国家(民族)の加害者性と被害者性について
自分の記事から、
加害者性と被害者性
のところを抜粋して、加筆修正した上で、新しく記事を書きます。
ややこしいですが、まず、他の人が書いたゴジラ映画評からの引用で
始まります。
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この映画(『ゴジラ-1.0』)ではゴジラに襲われた
日本の被害者性と大日本帝国時代の加害者性
が描かれている。もしかすれば、
日本が加害者性を持っていたことを忘れたとき、戦禍としてゴジラがよみがえってくる
のかもしれない。
引用、終はり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この手の、
書き手の良心を漂はせる文
が、今の日本には溢れてゐます。
反省してないと怒られる。
敗戦後、日本人はいつも、心のどこかに、
愚かな戦争をして
中国アジアを侵略して
たくさん人を殺したり傷つけたり搾取したりしてしまった日本人は
民主化されてゐない、封建的で集団主義で同調圧力によって動く、
自分軸の無い民族だ
といふ罪の意識と劣等民族意識を持つやうに教育されてきました。
その教育は今も続いてゐて、映画の解釈にも潜んでゐるわけです。
日本が加害者性を持っていたことを忘れたとき、
戦禍としてゴジラがよみがえってくる
って
なんで日本だけなんですか?
この四百年間ほど覇権国として興亡したスペイン、オランダ、イギリス、アメリカはもちろんのこと、
中国もドイツもフランスもイタリアもロシアもイスラエルも、イスラエルの被害者ぶってゐる中東の民族も、ユーラシア大陸のすべての民族や国々は、
被害者性を持ってゐる(ゐた)ことと同時に
加害者性を持ってゐた(ゐる)こと
なんて、忘れるどころか、そんなことを考へたこともないやん。
唯一の加害者はヒトラーとナチスってことになってない?
もっと言へば、現在、この地球上に、主権を持つ国民国として、自律的な民族として生き残ってゐるといふことは、
被害者性を持ってゐる(ゐた)ことと同時に
加害者性を持ってゐた(ゐる)こと
は、どの国も民族も、まぬがれないと思ひます。鎖国してた島国ではないかぎり。
その島国で鎖国してゐた日本でも、アイヌは侵略したんだといふことを発見して大喜びする日本人もゐますね。
自分たちの良心を示した人たちです。
ああ、さうか、加害者性を持ってることに日本人だけが気づいたんですね。
日本人にとっては、それは自分が良心を持つことの証明になりますから。
つまり、自分の罪を自覚してをり、罪人としての自分を受け入れて懺悔の人生を歩みますといふ宣言。
それが、南海の底からはるばると、ゴジラを日本列島に呼ぶのですね。
その南海に浮かぶ島々の人たちは、白人たちに支配され搾取されてきたのに、ゴジラは、そこを出発して、侵略の報ひを喰らへと、日本人を焼き殺しに来る。
原爆二発では、中国侵略、朝鮮植民地化、関東大震災時の朝鮮人虐殺、捕虜を生きたまま実験台にした732部隊、南京大虐殺などの日本人の大罪を贖ふには、少なすぎる。
朝鮮人は、千年恨むと宣言しました。
だから、日本人は、広島や長崎で、これから千年、ゴジラの襲来を求めて祈り続けると思ひます。
日本人が二度と過ちをくりかへさないためには、それしか方法が無いからです。
自国の防衛のため、自国の利権のため、さらには自国の正義のため、なんであれ、
戦争をするといふことは、
破壊し、殺し、おそらく女性が性的な虐待を受けるといふことですから。
自国を存続させるといふことは、
加害者性を持つこと
を国民が選ぶといふことです。
自国を存続させる理由が、国民の安全と幸福と人権を守るといふことであっても同じです。
警察は私たちを犯罪から守ってくれますが、その方法は拳銃や警棒や逮捕術といった、まぎれもない暴力です。
「撃つぞ』と言ふけれど、絶対に撃たない拳銃を持つ警官はゐない。「自衛のため」「撃たないために」拳銃を持ってゐる警官はゐない。
ところが、国家の軍備に関しては、「戦争しないために核武装しよう」と言ふ人たちが増えてきました。
自己の安全と幸福と権利を確保する。
さうすることの背後には、必ず他者に対する攻撃性があります。
憲法九条的に攻撃性がまったく無ければ、他の国や民族からいぢめられ、さらに、いぢめ殺されることもあります。これは個人のいぢめと同じです。
加害者性を持つことを意識できる日本人の国には、ゴジラが、襲ってくる。
これからも来ます、絶対に、しつこくしつこく。
ゴジラが日本を襲はないと中国や朝鮮が黙ってないしね。
つまり、この
狂暴で無敵だけが取柄の・くだらない怪獣、ゴジラ
の映画☆が手を変へ品を変へ終はらないのは、
加害者性を持ってることに日本人が気づいたからです。
☆ゴジラの映画を観る暇があったら、ガメラを観て。
日本人は自分を責めるのが好きだから、ゴジラが来ると、ほっとする。
他国や他民族を責めて、憎み続けるのはしんどい。
例へば、原爆を落とされたことについても、アメリカを虐殺者として糾弾し憎悪をぶつけることのできる日本人はほとんどゐない。
そのエネルギーを自責、自罰に向けると、急に元気になる。
世界から見れば、意味不明なマゾな趣味に日本人が走るのは、
お互ひさま
が日本人の哲学だからです。
みんな、お互ひ、それぞれが
世話になり、
被害を与へ、
それを赦して、
また支へ合ひ、さうする中で、
また、被害を与へる
といふ繰り返し。
その負と正の無限の循環の中に生きて、暮らすといふことが現実である。・・・と思ってゐる。
だから、真っ黒な悪人も純白の善人もゐない。みんなただの、灰色の人である。
でも、この哲学は、日本でしか通用しない。
それが世界に、特にユーラシア大陸の民族や国々にはまったく通用しないことが、日本人にはわかってゐない。
その思ひ込みは、確かに、島国根性だと思ひます。
わたしは、日本には本来の島国に戻ってほしい。
そして島国で島国根性を持ったまま、それになんの修正も加えることなく、日本人のままで暮らせるやうになってほしい。
だから、
鎖国してほしいです。
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