋愛を、次のやうに定義したい。
①性的な関係を基盤とした
②幻想の極限までの(破裂寸前の)膨張である

 ここで謂ふ所の恋愛は、「結婚は恋愛の墓場」といふ諺で登場する恋愛のことだ。
 恋愛にもいろいろあると思ふのだが、ここでは、結婚によって死ぬ恋愛のことについて書きたい。この記事で「恋愛」といふ言葉で指すのは、結婚によって消滅する恋愛のことだ。

 人間関係にはいろいろあって、その関係において幻想が膨張することはよくある。教祖と信者なども、教祖に幻想を抱くことがあると思ふ。
 だが、恋愛の場合はちょっと特殊で、出発点となる人間関係は、性的な関係でなければならない。
 つまり、男女の関係だ。だが、昨今は同性愛のことも忘れてはならないので、基盤となるのは、性欲を根っこ置いた二人の人間の関係だと言ひ直すことにする。

 さて、人間には、無いものをあるやうに見る能力があるのださうだ。
 認知心理学によると、この能力のおかげで、龍や幽霊やUFOなども視えるのだといふことだ。
 性欲によって二つの棒磁石のS極とN極のやうに惹かれ合って接着した男女(もしくは男男、もしくは女女。面倒なので、以後は三組を代表して「男女」と表記します)は、それぞれの幻想投射能力を発動して、互ひに幻想を投影する。
 ふたりの幻想は融け合ひ、一個の大きな風船のやうになり、男女は、その中に入ってしまふ。

 このやうな恋愛を選ぶ男女は、
現実には存在しない異性を、切実に求めてゐる
 何につけ、幻想を見るのは、現実には存在しないからであり、同時に、それが存在することを渇望してゐるからだ。

 このやうな恋愛は、燃え上がる。実際は幻想が膨れ上がるのだが、見た目としては炎のやうな恋だ。
 西洋人が人混みの中で抱き合って激しく接吻(といふより口吸ひ)してゐることがあるが、あの状態が典型的な、熱く燃える恋愛だ。
 他人が見てゐるのに接吻する、といふよりは、恋愛する男女は、他人が見てゐるから接吻する。
 なんなら性行為も人前でやってしまひたいくらゐ、恋愛の火焔に包まれて頭がおかしくなってゐる。さういふ逆上した男女は、ほんたうに、公園や自家用車の中、先生だったら教室で、警官だったら交番の仮眠室などで「愛し合ふ」ことがある。

 ところで、かういふ恋愛は、結婚によって消えなければならないのだが、離婚率をみると、あんまり消えてない。
 同棲とか内縁関係といったものも含めて、なんとなく三年も四年も、へたをすると十年以上同居して夫婦や夫婦同然の関係を続ける男女が、まだまだ、多い。
 恋愛が四年も続くはずがないから、これらの男女は、わたしが定義したところの恋愛をしてなかったのだと思ふ。
 つまり、本人の頭の中だけにゐる理想の異性の幻想を投射し、互ひに協力して、それぞれの投影を膨張させて、燃え上がる恋愛にしていた。・・・・のではなかったのだ。

 結婚すると、日差しを受けた霜のやうにみるみるうちに崩れて消えてしまふやうな、本物の恋愛は、現代では難しい。

 なぜかといふと、さういふ本物の恋愛には、社会の禁忌が必要だからだ。
 社会が絶対に許さない関係、そのやうな関係を敢へて選ぶのは、相手が、抗しがたく魅力的だからだ。その相手と性的な関係になれなければ、生きてゐても仕方がないといふやうな存在だからだ。
 
 江戸時代の歌舞伎や浄瑠璃の「心中物」は、このやうな禁忌を突き破って結ばれた男女が社会で生きる場所を失ひ、共に死ぬといふ話だった。
 情死といふ、これ以上エロティックな響きの無い言葉が、さういふ男女のためにある。


 今の社会で、情死で成就するやうな恋愛を成立させる禁忌はあるだらうか?
 
 わたしに思ひつくのは、未成年の女の子と、成人男性の、性的関係だ。
 未成年の女の子を恋愛対象とする男性は、ロリコンと呼ばれる。

 ロリコンとは何だらうか?
 ロリコンの定義で検索したら、
Quora
といふサイトに次のやうなものがあって、すっきりした。

回答者
雷門風太in竹工房の漫画編集・デザイナー・シナリオライター (1999–現在)

ロリコンにも数種類あります。

【ファッションロリコン】オタクに多い“男性に反抗しない若い女性好き”。女性に慣れてないだけなので、自分に優しい同世代・年上女性が現れると主義を翻して惚れます。

【真性ロリコン】一定年齢以上の女性は汚れていると忌避し、10代前半から10代中ごろの女性を聖なるものとして執着します。性行為が可能で自意識を持つティーン、しかし男に媚びない性格を好みます。女子が女性に変異するはかない一瞬の時期を、人格と身体ともに愛します。

【アリスコンプレックス】「不思議の国のアリス」作者ドジソン先生が有名で、10歳未満の女児を人形のように愛でますが、性的対象にはしません。

【ペドフェリア】主に10歳未満、生理前の女児を性的対象としてのみ執着し、対象の心情は無視します。人間として見ていません。

共通していることは「成人女性を忌避=怖い、攻撃される、不潔」と感じていることでしょう。幼少時の体験が関係していることが多いと思いますが、これは本人にはどうしようもないので、安易な批判は辞めた方がいいです。

ただしファッションロリコンは除く。

・・・・・引用、終はり・・・・


 今の社会が絶対に許さない恋愛は、
真性ロリコンの男性と、
10代前半から10代中ごろの女性(性行為が可能で自意識を持つティーン、しかし男に媚びない性格)との恋愛だ。

 この恋愛は燃え上がって、必ず消える。なぜなら、
女子が女性に変異するはかない一瞬の時期を、人格と身体ともに愛します
といふ恋愛だからだ。

 未成年ではあるが、この女の子は、しっかりと自意識を持ち、自分の意思で相手の男との関係に入り、人格と身体ともに愛し合ふ。

 それを、今の社会は許さない。
 成人男性が未成年の女の子と性行為をすることを、今の社会は、絶対に許さない。女の子の意思も人格も、無価値なものとして、社会は踏みにじる。

 女の子は、自分の恋愛を貫くためには、社会と真正面からぶつかるしかない。
 そこで、この恋愛は、わたしの定義する恋愛として成立する。
 この恋愛は、情死によって永遠のものとなるし、さうでなければ、切られたリンゴを食べずに置いておくと、たちまち赤茶けるやうに、なにか薄汚れた男女の関係、つまりは、幻想の消滅した、あからさまな現実だけが残るだらう。


 男女が、互ひを人生の伴侶とするきっかけとなる恋愛もあるだらう。
 それは、言ふなれば、結婚といふ社会的契約によって根付いて、その後、生涯にわたって生長し、枝葉を伸ばす樹木のやうな恋愛だ。

 けれども、わたしとしては、それをloveの訳語である恋愛、淫奔と取り換へても本質的な意味が変はらないやうな言葉では呼びたくない。


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