お題小説「異世界春画乱戦」

 薄暗い石造りの廊下をレインは慎重に歩を進めていた。
 掲げた松明の光が、彼の剣の刃を不規則に照らす。次に飛び出してくるのは落石の罠か、はたまたスケルトンの群れか――。
 レインはそれなりの経験を積んだ若い冒険者だったが、それでもこの未踏の古代神殿に一人でいると足が竦みそうになった。こんなとき、いつもの仲間たちが居てくれればどんなに心強かったか。
 だが、頭に浮かんできた彼らの顔をレインは首を振って追い払った。
 同じ冒険者長屋に住む隣人たちは、それぞれの仕事で忙しいらしく手を貸してくれなかったのだ。けれど、レインには彼らを待つ余裕もなかった。財布はすっからかんで、家賃の支払いも遅れていた。
 もちろん、誰も金は貸してくれない。冷たい仲間たちだ。

「はっ。その代わり手柄は全部オレのものなんだ。あいつらが悔しがるとこを酒を飲みながら笑ってやる!」

 レインは自分を鼓舞するように言って、神殿の深部へと踏み込んでいった。

 そうして探索を続けていくと、やがて彼の前に大きな石の扉が現れる。彫刻などが施されていることから、ここが重要な場所であることが窺えた。
 深呼吸をし、レインは扉に手をかける。力を込めると、軋むような音とともに扉が開き始めた。
 奥に広がっていたのは少し狭い小部屋だった。家具の類は見当たらないが、入ると松明の光が床に描かれた模様を照らし出した。
 魔法陣だ。どうやらここは儀式の間らしい。
 レインは慎重に近づき、周囲を観察した。そして、その中心に奇妙な物体が置かれているのに気がつく。

「これは、本か?」

 しかし、見たこともないような装丁だった。聖典にしては薄く簡素だが、その材質は艷やかで、非常にしっかりとした紙を使っているようだった。
 何よりも目を惹いたのは、見たこともない言語、そして女性の絵。
 肖像画などというレベルではない。そこには、まるで空間を切り抜いたかのように写実的な女性の姿が描かれていた。

「古代の女神みたいだな」

 その美しい女性は薄い布だけを纏っているようで、どこか扇情的だった。
 レインは本に向かってゆっくりと近づいていく。幸い、罠の類はないようだ。
 細心の注意を払いながら手に取って、ページをめくると――その瞬間、レインの目は驚愕に見開かれた。
 そこにはまた女神が描かれていた。だが、その姿は何も纏っておらず、すべてがさらけ出されていた。さらに、その女神を男たちが取り囲んでいて、つまるところ、これは――

「これ超リアルな春画じゃねーか!」

 レインの叫びは、厳かな神殿をしばらく震わせ続けるのだった。

――――

 依頼の報告はつつがなく終わった。
 神殿で得た物品と地図は長屋を管理するギルドに引き渡し、報酬によってレインは自分の家を守ることができた。古いうえに狭く、最低限の家具しかないぼろ屋。しかし、どこか暖かく居心地の良い自分の居場所だ。
 けれど、その真ん中でレインは難しい顔をしていた。その視線は目の前の木のテーブルの上に注がれている。
 そこには、あの春画本が置かれていた。

「も、持ってきてしまった」

 レインは頭を抱えた。ギルドには本来発見した物はすべて渡さなくてはならない。だが、懐に隠していたこの本を、どうしても出すことはできなかった。
 そのあまりにもリアルで魅力的な絵に心は揺さぶられる。こんなものこの世の物とは思えない。
 そこで、彼は異世界から召喚された勇者の噂を思い出した。魔王を倒すため、昔から何度も異世界の人や武器の呼び出す儀式が行われてきた。そして、最近召喚されたある男は、今や王都で英雄として称えられ、まさに魔王との決戦に向かおうとしているという。

「もしかして、これも異世界の物なのか?」

 そう考えると、この初めて触る質感も納得ができた。同時に、その価値も極めて高いということになる。異世界の遺物やその技術は、どこの市場でも高額商品の代表格だからだ。
 だとすれば、もはやギルドに返却するという選択肢はない。今考えるべきは、これをどう使うかだった。
 金に変えるか、あるいは自分で“使用”するか――
 と、そこで突然ドアをノックする音が響いた。
 レインは慌てて本を隠そうとしたが、間に合わなかった。ドアが勢いよく開き、大柄なドワーフが豪快な笑い声とともに部屋に入ってきた。

「おう、レイン! 無事帰ってきたようだな。神殿探索の祝いだ、一杯やろう!」

 ドアの簡素な棒状の鍵が床に転がる。それを見て、レインは歯を剥き出してその無骨な隣人に詰め寄った。

「グロンド、てめえまたうちの鍵壊しやがったな!」

「お? すまんすまん。俺の筋肉にはその木くずが感じ取れんかった!」

 長屋の住人で、レインの仲間の一人――ドワーフのグロンドは、鍵だった木片を蹴っ飛ばすと、腕に大きな力こぶを作ってみせた。確かに、その太さは木の幹のようで、彼の前ではこんな簡素な貫抜あってないような物なのかもしれない。しかし、デリカシーはもう少し持つべきだろうとレインは常々思っていた。
 今だって、万が一もう少し遅ければ“使用時”のタイミングだったかもしれないのだ。それを考えるとぞっとした。

「おや? これは何だ?」

 グロンドは天井に届きそうな背丈があるので、前に立ってもその視線を遮ることはできない。当然のように彼の視線はテーブルの上に釘付けになった。
 けれど、レインも彼が入ってきた時点でもう隠すことを諦めていた。首を振ってその本を取って見せる。

「神殿探査で見つけたんだ」

「ほお、ちょろまかすとはやるな。どれどれ……」

「あ、おい、勝手に見るな!」

 伸びてきた太い腕に本を掠め取られ、レインは抗議の声を上げる。しかし、そのときにはもう本は開かれるところだった。

「なんだこりゃあ! これは春画か!?」

 グロンドは目を見開き、本を食い入るように見つめた。

「信じられん! まるで本物のようじゃないか!」

「ったく。オレだってまだ全部読んでないんだからすぐ返せよ」

 無理に奪い返すことを諦め、レインはどかりと椅子に腰を落ち着ける。
 そして、詳しい経緯を話した。グロンドはそれを熱心にページをめくりながら聞いていた。

「異世界の物品か。そいつはすごいな。確かに、こんな物今までみたいこともないぞ」

「へへ。だろ?」

「だが……これは“使えん”な」

 少し低い声で言うと、彼は本を閉じた。
 その言葉がレインには信じられなかった。

「馬鹿、こんな本物みたいな絵、他にねえだろ!」

「確かに絵は本物のようだ。しかし、それは絵でしかない!」

 その太い指をレインに突きつけるようにしてグロンドは言い放つ。

「見ろ。この表紙はつるつるしてはいるが、女の柔らかい肌の感触はない」

「いや、肌の感触がないのは普通の絵だって同じだろ」

「ああ! だから、本物の方がいいんだ。ちゃんと感触があり、重ねられる肌のあるな!」

 そう言うと彼は本を高く掲げる。

「そこでだ。今からこいつを質に入れて、娼館に行こう!」

「は、はあ?」

 レインは動揺を隠せなかった。
 確かに、グロンドの言い分には一理ある。できることなら、その肌に触れてみたい。
 だが、レインは物心ついた頃から冒険者を志し、それになったあとも迷宮の調査や魔物退治などに注力してきていた。そのせいで女性経験はほとんどく、子どもの頃に告白してフラれたのが一度きり。今は好みの女性がいてもどうしていいのか分からず、まったく行動が起こせないという有り様だった。
 ただ――
 そんな奥手のレインにとって、この本はどこか“ちょうど良い”。
 あくまで絵だ。目の前で拒絶を返される心配もない。けれど、そのリアルさから滾るものはある。だから、ちょうど良いのは『距離感』ということになるのかもしれない。レインは心と身体を以て、そのように感じたのだ。
 故に、もはや売り払うという選択肢はなくなっていた。それで娼館に行くなどとんでもないことだ。

「返せ! それはオレが使うんだ!」

「使うだと? 春画など、ガキが練習するための道具だぞ?」

「なんだと!」

 本を取り返すために、その太い腕に掴みかかる。冒険者ならば、体格差があっても遅れを取ることはない。
 そうして、本を巡ってつかみ合いを繰り広げていると――

「君たち何をやっているんだ」

 その声に、二人は手を止めて顔を向ける。
 開いたままになっていた扉の前には、眼鏡を掛けた金髪の男が立っていた。
 その名前はリアンドル。彼もレインのパーティの一員で、エルフの魔法使いだ。
 リアンドルは緑の模様が入った白いローブをはためかせると、しかめっつらで部屋に入ってきた。

「また喧嘩か? 君たちはいつになったら分別のある大人になるんだ?」

 その細身の体は、グロンドの筋肉質な体格とは対照的だ。
 エルフ特有の尖った耳を揺らしながら、リアンドルは溜め息をついた。その瞬間、彼の目が二人の間で奪い合っている本に留まる。

「ん? 何だその本は?」

 レインとグロンドは互いに顔を見合わせた。沈黙が流れる中、リアンドルは眼鏡を上げ、本をより近くで観察しようと近づいてきた。

「見たことない材質だな。ちょっと見せてくれないか?」

 その声音には、普段の冷めた調子とは違う、何かが混じっていた。
 レインは躊躇いながらも、本をリアンドルに手渡した。エルフの魔法使いはしばらく表紙を確認した後、慎重に開き――

「こ、これは何だ!」

 その反応は、この場の誰よりも顕著なものだった。彼はわなわなと震え、ページを丁寧にめくっていく。

「この絵も、この絵も。どれもこれもまるで本物だ! ま、まさか……これがあの“写真”なのか?」

「しゃしん? なんだそりゃ?」

 グロンドの言葉に、リアンドルは本から目を離さすことなく興奮気味に語る。

「異世界の技術で作られた絵のことだ。今の勇者が言うには、彼の世界では一般的な記録方法らしい。私が所属する学会でも話題になっていたが、まさか本物を見れる日が来るとは……」

 彼のページをめくるては止まらない。顔を赤くしてページに釘付けになっている。

「まさかこんな、これが本物なら……。レイン。君は一体どうやってこれを手に入れたんだ?」

 ようやく本から顔を上げると、一転して訝しむような視線をレインに向けてきた。

「いや、その。これは神殿で見つけて……」

「神殿? まさか、ギルドに報告していないのか?」

 その厳しい顔に、レインは思わず目を逸らした。

「ええと、忘れてたんだよ」

 その場しのぎの言い訳。けれど、すぐに飛んでくるかと思われたリアンドルの叱責は、いつまで経っても来なかった。見れば、彼は顎に手を当て、何かを考えているようだった。
 それからたっぷり時間を使ってから、彼はようやく口を開く。

「そうか。ならば、私がギルドに持っていこう」

「え?」

「これだけ薄ければ荷物に紛れてしまっていても仕方がない。ただ、報告しないのはギルドとの契約違反に当たる。だから、私が自然に発見したことにしよう。君の荷物の片付けを手伝っていたら、鞄の奥にあったのを見つけた。そう装えば、これは単なる軽微な見逃しとして処理され、君が咎められる可能性は限りなく低く――」

 長い、とレインは思った。
 確かに庇ってくれるのはありがたいが――と思った矢先、彼は見てしまった。
 エルフは無駄に建前を語りながら、眼鏡を持ち上げる。だが、その反対の手は、あの本をそっとローブの中に隠そうとしているではないか。
 その動きには既視感があった。それは、レインがギルドの報告をするとき、あの本をそっと服の中に隠したときと同じだったのだ。

「待てよ、リアンドル!」

 レインは声を上げた。リアンドルの動きが止まる。

「お前……本当にギルドに持っていく気なのか?」

「も、もちろんだ。これは学術的に非常に重要な――」

「嘘をつくな」グロンドが低い声で言った。「お前の顔を見れば分かる。初めて女体を見たガキと同じだ。貴様、自分で使う気だろう?」

 部屋の空気が一瞬で張り詰めた。
 リアンドルが額に汗を浮かべてグロンドに詰め寄る。

「ば、馬鹿を言うな。あくまで学術的な興味からだ! この件は研究して、学会にも報告するのだからな!」

「馬鹿はそっちだ。俺は確かに学はないが、春画を研究する学会などないことくらい知っとるわい!」

「え、エルフにはあるのだ! 寿命が長く、その、催す時期が中々合わない我らは、そういうときの対策も研究しているのだ!」

 それが本当かどうかは分からないが。
 その反応から、彼もレインと同じ様に女性経験が乏しいことは明白だった。
 だが、そのやり方はあまりに陰湿だ。あれはレインが命がけで手に入れてきた異世界の春画なのだ。

「やめろ! そもそも、それはオレが手に入れたもんだぞ!」

 その細い手から本を奪い取ると、二人の敵意が一斉にレインに向けられた。

「君のような小賢しい冒険者が持ってて良いものじゃない!」

「どっちが小賢しいんだ! 使うなら堂々としやがれってんだ!」

「黙れわっぱども! 本物の女を抱く勇気もないやつらは引っ込んどれ!」

 三人の言い争いは、次第にエスカレートしていく。
 そして、ついに我慢の限界を超えたリアンドルがレインに飛び掛かってきた。そこにグロンドも参戦し、殴り合いが始まった。

「これは俺の娼館への招待状だ!」「な、何を! この乱暴者!」「返せ、この陰湿眼鏡エルフが!」

 部屋の中は修羅場と化し、窓枠がガタガタと音を立てる。本を巡って拳が飛び交い、蹴りを繰り出し、そして頭突きをぶつけ合う。
 そんな中――誰もが気づかなかった。
 部屋の入り口に、小柄な影が忍び寄っていたことに。

「うわっ、何これ? 高価な魔術書かと思ったら、エッチな本じゃん!」

 次の瞬間、声は部屋の真ん中、テーブルの上から聞こえた。
 三人は殴り合うのを止め、はっとして目を向ける。
 そこには、赤毛のショートヘアに大きな茶色の目が印象的な小柄な少女が立っていた。小人族の盗賊、ピップだ。彼女もこの長屋の住人で、レインのパーティの最後の一人だった。
 ピップは、まるで宝物を見つけたかのように両手で本を広げ、にやにやと笑っていた。リアンドルは慌てて自分の手を見たが、そこにはさっきまであった本はなかった。

「へぇー、男って本当にこういうのが好きなんだ。サイテーだね〜」

 そして鼻で笑いながら、ページをめくっていく。その小さな体は、まるで子供のようだが、彼女は立派な大人だ。その証拠に、彼女の目は春画の内容をしっかりと理解しているようだった。

「おいおい、ピップ! それを返せ!」

 レインが叫んで手を伸ばすが、彼女は軽々とテーブルから飛び降り、三人の男たちの間をすり抜けていく。

「へー、何? このエロ本、そんなに大事なの? さっきから喧嘩してたのって、これのせい?」

 彼女は本を頭上に掲げ、からかうように三人を見回した。

「ふーん、こんなので大人の男が三人も喧嘩しちゃうんだ。情けなーい」

「ええい、待て!」

 グロンドが大きな手を伸ばすが、ピップは軽やかにかわしてしまう。

「ピ、ピップ。それは貴重な研究資料なんだ。大人しく渡してくれないか?」

「研究? ナニを研究するの? エロいお姉さんの体? ふーん、さすがむっつりエルフさんだね〜」

「む、むっつ……」

 ピップの言葉に、リアンドルは言葉を詰まらせる。その目はかすかに涙を浮かべていた。普段は冷静で厳しく彼女をたしなめる彼だが、この話題に関しては被るダメージが大きすぎるようだった。

「とにかくそれを返してくれ。本当に大切なものなんだ」

 こういうときの彼女はなかなか捕まらない。レインは冷静に、心を込めて頼み込んだ。
 けれど、それは間違いだった。

「へぇ〜、大切?」ピップは目を細める。「じゃあ、これで儲けられるってこと?」

 三人の顔が強張る。

「そっか。見たことない材質だったから、異世界のモノじゃないかって思ってのよね。なら、とびきりたか~く売れるはずだよねえ?」

 そう言うピップの目が怪しく輝いていた。盗賊である彼女は、他の誰よりも金に目がなかった。

「よし決めた! これ、闇市場で売ってくる! きっと大金になるはず!」

「させるか!」

 三人の男たちが同時に叫び、ピップに飛びかかる。しかし、小柄で俊敏な彼女は、いとも簡単に三人をかわしていく。

「あはは! おっそーい!」

 ピップは笑いながら、本を片手に部屋中を駆け回る。三人は必死に彼女を追いかけるが、手が届かない。

「く、くそ……!」

「諦めなよレイン。今なら利益の十分の一をあんたに分けてあげても――」

 そこでピップの言葉は途切れた。遅れて、彼女の横髪が一房、はらりと切れて宙を舞う。
 レインはその光景を固まって見ていたが、髪が床に落ちる頃には何が起きたのか理解できるようになっていた。
 真空波の魔法。それが彼女の頬を掠めたのだ。

「ピップ。それは私の大切な研究資料だ。それを売るなど、冗談では済まされないぞ」

 構えていたのはリアンドルだった。その手元からは魔力の煙が立ち昇っていた。

「うわあ、レディの髪を切るとかサイテー。これだからむっつり野郎は嫌いなんだよねえ」

 ピップもゆっくり構えを取る。その手の中にはいつの間にか短剣があった。

「同じパーティのよしみで、ギリギリ殺さないでおいてあげるよ」

「ふん。そりゃこっちのセリフだ」

 グロンドも拳を握る。その腕はドワーフの秘術により岩のように変質していた。

「全員診療所に送ってやろう。もちろん、俺が娼館から帰ってきたあとで、くたばってなけりゃだがな」

 臨戦態勢に入ってしまう三人に、レインは頭を抱えた。
 どうしてこうなったのだろうか。ただ、自分はこの本を楽しみたかっただけなのに。
 そして顔を上げ、ピップが抱える本の表紙に目を向ける。そこには白い布を纏う女神が微笑みを浮かべていた。
 そうだ。本来、あの笑顔と薄い衣の奥を見れるのは、頑張って神殿を調査したレインだけだったはずだ。それがこんな乱痴気騒ぎになったのは誰のせいか?

「どう考えても――お前ら全員が悪いよな?」

 レインは壁に立て掛けてあった剣を鞘ごと蹴り上げる。そして、空中で掴むと流れるように構えた。

「オレはあの神殿だけで百以上のスケルトンを切ってきた。その業、鞘の上からでも味わえるんだから、お前ら感謝しろよ?」

 次の瞬間、四人は一斉に動き出した。
 リアンドルの魔法が閃き、グロンドの拳が風を切る。ピップは本を片手に俊敏な動きで躱し、短剣を投げつける。レインは鞘に収めたままの剣で、あらゆる攻撃を受け流していく。
 狭い部屋の中で、四人の戦いは凄まじい勢いで展開された。家具は倒れ、壁には傷がつき、窓ガラスは砕け散った。長屋全体が揺れているかのようだった。
 ピップは本を守りながら、他の三人の攻撃を巧みにかわしていく。しかし、偶然にも魔法と拳が重なったことで、彼女にも隙が生まれた。そして、レインの剣はそれを見逃さなかった。

「きゃっ!」

 手を打たれたピップの悲鳴と共に、本が彼女の手から離れて宙に舞う。
 時が止まったかのように、四人の目が本に釘付けになった。そして、全員が同時に手を伸ばした。
 レインの長い腕、グロンドの太い指、リアンドルの繊細な手、そしてピップの小さな掌。四人の手が、宙を舞う本に向かって一斉に伸びる。
 そして次の瞬間――その春画本は輝きに包まれた。

「な、なんだ!」

 驚きの声を上げたのはレインだけではない。他の三人も驚愕し、その光景を見つめていた。
 本は空中を漂い、眩い光を放ち続ける。その神々しさは、あたかも神が舞い降りる瞬間のようにも見えた。
 そして、本は僅かに上に昇ると――

 ぱちん。

 ただそれだけの短い音を残して、光も、そして異世界の春画本も、跡形もなく消え去っていた。
 後に取り残されたのは、傷だらけの姿で呆然と天井を見上げる四人の冒険者だけだった。

――――

 数日後、診療所から退院したレインたちは、長屋の修理代の請求書を持ってきた大家からこんな話を聞いた。

「お前らが暴れてた日にな、とうとう異世界から召喚された勇者様が魔王を倒したそうだ」

 四人は顔を見合わせた。グロンドが尋ねる。

「ほう、それで、その勇者はどうなったんだ?」

 彼は凱旋があるなら見に行きたいと言ったが、大家は肩をすくめた。

「戻ってきた彼のパーティが言うには、目的を果たした勇者様は光に包まれて消えちまったとさ。たぶん、元の世界に帰ったんだろう」

 レインは思わず長屋の天井を見上げた。あの本が消えた瞬間を思い出す。

「まさか……」

「君も気づいたか。あの本と、勇者の消失。恐らくタイミングが一致している」

 リアンドルが眉をひそめる。それに対してピップは首を傾げていた。

「えー? つまりあのエロ本が勇者様だったってこと?」

「いや違うだろ」

 レインは思わず吹き出す。

「召喚物はみんな魔王を倒すために呼ばれてる。だから、魔王が倒れ、目的が果たされたから、一緒に帰っていったってわけさ」

 そして、四人は沈黙した。
 しばらくして、グロンドは大きなため息をつく。

「結局、俺たちは何のために戦ったんだ?」

「さあな」

 レインは苦笑いしながら、仲間たちを見渡した。確かに、春画本を巡って本気で戦うなど、馬鹿な争いだったかもしれない。でも、この騒動を通じて、仲間たちの絆は少し深まったような気がした。
 いや、違う。そういうことにしておかないと、やってられないだけだ。

「さて。じゃあこの請求書、どう割り振るか考えるか」

「え?」

 三人が驚いた顔で振り返る。

「はっ。冗談だよ」レインは笑った。「次の依頼で稼ごう。今度はみんなで行くぞ」

 四人は顔を見合わせて頷き合う。
 彼らの冒険が、また始まろうとしていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?