民主主義のいろいろ・続

 イギリスの民主主義。
 複数の利権集団による談合。
 議会政治が生まれた。
 議会政治は、国民が、職業や社会的地位に従って、いくつかの利権集団を形成するような、いわば「多様性のある社会」が前提だ。
 多様性の中身は、自分たちの党派的な利害だけを考えて特定の集団をつくる人たちの群れである。

 独裁国家が成立するのは、国民の利害をひとつにまとめることができるときだ。

 フランスの民主主義。
 家業や社会的地位と結びついた利権を守るために集団をなす人々を軽蔑する人が選ぶ民主主義。
 洗練されたすれからしの都市生活者。自分の貯金の他に、大事なものが無い。人生の価値は「自分の愛する者を愛すること」。
 だから、恋人や自分の子供のためなら死んでもいい思ったりする。

 アメリカの民主主義。
 アメリカ大陸を植民したイギリス人にとって、伝統とか文化とかいったしがらみは、新しい生活の仕方にとっては、邪魔でしかなかった。
 フランス人は貯金をすることに仕事の意味を見出したが、アメリカ人は、お金を作り出すことが最高の仕事だと思った。
 アメリカ国民は、全員が、ファイナンシャル・アナリストだ。どんな貧乏人でも、最上位組織の富裕層と同じような一攫千金、濡れ手に粟の人生を夢見て生きている。
 そして、その夢の中を自分の現実として生きている富裕層を、アメリカでは自分の人生を掴んだ人と考えている。ビル・ゲイツ氏はまだ生きているから悪者であるが、スティーブ・ジョブズ氏のように死んでしまえば、アイドルにできる。どちらの人も、キッチンカーでフランクフルトを売った人でも、畑で鍬をふるった人ではない。頭を使うだけでお金を作り出した。現代の錬金術師がアメリカの夢だ。


 日本の民主主義。
 日本においては、民主主義は西洋からもたらされた宗教のようなものだ。
 まずは「私たちは民主主義によって救われた」ということを信じることから始まる。
 イギリス名誉革命、フランス革命、アメリカ独立宣言。
 福音書三部。
 それぞれの解釈と、そこから作り出した教義は、人によって違うので、日本人はまだ「民主主義という神」がどういう神なのか、よくわかっていない。
 だが、ともかくも神なので、その存在を疑ったり、不敬な態度をとったりすると厳しく罰せられる。民主主義に抵抗する者は、異教徒や異端者、つまり、「ナチ」とか「新自由主義者」とかいったレッテル貼りで葬られ、民主主義に向けられた目がそらされて、誰も見たことのない「ほんとうの民主主義」という神の存在が守られる。厳密には「神の存在を信じること」が守られるということだ。

 実は、「ほんとうの民主主義」というものが架空の概念だったら?

 そうしたら、もう、現代では、個人や大小の集団の利害を超えた価値は何も無いことになる。

 わたしたちが政治に関心を持ち、政治家や企業の悪に憤って楽しめるのは、ただ自分個人の人生の不如意に対して溜まりに溜まった鬱憤を晴らしていると思っていないからだ。
 わたしたちは、何か、今の現実とは違う、理想的な未来を求めており、それに向かっているからこそ、「今だけ、金だけ、自分だけ」の社会が許せないと腹が立つ。

 終わりなき日常のなかで、ちょっと気になる映画を観に行くとき以上の、生きることに厚みを与えてくれる刺激を感じる。

 そのためには、現代で最後に残った神、「ほんとうの民主主義」だけは疑ってはいけないのである。

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 なんだか抽象的な話に終始したが、近頃のLGBT理解増進法に関する議論を聞いたり読んだりしていると、とにかく「民主主義」の言葉が乱舞していて、いまさらながら、驚いた。

 「そんなことで神の御心にかなうと思っているんですか!?」
 「あなたは、聖書を読んだことがあるの?」
 「おまえは、悪魔だ」
などと言い合う、宗論のように聞こえた。

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