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原田マハ「リボルバー」はゴッホを愛するものが思い描く夢物語

自己紹介が遅くなりましたが、私はヴィンセント・ヴァン・ゴッホを愛してやまない者です。

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ゴッホの絵に心を射抜かれ、脱サラ。美術を一から学ぶため、イギリスへ渡航し、修士論文は「ゴッホ」について。麦畑行って、ゴッホのお墓の前で嗚咽しました。ちゃっかり「ひまわり」も添えて。なので、ゴッホとゴーギャンの研究者でもある、主人公「高遠冴」に妙に感情移入…。

本の結末というと、ゴッホファンが一瞬でも「幸せな気持ち」に浸れる内容でした。「そうだったら、どんなに良いのに」と思えるような。つまり、普段、悲しく描かれるゴッホの半生や最期を、フィンクションの力で美しく描き直すことで、ゴッホの人生そのものを肯定している気がします。

さらに、この小説の中の描写は、世間が持つゴッホのイメージ(狂気・野蛮)を払拭させ、ゴッホが本来持つ優しさを主張し、そして冷徹なイメージのゴーギャン二人の不仲説(耳切り事件を機に仲違いして、ゴッホの葬式にも来なかった)をフィクションの力で説き伏せ、二人の友愛を主張しています。

そもそもゴッホの最期は不遇過ぎます。あんなに絵を描くのが好きで、「これから売れ始める」だろう時に、死ぬなんて。死因も「自殺か他殺」です。もしも自殺だとしたら、「そこまでゴッホは追い込まれていたのか」と居た堪れない気持ちになりますし、他殺説も、ゴッホをよくからかっていた少年に拳銃で撃たれ、ゴッホが庇ったという内容。胸が痛み、どちらもゴッホファンとしては信じたくない・・・。

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死の真相の鍵を握るのは、事件の時に発見されなかった「リボルバー(拳銃)」。どうしてもゴッホの死に対しては、悲しみに暮れてしまうが、原田マハさんは、リボルバーによって、別の可能性を提示し、夢を見させてくれました。「ありがとう、マハさん!!!」きっと原田さんもそんな夢を描きたかったんじゃないかな。

にしても、文中に出てくるゴーギャンの目を通した原田さんのひまわりの描写が美しかったので、引用。

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 もっとも目を引いたのはすべてが黄色すぎるほど黄色のタブローだった。濃い黄色、強い黄色、やわらかな黄色、淡い黄色、背景もテーブルも壺も、てんで勝手にほうぼうを向く花々も、複雑な色調の黄色で描きわけられている。にもかかわらず、ちっとも騒がしくなく、むしろ静謐で、完璧な調和をたたえていた。私は固唾をのんで立ち尽くした。背中がじっとり汗で濡れてくる。これこそが花だ、と思いながら、不思議なことに絵の中のひまわりが花に見えなかった。それぞれの花は強烈な個性をもち、まるで人格があるかのように感じられたのだ。               原田マハ『リボルバー」pp.247-248     

ゴッホの他殺説については、2017年に放映された「ゴッホ〜最期の手紙〜」で仄めかされているので、参考までにTrailerを。



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