ニーチェ『ツァラトゥストラ』解説と批評:新しいハチミツと公共のニヒリズム

 わたしがこの度「神の死の神学」を学習し始めるにあたって、またそれと同様の因子をもつ問題意識で、善悪ということの課題に取り組むにあたって、いま一度フリードリヒ・ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』を精査したいと考えた。そこから、改めて浮き彫りになる問題もあるだろうし、批評することをつうじて自己の依って立っている地点を明らかにしたいと思った。


 本書の冒頭はこの間の記事で書いたので、今回はその続きから進めていくことにする。

根菜類を常食とする者と新しいハチミツ

 ツァラトゥストラはひとりで山を下って行った。そのさい、彼は誰にも会わなかった。

ちくま版上p.18

 ここで「ひとりで山を下って行った」、「彼は誰にも会わなかった」とあるのは、ツァラトゥストラ=ニーチェの内面を表現していると捉えられるし、以下の記述も全てニーチェの内面についての記述である。そのことを念頭に置いて話を進めていきたい。
 すなわち、この箇所には、ニーチェが内面的にかなり深く、しかも高い山において、ひとりで過ごしていたこと、或いはそうした自意識があらわれている。だから、彼は誰にも会わなかった。
 しかし、森に入ったところで、ツァラトゥストラは、神を愛する孤独な聖者に出会う。

しかし彼が森に入ったとき、突然一人の老人が彼の前に立ち現われた。この老人は、森のなかで根菜類を捜そうとして、彼の神聖な小屋から出掛けて来たのであった。

ちくま版上p.18

 ここでは、「根菜類を捜そう」としているのがポイントとなる。この後のやりとりから明らかなように、この聖者は中世的な隠遁的キリスト教修行者のようであり、彼は人けのない森で神を賛美するだけの生活を送っている。
 「根菜類」に関してヒントになる箇所がある。ツァラトゥストラが「みずから進んで乞食となった者」と会話をするシーンである。

 「そなた、山上の垂訓者よ、そなたがこういう手きびしい言葉を用いるとき、そなたは自分を無理じいしている。いまだ、そなたの口も、目も、こういう手きびしさにふさわしいほど成長してはいない。
 さらには、わたしの思うに、そたなの胃そのものもまたそうだ。すべてこういう怒りや憎しみや激昂は、そなたの胃にそぐわないのだ。そなたの胃はもっと柔らかいものを欲する。そなたは肉食者ではないのだ。
 むしろ、わたしには、そなたは菜食者であり、根菜類を常食とする人であるように思われる。おそらく、そなたは穀粒をかみ砕きもするだろう。だが、たしかなことは、そなたは肉食の喜びをきらい、蜜を好むということだ。」

ちくま版下pp..240-241

 この「みずから進んで乞食となった者」は明らかに、どう読んでもイエス=キリストその人であるが、この箇所にはっきりとニーチェのイエス観が明らかにされている。

 肉食動物は前にいる獲物をひたすら獲得しに前に突き進む。そして、「根菜類」は最初の箇所では老人に捜されているものである。すなわち、「根菜類」とは「根拠」「根源」であり、「根菜類を捜す」とは、「根拠の探求」を指しているのである。根拠とは、根源とは、神を愛する聖者やイエスにとって、神そのものである。そのことを傍証する箇所がある。

 わたしは愛する、認識するために生き、そして、いつの日か超人が生きることのために、認識しようと欲する者を。そのようにして彼は自分の没落を欲するのだ。

ちくま版上p.27

 これはツァラトゥストラが市場で民衆に説教をしている箇所であるが、ここにおいて「根拠の探求」≒「認識」は「没落」である。
 ニーチェの哲学には、本人自身述べているように、「一切の諸価値の価値転換」の目論見があるが、「認識」は、ニーチェが標的とした西洋の価値規範にあっては、「実践(プラクシス)」や「技術知(テクネー)」、また「制作≒詩作(ポイエーシス)」などよりも上位の最高位に置かれていた「テオーリア」である。「テオーリア」とは、元来神(テオス)の観照である。すなわち、停止した主体が停止した根拠を見究める知のありようである。ニーチェの指摘に依れば、キリスト教とは大衆化したプラトニズムである。したがって、わたしたちがイデア(理念、或いは「概念」)を問い、「○○とは何か?」と問うとき、つねにそこにはこの観照知のありようがはたらいている。
 西洋において、或いは西方において「神」とは、「光あれ」という言葉を発する、「存在せよ」と命令してくる神である。その「光」と「善」の接続された、しかもそこから「闇」と「悪」を断罪する信仰の最も古い形態は、「ツァラトゥストラ」その人が始めたゾロアスター教に求められるはずである。善なるものから光を受けて、その光を反射して善なるものを観照しようとすること、この、西洋の信仰にも哲学にも、ともに含まれる規範そのもの、それこそがニーチェが指摘しまた批判し攻撃したものだったのではなかったか。
 冒頭の箇所でツァラトゥストラは洞窟に籠っていた。すなわち、三十歳から四十歳というもっとも盛んな時期を、「ツァラトゥストラ」その人は、闇の中で過ごした。そこから曙光を見て、太陽が沈むように「没落」をはじめるのである。ニーチェの自称は「心理学者」であった。

 ツァラトゥストラは、「みずから進んで乞食となった者」に、「自身の場所」で「新しいハチミツ」を見出すことを約束する。恐らくそれは、世界中の大勢の伝統的聖者が証ししたような「エンドルフィンのマナ」ではない。あの、聖霊の感覚ではない、脳梅毒に冒され精神病理学的に言うと「シュープ」に陥ったニーチェの体感した「新しいハチミツ」であることだろう。だからこそ、第二次産業革命以降ここまでニーチェ流の思想が流行る理由がわかるというものである。その基本は、「色、金、名誉」の飽くなき追求である。「幼子」はそのようなものを追求しなくても幸福である。ここに知恵が必要である。


ツァラトゥストラの放火

 森の中を往くツァラトゥストラを見て、老人は言う。

 「このさすらい人はわたしにとって見知らぬ者ではない。幾年も前に彼はここを通り過ぎた。彼はツァラトゥストラという名であった。しかし彼は変わってしまった。
 あのとき、きみはきみの灰を山へ運んで行った。きみは今日はきみの火を谷へ運んで行こうとするのか?きみは放火者の刑罰を恐れないのか?
 そうだ、いかにもツァラトゥストラだ。彼の目は清く澄んでおり、そして彼の口もとには何の吐きけも隠されていない。彼は、一人の舞踏者のように、歩いて行くではないか?
 ツァラトゥストラは変わった。ツァラトゥストラは子供になった。ツァラトゥストラは一人の覚醒せる者である。いまやきみは、眠っている者たちのもとで、何をしようとするのか?
 海のなかで生きるように、きみは孤独のなかで生きた。そして海がきみを運んだ。わざわいなるかな、きみは陸に上がろうとするのか?わざわいなるかな、きみはきみの身体を自分で引きずって行こうとするのか?」
 ツァラトゥストラは答えた。「わたしは人間たちを愛する。」

ちくま版上p.19

 このやりとりの印象から明らかなように、これは明らかにニーチェの心的現象の「うつし」である。実際にこういうやりとりがありうるか、というところで書かれておらず、ひたすらにニーチェ=ツァラトゥストラの心の中で起こっていることが活写されているのである。

 「灰」という語で「火」と対比されてあらわされている状態と言うのは、メランコリーであったり、燃え尽きている状態であろう。「火」とはだから、再び他の人々にも「贈与」し分配できるだけのエネルギーのある状態である。それはたんなる「贈与」に留まらず、本作中でのツァラトゥストラ、或いは『ツァラトゥストラ』という作品のように、「各地を巡り歩いて説教をすれば」、燃え広げさせることができる。ツァラトゥストラは洞窟にただ籠っていただけではない。もちろん、「火」を点じるために十年間の蓄積をしていたのである。
 この文脈で「舞踏者」という語が登場するとわたしはどうしてもインドの神である「ナタラージャ」と呼ばれるシヴァ神を連想せざるを得ないが、シヴァは、ニーチェが幾度も言及しているギリシアのディオニュソスに連なるとされる。この神は、破壊と創造の神である。

 そして「海」と「陸」との対比であるが、これは、ツァラトゥストラの市場での説教にヒントを得ることができる。

 従来あらゆる存在者は自分を超え出る何ものかを創造した。ところがきみたちは、この大いなる上げ潮の引き潮であろうと欲するのか、そして、人間を超克するよりも、むしろ動物へと後退しようと欲するのか?

ちくま版上p.22

 ここには、明確に進化論の影響が指摘できる。だから、先の箇所は、ニーチェ=ツァラトゥストラが、一度は「海」、すなわち豊饒な孤独に撤退して、そののちに「陸」に上がり「人間たちを愛する」という過程を示している。
 この、「凝縮→拡散」の心的運動は、世界各地の神話にも見出すことができる。聖書やギルガメシュ叙事詩の「方舟」や、日本神話の「岩戸隠」がそれである。


人間間の対幻想という不完全

 聖者は言った。「いったい、なぜわたしは人里離れた森に入ったのか? わたしが人間たちをあまりにも愛しすぎたからではなかったか?
 いまではわたしは神を愛している。人間たちを愛してはいない。人間はわたしにとって或るあまりにも不完全なものだ。人間への愛はわたしを死にいたらせることであろう。」

ちくま版上pp..19-20

 聖者は、以前は人間たちを愛していた。すなわち、人間を「現象としての神」として参照項とし、人間と対幻想領域を形成していた。しかし、そうするには、人間はあまりにも「不完全」だった。これはよくわかるような話である。人間は死ぬ。しかし、神は死なない。しかも、神の御言葉は人を生きながらえさせる。
 すなわち、わたしは「現象としての神」を対幻想領域と見做しており、共同幻想だと考えていない。或いは、吉本隆明の言葉を借りるなら、個体と神との関係においては、対幻想と共同幻想が「同致」している。だから、御言葉に生きることは、神との対幻想に生きることであると同時に信仰者の共同幻想に生きることである。しかし重要なことは、普遍的でありすぎるものはその個体の固有性をなんら保証しないということである。だから、わたしはあくまでも、「神関係」を諸々の「他者関係」のうちの一つに還元する議論に賛同する。しかし、「神関係」は「他者関係」のうちの特別なものでなければ「神関係」として成立しない。


「神の死」のすれ違い、身の丈を超えていくニーチェ、ニヒリズム

 この後、聖者と別れたツァラトゥストラは、ひとり、語る。

「いったいこんなことがありうるのだろうか!この年老いた聖者は、自分の森のなかにいて、神が死んだことについて、まだ何も聞いていないのだ。」

ちくま版上p.21

 ついに、「神は死んだ」というあの有名なフレーズが登場する。これはその後、いわば、端的に時代を表現するフレーズとして独り歩きし現代に及ぶまで流行することになる。
 かつて、1985年のこと、政界に隠然たる影響力を誇っていた田中角栄が脳梗塞で倒れて政界復帰困難になった年、流行語大賞の銅賞に「角抜き」が選出された。角栄抜きで時代が回り始めたということである。それに比して言えば、ニーチェのこのフレーズは、文明開闢以来数千年の時を経て、また、キリスト教がヨーロッパを支配してから千数百年の時を経て、「神抜きで世界が回り始めた」という宣言のように聞こえてくる。

 「神の死」の宣言は、同時に、先述したシヴァ=ディオニュソスのように、すなわち、被造物として「創造された」自己が生きる生き方ではなく、旧い諸価値を破壊して、新しい諸価値を創造する実存的主体として生きる生き方を示しもしている。しかし、これは実際的にはどこか議論がすれ違っているように感じる。
 というのは、被造物としての生は「拡がり」のある広い公共の世界での自己のあり方を指しており、旧い諸価値を破壊して、新しい諸価値を創造する生き方とは、言ってしまえば普通は、例えば「縮み」の志向をもつ小さな界隈での自己のあり方を指しているからである。すなわち、ニーチェはこの普通のあり方を誇大に捉え、自分の身の丈をあまりにも超え出たところで「創造者」であろうとしてしまった。
 「縮み」の世界における破壊と創造とは、考えてみれば、例えばスノビズムの形式主義に塗れた「道」における改革であり、大きく出れば、天命に適った革命である。例えば、旧態依然とした家門を奉じる集団の刷新である。また、創作界隈における作品の「制作」もこれにあたるだろう。これは理に適っているような話である。
 一方で、ニーチェがやろうとしたことは―ニーチェ自身ここが混線していたようなところがあるが―広い公共の世界そのものにおける諸価値の破壊である。そのうえで、それぞれが自ら主体的にそのつど意味価値を創造していけばよいとした。だから、イエスの説いた「幼子」は「被造物」としての幼子であるのに対し、ニーチェの説いた「幼子」は「破壊-創造者」としての幼子である。或いは、問題はニーチェひとりに帰されるべき問題ではない。ニーチェはたんにその時代状況を宣言しただけで、既にして「広い公共の世界そのものにおける諸価値」は崩壊していた。ニーチェはただの宣言者である、とすると、事態はたんなるニーチェの著作の問題ではなく、圧倒的に深刻な問題となり、これがその後散々に論じられていることなのである。すなわち、ニヒリズムという問題系がそれである。
 「どうしても生きていける時代になった。しかも、生きていかざるを得ないところに追い詰められている。だから、何かをしていかなければならないが、何をすればいいのかわからない…」。こうした心理と社会状況が消極的ニヒリズムと呼ばれる。積極的ニヒリズムとしては、なにか小さな界隈で小さなものを制作していくという道もあるが、知識人というのは往々にして知恵をつけてしまったばっかりに大きな世界に不可逆的に精神が開かれてしまっているので、考えていかざるを得ない。だから、消極的ニヒリズムという問題系が登場してくる。かつては、時代が一つの方向を向いており、確かにあることをしていればそれで自己満足も同時に達成できるという時代があった。しかし、今はそうではない。だからわたしは、こうして文章をつうじて実益にはならないが発信を続けている。あなたがたは、どうするか。


おわりに

 全ての人が、一円的に同じものごとを同じように考える時代というのは、ニーチェが指摘した大衆社会のイメージであるが、それももはや終わった。大衆は死んだ。それぞれが、それぞれの領域で持ち分を発揮していかなければならない。それでは、「公共」という問題まで消失したのか。そうではない。人間の集団が存続するかぎり、知識のある者は公共性、あるいは共同性の問題を考え続けなければならない。すなわち、それぞれがそれぞれの領分で活躍する傍らにおける「公共」の問題である。そこに、公共圏を統制するような秩序が必要なことは言うまでもない。しかし、その秩序が生きた人間生活の全位相を覆ってしまうことはない。そうしたところに、わたしの「神の死」への関心と、共同性への関心が、開かれつつある。

2024年9月12日


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