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丸坊主にしようと思った理由

わたしは髪の毛を切っても長く伸びるので学校でいつも髪の毛が一番長い一子だった。小学校から高校までは、髪の毛が非常に長くて皆がずっと褒めてくれた。イタリアで髪の毛が長ければ長いほど髪の毛に対する褒め言葉が増えるのだ。「すごく長いね。どうやって伸びたの?」「綺麗ね」とはよく言われていた。

プールで飛び込みをやっていて髪の毛が結構邪魔だったので先生に「切ったらどう?」って言われた。その先生の言葉を大事にして一回だけ髪の毛を少し切ったけど、今度学校に行ったらある先生に「悪くはないね」と言われた。その意味は「長い方が綺麗だった」。そんなこと言うんだ!って思ったけどそこで改めてイタリアの一般人の髪の毛の長さに対する考え方を改めて確認できた。

飛び込みをやっていた時に写真


そして、高校はずっと髪の毛が長くて、編みも好きなのでよく作ったり作ってもらったりした。
初めて日本に行った時に日本人女子の中で髪の毛が割と短いという人を沢山見かけて「短い髪の毛って女子も似合うことができるんだ」って初めて思った。そこからたまにちょっとだけ切ったりして日本人の人に「短いの方が見合う」って言ってくれたりした。ただ丸坊主まではしなかった。

そしてある日、決めた。当時はローマに住んでいた。住んでいた家のシャワーの水がちゃんと流れなかったし暖かいお湯もちゃんとでなかったので洗面所で髪の毛を洗わないといけないことが多かった。日本だったらそのまま銭湯とか温泉に行ってたけど。イタリアじゃ残念ながら銭湯という素敵な文化ないんやから大変だった。アパートの他の子達が実家に帰る時に週に一回髪の毛を洗ったりしていたそうだ。ただ実家が近くにない私にはそういう選択肢がなかった。
そこである日、近くにあったバングラデシュ出身の美容師に行って、「丸坊主にしてください」と言った。「全部切るの?」って言われて、「はい」と言ったらそれ以上に問わなく、行動に移してもらったんだ。丸坊主にしようと思ったもう一つの理由は妹だった。彼女はデンマークに留学してた時にある日理由もなく丸坊主にした。とても似合ってたし美人だった。自分がそれほど美人に見えるだとは思わなかったのだけど一回やってみたいということとローマの水の事情で決定した。
3分くらいで髪の毛が全部なくなってた。そしてそれで終わりじゃなかった。
髭剃りに使うクリームを塗られて、スキンヘッドにされたんだ。そこで「これくらいで大丈夫?」
へええこれくらいで大丈夫って!それ以上に切ることができるかしら!って思って。「完璧!」と返した。
当時髪の毛を切ったときはそんなに長くもなかったので髪を寄付することができなかったのだけど、そういうのもおすすめ。
また、丸坊主にして感じたことなかったことを初めて感じた。
また、「自分はこんな顔なんだ」って実感できて、そして「頭はこんな形なんだ」って初めての気づきも多かった。人の反応は其々だったんだけど、もちろん皆びっくりした。綺麗ねって知らない人からも言われたりもした。
またそこから髪の毛を短くしたきっかけに自分の知らなかったことも色々知ることができた。他人の考え方のことに気にすることも少なくなった。
意見を聞くのは好きだけどそこで人の意見で行動に移さなかったりとかやりたいことをやらなかったりすることを辞めることができた。
皆さんはいつか丸坊主にしみればどう?

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