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サードプレイスに未来はあるのか?という命題を軸に設定しました

私は、12/3の「サードプレイスの日」に、毎年、テーマを決めてイベントを開催してきました。

熱い思いではなく、少しクールに考えて決めました

毎年、テーマは世の中を見ながら、自分の思いをコンセプトにしてきました。オンラインの3年は企画だっただけに、余計に熱い思いを持ってチャレンジしてきたつもりです。

今年は、なかなか熱く込み上げてくる思いが出てこないまま、時間だけが過ぎていたのは、今だから言えます。


サードプレイスって、世の中に認知は広がり、さまざまなものが増えたものの

アメリカの社会学者、レイ・オルデンバーグが提唱したサードプレイスは、時間をかけて浸透して、日本の中でもさまざまな形のスタイルのものが増えました。

「家庭でも、職場でもない、居心地の良い第三の居場所」がサードプレイスは解釈が広く、自由なものです。

結果として、居場所と捉えて、各店舗やシェアスペースなどに命名するところが全国各地に広がりました。

さらに、コミュニティ活動としての名称に「サードプレイス」をつけるところも増えています。(名称は使っていなくても、コンセプトとして、自由な趣味の団体なども同じだと認識しています)

メディア(ブログも含む)の記事も多くなってきたので、認知度は緩やかに伸びました。

一部は、副業やパラレルキャリア活動を、サードプレイスのように受け止めている人たちもいるのも納得はできます。

もちろん、サードプレイスという言葉を日本で広めたのは、スターバックスだったのは言うまでもないですが。

ただ、それだけに、サードプレイスってイメージがバラバラなのも事実。

私自身のサードプレイス・ラボだって、いろんなことを自由にやってきた月1イベントが軸なだけで、他に大きな縛りはありません。

サードプレイスって、この先どうなるの?

このカオスな状況のサードプレイスは、このままでどうなるんだろうか?

漠然とした疑問が湧いてきたのです。

このまま行ったら、サードプレイスそのものが曖昧になり、消えてしまうのではないだろうか?

私自身も、仕事と家庭を大事にするスタンスは変えないので、サードプレイスが全てにおいて最優先になることは考えられません。

としたら、サードプレイスって、そもそもどうなるんだろう?

それを、私の近くで一緒にサードプレイス・ラボのイベントなどで過ごしてきてくれた方々はどう考えているのだろうか。

この深い命題を、サードプレイスの日に参加者と考えてみることに価値があると感じたのです。

もちろん、一人一人のイメージするサードプレイスの姿は違っていて構いません。

それだけに5年後の自分、そして、私にとってのサードプレイスがどうなっているのかを参加者も一緒に考えて、シェアする機会に意味があるのです。


VUCAの時代の先に何が待っているのかなんて誰にもわからない

決して、1つの答えを求めて、この企画をやるわけではありません。

VUCAの時代、人生100年時代、だけでなく、どんなことが待ち受けているのかわからない未来に向けて、個人が何を大切にして生きるのか。

もちろん、家庭も、仕事も大事なのは当たり前です。

さらに、自分が一人でやるのではなく、誰かと一緒に楽しみながら夢中になれる場所、仲間を得ていく姿をイメージするって、年齢性別国籍など一切関係なく、ワクワクするものです。

今回、5年後の自分、そして、私にとってのサードプレイスはどうなっているのか、というテーマを一人ひとりが考えて、発表したことはコミットメントではないので、あくまで、期待する未来予想図に過ぎないでしょう。

でも、そういうことを考える時間、他者と触れ合うことで気付かされるものを持って、今から未来に向かって歩いていこうという姿勢は大事なのではないでしょうか。


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