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 その日は、朝からよく立て込んだ日であった。
社内での打ち合わせに始まり、取引先への商談に営業。
外回りを終えたところで、ようやく一息ついた。
 時刻は午後の3時を回ったところである。
次の用件までは少々時間があった。
 そう言えば、朝どころか昼飯もまだである。
朝、昼がないことは経験済みだが
この様子では、夜もろくに食べることができそうにない。
中途半端な時間であることは承知の上で
腹も急き立てることだし、何かを胃に入れておこうと思った。

 散歩でもないが
歩きがけで偶然に見つけたところへ入ることにした。
 通りには、人が溢れかえって窮屈そうである。
近頃、一層に人が増えたように思う。
それも多種多様に。
パーソナルも複雑化しているようだ。
もちろん悪いことではない、私は大いに賛成である
ただ窮屈も加えてどこか生きづらそうなのだ。
 そういったご様子は、見るのに耐え難い。
人混みを避けた路地裏に入ってみる事にした。
 昭和の香りが漂う一軒の立ち食い蕎麦屋があった。
 店主に怒鳴られてしまうかもしれないが
こういうところは良い、何より混雑があまりないからである。
 腹が膨れすぎると、この後にも差し支えることだし
具合もいいなと、暖簾をくぐる事にした。

 親父が新聞を読んでいた。遠目であるが、読売だったと思う。
入りしなに「蕎麦、まだいいですか」と問うと
新聞を雑多に折り畳み、黙って手を洗い始めた。
 メニューを一瞥し、山菜蕎麦を注文した。
このような店でたいてい私は山菜蕎麦を好んだ。

 出された水を2口ほど飲み
首と肩を回しながら、朝からの疲れをどこかに放り出していると
湯気だつ山菜蕎麦が目の前に置かれた。
  醤油の香りが鼻先を刺し、汁には私のほくそ笑む顔が写っていた。

 中には、ワラビがいた。
ゼンマイがこちらを見ていて、コゴミがそっと息を潜めている。
ネギはどうしてか罰が悪そうであった。
芋づるはゴブゴブと沈んでいって
細竹は顔を出したくてたまらなそうだ。
 彼らは私の箸の動きによって起こる流れに身を委ねていた。
右から左。左から右。上から下にも、下から上も。
そうして流れて流されて、
気持ち良くなって眠くなっていったりしているようだった。
 みんな山菜であるけれど、名前は異なり、見た目も違う。
好き嫌いこそあるけれど、皆が主役で平等であった。
私は、山菜と一緒に何度も蕎麦を啜った。

 ちょうどの代金を支払うと
親父にご馳走様と言い、店を後にする。
私はまた、群衆の1人となった。
 この世界にもいろんなやつがいる。
 山菜蕎麦と世界は何も変わらないはずだった。

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