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 とりわけ暑い夏が私たちを包んだ。
拭けど拭けど湧き出る汗。
溌剌とした小学生も今年ばかりは日陰を好んでいるように見える。
空は青々と雲ひとつ無く、太陽がせっせと仕事に励んでいる。
 私と彼はコンクリートジャングルを歩いている。
私が適当な涼む場所を求める傍、彼はどこか楽しげであった。
どんどんと足を進める彼の背姿に尚更疲れを覚えてしまい
私はたちまち足を止め、ガードレールに寄りかかってしまった。
私の姿がないことに気づいた彼は辺りを見回し
2~3度首を辺りに動かしたところで後方でダレる私の姿を捉えた。
「ひと休みして、何か飲む?」
私を覗き込む彼の問いかけに私は無言で肯くだけであった。

 「コーラはやっぱり瓶に限るよな」
無邪気に笑いながら、瓶を中身を空けていく彼の横顔は
何とも爽快感に溢れていた。
私は、徐々に温くなっているペットボトルの水を
何回かに分けて喉を潤した。
「どうして瓶だとこんなに美味しく感じるんだろう」
彼は訝しげに残り少ない瓶の中を覗いていた。
私も彼の不思議に関して考えてみた。
頭を過ったのは、コーラについてではなかった。
 そう言えば昔、こんなことがあった。

 確か高校1~2年の頃の話である。
国語の授業中であった。現代文に関してである。
文字が3行も続くと眠たくなってしまうような同級生の中で
私は、先生の右手に合わせて熱心に鉛筆を走らせていた。
 鉛筆で思い出したが、高校生にもなってと馬鹿にされたことがある。
確かに鉛筆を使っているのは私だけであった。
しかし、個人の勝手ではないか。
内気な私は、毎度口をパクパクさせるだけで
言い返すことなどはできなかった。

 先生は、筆者の心情を捉えるギミックとして
夏目漱石の「坊ちゃん」を例に出していた。
「読んだことがあるものはいるか」
先生は、私たちに尋ねる。
1人の生徒が誇らしげに手をあげた。
学年、いや学校内のマドンナともてはやされていたN女史であった。
秀外恵中とは彼女のことを言うのだろう。
先ほどまで、大忙しであった右手の鉛筆がどこか小さく見えた。

 あと数分で終業の鐘が鳴る時刻と鳴っていた。
先生は、本授業の締めにかかる。
その中で、私がその当時好んでいた著者の名前が出された。
私の右手は、急ブレーキをかけ頭が持ち上がり先生と目があった。
その時、私はどのような顔をしていたのだろうか。
「知ってるのか?」
その台詞は確実に私を捉えたものだった。
2~3度小さく肯く私に向かって
「よく知っているな、いやいや感心」
と言い、ニコリと笑いかけた。
ただ、クラスの皆はそうではなかった。
あれは確かに白けた目であった。
黒目の定まらない死んだ魚の目である。
雰囲気を悟ったのか、先生も即座に話に戻っていた。
 私は、その時になぜかシャープペンシルを買うことを
決意したように覚えている。

 彼は依然として歩みを進めている。
何か当てがある訳ではないはずである。
たぶん、私は彼のそういうところが好きだ。
もちろん容姿も好きであるが、もはや重要ではなかった。
彼じゃないといけない。私の彼を思う気持ちはもう十分に値するものだった。
道ゆくタイプの男性がすれ違っても、振り向くことはない。
彼を追って、後ろから抱きしめた。幸せがもうそこまで来ているように思える。
 かく言う私も牛乳は瓶派であるが。

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