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続 11月で88歳を迎えた父の入院・手術

手術当日

私が働いている病院で脊椎狭窄症の手術を受けた父。手術の日は私の休みの日だったので、一般の患者さん家族と同様に手術後の父には、手術室から出た廊下で少し顔を見た程度でした。執刀医の説明では手術は問題なく終了とのこと。ちょっとホッとしました。父は完全に覚醒しておらず話しかけても目を開けるのがやっとの感じ。これは、せん妄になるな。。。と予感しました。せん妄は、環境が変わったり強いストレスがかかったり、麻酔から覚めた直後に起きます。特に高齢者は環境の変化に対応することが苦手になるので、一時的にここがどこだか分からなくなり、大声を出したり、暴れたり、体に入っているチューブを引き抜いたり、歩こうとして転んだりします。せん妄にならないように、手術後に完全に目が覚めたら、日常と同じようなテレビが好きな方にはテレビ、ラジオが好きな人にはラジオ、家族と話すのが好きな人は家族の付き添いなどの刺激をすることは効果的で、ある程度予防することができます。でも、手術の後にうとうとしたまま夜の時間帯になると、看護師の人数が少なくなり、院内感染対策で家族は覚醒するまで付き添うこともできないので、手厚いせん妄予防ができずに高齢者はせん妄になることが多いのです。父も手術後病室に戻る時に半覚醒だったのでこれはせん妄になるなと感じたのです。

手術翌朝

自分が働いている病院に父が入院したので翌朝勤務前に父の病室を除いてみました。父は寝ていたのですが、朝食が配膳される時間帯だったので、起こして話しかけるとやっぱりちょっと変です。私のことは認識していましたが、手術をしたことを話しているのに辻褄が合わない返答が返ってきます。担当の看護師さんが病室に入ってきて父に話しかけるとしっかりした風に受け答えをしていますが、やっぱりなんだか変です。担当の看護師さんに、父が夜間迷惑をかけたのではないかと聞いてみると「プチせん妄でしたよ」と笑って夜間の状況を教えてくれました。点滴の針を抜いてしまったり、酸素のチューブを外したりしたようです。私と担当看護師さんの話しを聞いていた父は怒られたことは覚えていて「怒られちゃったよ」と言っていました。けれど、なぜ怒られたのかはわかっていないようでした。

退院

プチせん妄は2日間程度で治り、術後の経過は良好で、腰や足の痛みや痺れはすっかりとれたらしく、リハビリでもまずまずの距離を歩ける程度の足の筋力も戻り、2週間で退院になりました。術後経過の良さはピカイチだったようです。

退院当日、自宅までタクシーで帰ることを提案しましたが、父は久しぶりに駅まで歩いて電車とバスを乗り継いで帰ることを希望。父の希望通りに駅まで歩いたのですが、退院直後は体力がかなり落ちているのでやっぱりタクシーで帰るべきでした。意気揚々と退院した父ですが、病院から最寄りの駅まで若者の足で8分くらいの距離があります。半分くらいのところで、疲労感が顕著です。相当ゆっくり歩いていていたのですが、父は仕事を辞めることを決意したくらい、「もうだめだ」と思ったようです。

それでも、気丈な父は男に2言はありません。タクシーに乗ることを何回か提案しましたが、結局、電車とバスを使って無事帰宅しました。もちろん、帰宅後即ベットに直行していました。

その後の生活

あれから1か月経ちましたが、体力も戻り、家の中の生活は不自由なくできるようになったようです。

意外な母の気持ち

老老介護は無理だから、自分でなんでもできる状態でなかったら家に帰って来ても困ると言っていた母。今回は、無事自宅で生活ができるようになったので結果オーライでしたが、いつ介護が必要になるか分からないお年頃。母とこれからのことも考えて最後の時期の迎え方についても話しを少ししました。もし、倒れているところを発見して呼吸をしていなかったら、「心臓マッサージなどはしないで欲しい」これは、母自身の願い。そして、父に対しても「自然のままで」と考えているようです。

そして、今回父が入院していたので母は、のびのびと1人暮らしを満喫しているのだと思っていましたが、意外にも「夜眠れなかった」とのこと。もし、父が先に亡くなり母だけになったら、また、その逆のことがあったら、ということをそろそろ考えて兄弟でも話しあっておかなければならないなと感じる一言でした。

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